"よそ者"視点を身に付けることは、社会の「こうであらねばならぬ」という束縛から私たちを解き放ち、生きやすくしてくれる。

ニュースが速すぎる時代に、じっくり考える「視点」を身につけませんか??

ハフポスト日本版のこんな呼びかけに集まったのは、社会人15人と学生15人だ。

参加者のひとりで、随筆家の小波季世さんは「社会の別の見方を知ることは、自分を生きやすくしてくれるのではないか」と感想を語る。小波さんがイベントの様子と学びをハフポスト日本版に寄稿した。

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出会いは偶然に

ハフポスト主催の『ニュースが速すぎる時代に、じっくり考える”視点”を手に入れる。大人と学生30人が夜にお酒を飲みながら…』というイベントに参加してきた。折角なので私なりのイベントレポートを書こうと思う。

このイベントを知ったきっかけは、大学時代の後輩のFacebook上のポスト。同じ文化人類学専攻の後輩だ。たまたまFacebookを眺めていて流れてきたそのポスト。「これは!」と思って即応募。それがこのイベントとの出会いだった。  

結論から言うと、ものすごくおもしろくて、たくさんの勇気をもらった時間だった。単に主催者やスピーカーの意見を聞くだけではなく、参加者どうしで話し合ったり。QAタイムに一つの質問から発展して別の質問が有機的に生まれたり。イラストレーターの中尾仁士さんが、議論の内容をリアルタイムでグラフィックレコードとして記録してくださったり。

「おもしろい!」と思うこと、共感できること、話したいと思うことがあとからあとから湧き出てくるようなそんな時間。だからこそ、今回こうしてイベントレポートを書いている。

発起人であるハフポスト日本版の編集長・竹下隆一郎さんは自らニュースの発信者として日々過ごしながらも、世の中の出来事を追いかけるだけでなく、「こうやって世界を見たら良いのではないか」という”視点”をじっくりと身につけるための場を読者と一緒につくってみたいと思い、このイベントを企画したのだという。

そんなイベントのゲストスピーカーは、東日本大震災後の”復興”に関わっている、地域活動家の小松理虔さん。そして、東アフリカや香港で行商人たちのビジネスや生活を研究している、文化人類学者の小川さやかさんの2名だった。2名の話に共通するのは「”よそ者”から学ぶ」という視点。

こうした主催者の方の思いやスピーカーの方々に惹かれた人々が、平日夜の六本木に集まったのだった。

撮影:小波季世さん

「弱さ」を共有する

イベントはテーブルごとの参加者どうしの自己紹介から始まった。参加者は社会人と大学生の約30名。比率は1:1。

自己紹介のスタイルがまた独特で、社名や大学名は一切NG。名前と自分の”弱み”、そしてイベントに参加した理由を話すというものだった。得意なこと、好きなことはおのずと話せるが、”弱み”を最初から進んで人に話すことはなかなかない。でも、最初にそういう”弱さ”を共有してしまえば、変にかっこつける必要もなくなってくる。

私が共有した”弱さ”は、人見知りなこと。私は初対面の人とも割と話す方なので、人見知り、というのは大抵信じてもらえない。けれど、内心はいつもびくびくしていて、「最初に自分から話しかける」ことで会話の方向性を握ろうとする傾向がある。「攻撃は最大の防御」なのだ。

そして、私が参加した一番の理由は、大学時代に文化人類学にどっぷり使った一人として、文化人類学者の話が専門外の人にどう映るのかを知りたかったから。自分の興味の向く方へ進んでいった先で、たまたま文化人類学に出会い、文化人類学にのめりこんだ日々を私は全く後悔していない。文化人類学の道に進んだことは、人生最良の選択の一つだとも思っている。

けれど、「文化人類学って何の役に立つの?」と人に聞かれることは一時期とてもストレスだった。例えば、数学や医学のような、身近でわかりやすい「役に立つ」とは一見対極に位置するような文系の学問だし、さらに言えば心理学や行動科学のような仕事や私生活にすぐ取り入れることのできそうな学問とも違う。

「明日から、いや、いますぐにでもこう使えます!」「ビジネスでこう活きます!」「世の中をこう良くします!」と一言かつキャッチーには伝え難い部分がある。

ある意味、私は自身のアイデンティティの中に文化人類学が組み込まれているので、それを他者に認めてもらえないことは、自身を拒絶されたような気持ちになる。だからこそ、文化人類学が他の人にどう映るのかを知りたかった。

撮影:小波季世さん

「当事者」ではなく、「共事者」

最初のスピーカーは小松さん。小松さんは開口一番、こんな質問を会場に投げかけた。

「皆さんは、東日本大震災・原発事故の当事者ですか」

手を上げたのは、会場にいた人の1割にも満たなかったと思う。福島県いわき市小名浜出身の小松さんは、小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰。いわき海洋調べ隊「うみラボ」では、有志とともに定期的に福島第一原発沖の海洋調査を開催するほか、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、様々なことに”素人”の立場で関わっているという。

大抵の人から見た場合、福島出身=東日本大震災・原発事故の当事者となるのではないだろうか。それは同時にいわゆる被災3県の岩手・宮城・福島出身・在住者以外=非当事者として、当事者と非当事者の2つに分断してしまう可能性を多分に孕んでいる。小松さんはさらに質問を重ねた。

「2011年3月11日のことをおぼろげにでも覚えていますか?」

皆、深くうなずく。日本国内、ひいては海外にいようとも、あの日やそれからのことを全く記憶していない人はきっといないだろう。

「では、2012年3月11日のことは覚えていますか?」

聴衆のほとんどが首をかしげる。私は、14歳の時からずっと日記をつけているので、日記を見返せば思い出せるはずだが、2011年3月11日に比べると圧倒的に記憶に薄い日のことだった。

「1年違うだけで、こんなにも皆さんにとってのインパクトが違う。つまり、皆さんは東日本大震災・原発事故の当事者とも言えるんです」

「ただ、いわゆる”当事者”とされる人たちと、それ以外の人たちには隔たりがあるように思います。だから僕は、”当事者”ではなく、何かを共有した人という意味で”共事者”という言葉を使いたい。」

「”当事者”同士で熱心に議論が飛びかえば飛び交うほど、そうでない人たちとのあいだには距離が生まれます。その間をつなぐ鍵となる存在が、 『関心はあるけれど…』というような立場にいる”共事者”だと思うんです」

撮影:小波季世さん

当事者ではなく、共事者。一文字変わるだけで、だいぶ印象が変わってくる。「”共事者”ならば自分も名乗れる・なれる」と思う人もいるのではないだろうか。

 東日本大震災の「被災者」はだれ?

東日本大震災の”当事者”=”被災者”について、私は大学時代ずっと考えていた。震災当日、私は仙台にある大学のキャンパスにいた。立っていることもできないような揺れ。人生で初めて経験した「走馬灯が流れる」という現象。人々の悲鳴。避難先の体育館の冷たい床。繰り返し起こる余震。

けれど私が直接的に経験したのは「地震の揺れ」だけだった。自分自身や身近な人がケガをした訳でも命を落とした訳でもない。

けれど、東北以外の国内外の人からは、「日本」「東北」「宮城」「仙台」という”被災地”にいる”被災者”と見られていた。だが、いわゆる「被災地」に身を置きながら、家も壊れず失わずライフラインも早々に復帰して生活している私の中には、津波や原発の被害にあった人々に比べれば、相対的に「自分は真の被災者とはいえない」という気持ちもあった。

″被災者”″当事者”って誰なんだろう。誰がそれを決めるんだろう。

その疑問は、震災後、東北内外の様々な人と会話することで少しずつ解消されていった。震災当日、東北一帯は停電し、テレビも見ることができない状態だったが、その他の地域では津波の様子はリアルタイムで放映されていた。私からすれば、直接津波被害を受けた人々はもちろん、その様子を「見てしまった」人の方がよっぽど”当事者”のように思えた。そして、「被災地にまだ行っていないことを申し訳なく思う」などといった言論を目にして、”当事者性”の獲得に飢えている人がいることも知った。

そうしたことも踏まえると、小松さんのいう「”当事者”ではなく、”共事者”」は、困難や課題に取り組む人の輪を広げ、その解決策を見つける間口を広げる希望に思える。

撮影:小波季世さん

フィールドワークから見えた「常識はずれ」の助け合い方

続いて登壇したのは、文化人類学者の小川さやかさん。小川さんによれば、文化人類学とは、社会学などのように直接的に世の中の課題にアプローチするのではなく、少し離れた視点から人の「生き方」や「暮らし」について考える学問だという。

文化人類学の特徴としては、長期(数年単位)に渡るフィールドワークという研究手法が挙げられる。文化人類学を学ぶ者は、特定の集団に「参与観察」という形で関わり、”よそ者”としてその集団の特徴を明らかにしていく。

私のいた研究室も例外ではなく、フィールドワークは必須だった。初歩として出た課題には、「知らない”外国人”にインタビューし、その内容をレポートとして提出する」「どこかの公園に1時間滞在し、そこの様子や起こっていることをフィールドノートとして書き起こす」など。

これがまあ、難しいし、おもしろい。「自分にとっての”外国人”とは?」と改めて考えさせられたし、公園でのフィールドワークでは、あっちで子供達が遊んでいるかと思えば、こっちでカップル(と思われる2人)が談笑していて、記録を取るのも大変。そして授業では「なぜ”カップル”と思ったのか?」といった、普段はあまり意識して考えないようなことも問い直されることが多かった。

ちょっと脱線してしまった。小川さんの話に戻ろう。小川さんは自著『チョンキンマンションのボスは知っている―アングラ経済の人類学』を元に、お話をなさった。チョンキンマンションというのは、香港にある安宿のこと。小川さんはそこでタンザニアから来た商人たちと出会う。彼らの行動は、日本人の小川さんからすると一見不可解なことばかりだった。

知り合いだろうとなかろうと、誰か困っている人がいて、自分に余裕があればこぞって助けようとする。直接相手に見返りを求めるのかと思えば、そうでもない。逆に自分にその気がなければ、小川さん曰く「爽やかに」スルーする。彼らが誰かを助けるのは、「ついで」のことが多い。何かの「ついで」に誰かを助ければ、いつか誰か(それが知り合いだろうとなかろうと)も「ついで」に自分を助けてくれる。彼らはそういう価値観で生きているのだという。

 特定の誰かに期待しすぎない

これは、日本でもよく見られるようなキャッチボール型の人間関係とは異なる。「誰かに助けてもらったから、自分も相手を助ける」という1:1の関係性ではなくて、投げ捨て型(投擲型)、つまり「助けて」というボールをとにかく投げてみて、誰かが拾ってくれるのを待つという1:nの気安い関係性だ。

1:1の関係性、例えば親友やカップルは親密な間柄になりやすい。だからこそ、相手にその関係性に期待するすべてを求めてしまったという経験はないだろうか。自分が注いだ友情・愛情の分だけ、相手に見返りを期待する、というような。公平なギブ・アンド・テイクを追い求める。この「互酬性(何かを受け取ったら、返さねばならないという概念。個人的にはギブ・アンド・テイクと言い換えている)」は良い関係性から一転して悪い関係性になりやすいと小川さんはいう。例えば、憎しみをぶつけられたら同じ分だけ憎しみを投げ返すというような。

では、1:nの関係性はどうだろうか?1人1人の相手に対する期待が薄まる分、例え誰か1人が今回答えてくれなくても、それをストレスに感じることはない。Twitterのように、自分の思いを不特定多数の誰かに向けて発信したとして、反応してくれない人に対していちいち怒りを感じるだろうか?むしろ反応してくれた人に対して「おっ」と思うのではないだろうか。

不確かさに満ち溢れたこの世界で

小松さん・小川さんのトークのあとはディスカッションタイム。聴衆1人1人が書いた質問を司会のハフポスト編集長・竹下さん、ファシリテーターの吉田将英さんがそれぞれピックアップしながら話は進んだ。吉田さんが若者の動向を調査していることもあり、「若者と話す中で、『それやる意味ある?』という声が出ることがある。これについてどう思うか」という問いかけがあった。

「みんな『不確実性』を嫌いすぎじゃないですかね。そもそも先のことは全部不確かだし、『不確実』=『無限の可能性』でもあると思う」

そう答えたのは小川さん。一見、楽観的過ぎに聞こえるかもしれないが、ある意味核心をついているようにも思える。「不確実なことはしたくない」という気持ちはとても分かる。

「ムダなことはしたくない」というのも。けれど、「確実に100%こうなる」というものが世の中にどれだけあるのだろう?バグを絶対に起こさないといえるシステムなんてないし、どんなに健康な人でも一生健康でいられるとは限らない。

「大事なのは、人に対しても自分に対しても『かもしれない』という可能性を常に忘れないことじゃないですかね。相手も自分も、明日や1ヶ月後、半年後には変わる『かもしれない』ことを覚えておくこと。」

明日には、相手の態度が豹変する「かもしれない」。1週間後には、今の自分と違う意見を持つ自分がいる「かもしれない」。「絶対そうだ」だとか「こうであらねばならない」という思い込みから自由になること。それは、生き苦しさから私たちを多少なりとも解放してくれるように思う。

見えてくる別の社会のあり方

文化人類学者の小田亮は、「交換」を①市場交換、②贈与交換、③分配、④再分配に分けて考えた。小川さんによれば、今の国家は、市場交換と再分配で成り立っている。資本主義的に経済が動く一方で、税金などを政府が集めそれを福祉などの形で再分配する社会だ。

だが、再分配は「負い目」を絶対化する。例えば、生活保護を受けている人は、社会に対しての「負い目」があるということが明示的になる。それは国民の富の再分配の結果だからだ。また、再分配の采配を決める主体が「正しい」かどうかには常に疑問がつきまとう。一方、分配は、何かを分け与えられる人が、できるときにできる分だけ人に与えるので、受け手の「負い目」は分散化される。

撮影:小波季世さん

再分配・分配いずれにも特徴はある。どちらが「良い悪い」ではなく、そういったあり方もあるということを知っておくのは、どちらか片方だけしか知らないよりもより社会のあり方・個々人の生き方の幅を広げることになるのではないだろうか。強さも弱さも。楽しさも悲しさも。

イベントの締めくくりに小松さん、小川さんはそれぞれこう語った。

「楽しさでつながることもありますが、生きづらさや困難さでつながることもあります」

「楽しさだけじゃなく、苦難を分配してもよいんじゃないですかね」

「楽しさ」は魅力的だし、快い。けれど、「楽しさ」至上主義、「楽しくあらねばならぬ」という空気感は時に息苦しい。イベント冒頭の参加者どうしの自己紹介で、各自が自分の「弱み」を開示しあったように、弱さや悲しさで共感し合えるときも少なからずある。

ただ、これは必ずしも「つながり」至上主義を語っている訳ではないことは明記しておきたい。誰かや何かの「つながり」の形や強弱はその時々だし、正解はないのだから。

撮影:小波季世さん

文化人類学はどう映ったか?

最後に、私の一番の参加目的であった「文化人類学者の話が専門外の人にどう映るのかを知る」が、結果的にどうであったのかを記してこのイベントレポートを締めくくりたいと思う。

登壇した小川さんの話術の巧みさもあるのだろうが、同じく登壇した小松さんや司会の竹下さん、ファシリテーターの吉田さん、そして何より参加者の多くからは、「なるほど〜」「そういう考え方もあるのか」「おもしろかった!」などと言った声が聞かれた。一方で、「共同体の論理」「互酬性」「贈与」など文化人類的には馴染み深い言葉が正直よくわからなかったという人もいた。

文化人類学は「文化を通して人を理解する」学問だ。だから、無関係な人はいないし、誰もが”当事者”、もしくは”共事者”になりえる。そうして、「私」のいる社会について考えること、別の社会の見方を知ることは、即時的には「役に立つ」ことではないかもしれないが、「私」の社会の「こうであらねばならぬ」という束縛からときに私たちを解き放ち、生きやすくしてくれる。今回のイベントはそんな可能性を実体験として感じた一時だった。