日本を訪れる外国人が増えている。
そうした中、上海にある名門国立・復旦大学で日本語を学ぶ黄安琪(こう・あんき)さんはある特別な動機で日本を目指している。
日本語作文のコンクールに寄せた一本の文章。日本語を学ぶ理由が選考委員の目を引き、応募4288作品の中で最優秀賞に選ばれた。
来日していた2月下旬に、話を聞いた。
■風変わりな子どもだった
黄さんは上海から南西に200キロほど離れた地方都市、杭州の出身。
土地柄から、物心がついた時には日本との関わりを意識していたという。
黄さん:杭州は南宋時代(12世紀ごろ)に都が置かれていた場所で、その頃に日本と関わりがあったんです。家の近くの大きなお寺には空海の銅像もありました。
生まれた場所の文化を知って行くうちに、繋がりのあった日本のことも知りたくなってきたんです。
中国の子どもたちは、男の子なら「スラムダンク」、女の子なら「ちびまる子ちゃん」など、現地でも放送されているアニメを通して日本を意識することが多い。
一方で、黄さんは歌舞伎や茶道に興味を惹かれ、川端康成の「雪国」を愛読する風変わりな子どもだった。
大学に進み、日本語専攻を選択した黄さん。3年生の時、交流プログラムで訪れた日本で、中国とのある違いを実感する。
黄さん:コンビニ温かいお茶と牛乳を買ったら、別々の袋に入れてくれたんです。観光客の目線で見たときに、すごくサービスが行き届いていた。
驚かされたのはコンビニの接客だけではなかった。京都でバスに乗っていた時のことだ。バス停に、車椅子の人が並んでいるのが見えた。
「お時間をいただきます」。運転士が車内アナウンスで告げると、スロープを取り出して車椅子の人を乗せた。
バスは遅れたが、誰一人文句をいう人はいない。その様子が心に残った。
黄さん:そもそも、街中を走っている普通のバスに乗り降り用のスロープが備え付けられているとは思っていませんでした。
車内は蒸し暑く、道路も渋滞していましたが、運転手も乗客も車椅子の人を温かく見守っているのも印象的でしたね。
バス以外でも、電車の駅にエレベーターやスロープ、それに多目的トイレが整備されていたのも発見でした。上海や杭州でもバリアフリー化が進められていますが、まだ日本ほどではありません。
中国に帰った黄さん。日本でならば、かつて叶えられなかった「ある望み」が実現するのではと考えるようになった。
それは、70歳近い祖母に関することだ。
祖母は、若い頃は体育教師として働いていたほどのスポーツ好き。2008年に開催された北京オリンピックの現地観戦が「人生最大の夢」だと豪語するほど心待ちにしていた。
しかし、大会を目前にして黄さんの祖母は交通事故に遭い、右足を粉砕骨折。車椅子生活を余儀なくされたのだ。
家の近くのバスに乗ろうとするも、昇降口の段差のせいでうまく乗り込めない。運転士や他の乗客の冷たい目線に晒された。
活動的だった祖母はいつしか、外に出かけることを避けるようになった。楽しみにしていたオリンピックもついに行きたがらなくなった。
「本当はそんなに行きたくなかったんだ」。黄さんへうそぶいた。それは黄さんを余計に虚しくさせた。
黄さんは、東京で、今度こそ祖母の願いを叶えようと考えている。
黄さん:祖母を東京オリンピックに連れて行きたいんです。事故で怪我をした足も、松葉杖で短い距離を歩けるくらいに回復しましたし、本人も東京へ行くことを本当に望んでいます。
ただ、その代わりに目の状態が悪くなってきて...バリアフリー化が進んでいるとはいえ、まだちょっと不安ですね。
(実現したら)祖母の心に出来た壁を打ち破ることができると思うんです。また前みたいに元気な姿に戻るんじゃないかな。
まずは祖母の夢を叶え、そのあとは「日中友好の架け橋になって、国際交流に貢献する」という自分の目標に向かって突き進むという黄さん。
政府は、東京オリンピック・パラリンピックを契機に、障害者への差別をなくすよう徹底する「心のバリアフリー」を推進している。
体の不自由な外国人を見かけたときに、果たして黄さんが京都で見たバスの乗客のように振る舞えるだろうか。
黄さんの体験は、外国人が増えつつある今、訪れた外国人を「日本ファン」に変えるための重要な示唆をもたらしている。