女性差別で苦しむのは、女性だけなのだろうか。
いや、違う。女性差別と男性の生きづらさは、地続きでつながっている。
3月22日から公開される映画『ビリーブ 未来への大逆転』は、85歳のいまも現役で活躍するアメリカの連邦最高裁判所の女性判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグの伝記映画だ。本作は、性差別が孕む、そうした真実に気づかせてくれる。
アメリカの連邦最高裁判所の女性判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ。
男女平等を求めて数々の裁判を戦い、全国的な名声を博し、史上2人目の女性最高裁判事となった。今では「RBG」の名称で親しまれ、ポップカルチャーのアイコンともなり、多くの尊敬を集めている人物だ。映画は彼女の若い頃の苦闘を中心に描いている。
ギンズバーグを演じたのは、『博士と彼女のセオリー』でアカデミー賞助演女優賞を受賞したフェリシティ・ジョーンズ。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』で大作映画の主演を堂々務め、その後に選んだのが本作だった。
現在も現役で活躍する、“生ける伝説”とも呼ぶべきギンズバーグをどう演じたのか、そして本作の持つ「現代性」について、昨年末に来日したフェリシティに話を聞いた。
「女は家庭にいるもの」という固定観念が男性に不利な法律を生んだ?
本作は、ギンズバーグのハーバードロースクール入学から、弁護士として手がけた最初の訴訟までを描いている。
1956年、ギンズバーグがハーバードのロースクールに入学した時、500人の学生の中で女性はわずか9人。夫のマーティンと家事と子育てを分担しながら勉学に勤しんでいた彼女だが、マーティンがガンに倒れてしまう。
彼女は、夫の介護と子育てと勉学を両立させるだけでなく、なんと夫の分の授業にも出席しノートをまとめ、夫婦ともに卒業を目指す。
回復したマーティンの就職に合わせてコロンビア大学のロースクールに移籍した彼女は、主席で卒業を果たすが、女性であることを理由に弁護士事務所の入所をことごとく断られてしまう。
失意の中にいたギンズバーグに、マーティンがある訴訟を持ちかける。
それは親の介護費用の控除申請が認められなかった男性の事例だった。当時の法律では、申請できるのは女性と、離婚歴のある、または妻が病気などで介護することができないなどの特定の理由を抱えた男性だけと定められていた。
その理由は、作中のギンズバーグの台詞を借りて言えば、「多くの法律は介護の控除のように、女は家庭、男は仕事が前提になっている。法律を作った男性は、家で親を介護する男性を想像できなかった」からだ。
この法律の存在が示唆するのは「女は家庭にいるもの」という固定観念と、女性に対する差別が巡り巡って、男性に不利な法律を生み出したということだ。
あるいは男が家で親の世話をするなんておかしい、という男性への固定観念と言い換えてもいいかもしれない。
フェミニズム運動の先駆者としても知られるギンズバーグだが、その活動は女性だけのためのものではなかった。ギンズバーグを演じたフェリシティ・ジョーンズは、本作で描かれた事例を含め、ギンズバーグの活動姿勢についてこう語る。
「ルースは、常に人権のために戦ってきた人です。この映画は、ステレオタイプなジェンダーの押し付けが、いかに女性にとって、男性にとって、窮屈なものであるのかを描いたものといえるでしょう。ルースは女性のためだけでなく、男性も含めた全ての人の人権のためにこの裁判を戦ったんです」
女性差別と男性の生きづらさは、地続きでつながっている。
先日、キャスターの長野智子さんが「男性は家庭を持ったときに自分が家計を背負わなくてはならない、家族を養わなければならないという無意識のプレッシャーを抱えてしまう」と、男性の不自由さについて言及していた。まさにこの映画が描くような、性差別の負の循環による帰結なのではないだろうか。
女性差別をなくすことは、男性にとっても生きやすい社会を作ることにつながる。本作はそのことを法律の是正という具体的な形で見せてくれる。
ギンズバーグの姿勢が現代の観客に届けるメッセージは、男女問わず重要だ。
さらに、映画のメッセージは、MeToo運動が巻き起こったハリウッドの現在にも通じているとフェリシティは言う。
「この映画を撮影している頃、まさにMeToo運動が起こっていたので、この作品はすごく今の時代を反映したものになるね、と現場で話していました。映画は70年代が舞台なのに、今でも同じ問題が繰り返されていることには複雑な気分になりますが、MeTooがあったことで、私達の業界は間違いなく、女性にとっても、男性にとってもポジティブな方向にシフトしていると思います」
隠されたブルックリンアクセントが示すギンズバーグの苦難
フェリシティは、役作りのためにギンズバーグ本人と会ったそうだが、彼女はとてもシャイな人だったと言う。
「もともとシャイな人なんじゃないかというイメージを持っていましたが、お会いしたらそのイメージ通りでした。彼女はすごく慎重に言葉を選んで、1つの質問にすぐに返答せず時間をかけるんです。それは彼女が、言葉の持つ力をよく知っているからだと思います。もちろん、打ち解ければすごく親しみやすい方でもありますよ」
ギンズバーグは、ブルックリン出身のユダヤ人であることでも有名だ。彼女が弁護士事務所になかなか就職できなかったのは、女性であるからだけでなく、ユダヤ人であったことも関係していることが本作では示唆されている。
そんな彼女の苦難をフェリシティは芝居で巧みに表現している。
例えば、ギンズバーグの喋り方。
ギンズバーグはブルックリン訛りの英語を話すことで有名だ。
だが、本作でフェリシティはブルックリン訛りを抑えた芝居をしている。それはギンズバーグ本人が若い頃、訛りを抑えた喋り方をしていたからだ。
「当時は今より保守的な社会でしたから、アクセントにもスタンダードを求められていたんです。アクセントについては、今の彼女に合わせるべきか、当時の彼女に合わせるべきかすごく悩みました。しかし、当時のルースが何と戦わなくてはいけなかったのかを表現するには、当時のアクセントでいくべきだろうと判断しました。
女性であるということも含めて、彼女は法曹界においてアウトサイダーだったんです。アクセントを抑えた芝居で、彼女がどれだけ抑圧されていたか、性差別以外にも彼女が戦わなくてはいけなかったものがあったことを表現できると思ったんです」
きっと、今のギンズバーグのアクセントに合わせた演技をしたほうが、役者としては評価されやすかっただろう(事実、一部の米国メディアはブルックリン訛りができていないとして彼女の芝居を批判した)。
しかし、フェリシティは彼女の苦闘をより深く表現するための芝居を選択した。
役者としての評価よりも真実を再現することに重きを置いた彼女の芝居は、多くの人が気づかなかったギンズバーグの真実を照らし出している。