人生が劇的に変わった瞬間~自宅出産に立ち会うということ

人生が一夜にして変わるなんて到底ありえない。常々、父さんはそう考えていたのだが、違っていた。

先ごろ、我が家の二人の子どもたちがお世話になった助産師さんが現役を引退しました。

今回の文章は、上の息子が生まれた日のことについて書いたもので、去年の夏に「原爆投下から終戦までの信じがたい経緯を!21年前の夏、子どもが誕生した日に考えたこと」の中に、"「ヘイ ボーイ!」より抜粋"として掲載した部分の続きになります。

ひとつ付け加えるとすれば、下の娘が生まれたときも同じように自宅出産に立会い、さらに"その思い"が強くなったこと。

かなり長文なので、時間に余裕のあるときにお読みいただければ幸いです。

以下、「ヘイ ボーイ!」より抜粋

(photo:kazuhiko iimura)

考える人

一階部分がデジタル写真印刷会社の店舗兼作業場になっている三階建てのマンション。その三階の一番手前、303号室が『現場』である。

「いま帰ったよ、どう?」

玄関ドアをあけるより先に父さんは口をひらいていた。

上がり口に靴を脱ぎ捨て、短い廊下をドタドタと進む。キッチンに入ったところで、隣のリビングから母さんの声が聞こえてきた。

「あなた...」

ドアを開けると、なにかの上に全裸で座っている母さんの姿が目に飛び込んできた。

折った膝頭に頬杖をついて、顔だけをこちらに向けたポーズ。

例えるなら『考える人』。そんな格好だった。

「おか、えり」

母さんは、必要以上に声を張らない、呼吸をするようなしゃべり方で父さんに応えた。細い息を吐きながら声をだし、幾分長めのブレスをとって、また息を吐きながら言葉を繋げる。

その顔には色濃い疲労が見てとれた。

「グーはどうした、まだだね」

状態を見れば一目瞭然なのだが、父さんは確認せずにはいられなかった。

すると母さんは、ふわりとした笑みを浮かべていった。

「この子は、父さん思いの、いい子みたい」

そして、足元に置いてあった麦茶のグラスにそっと手を伸ばすと、唇を湿らすように音をたてずにひとくち飲んだ。

母さんの頬はうっすらと紅潮していて、グラスを持つ指先だけがやけに白かった。

そんな母さんの仕草や表情には、どこか人の気持ちを落ち着かせる力があって、朝からずっと走り続けていた父さんには、いわば長い文章の読点のように作用した。

「ほ~っ」

父さんはジャケットを脱ぐとカーペットの上に腰を下ろし、部屋の中をゆっくりと見回した。

エアコンのスイッチはONになっていたが、室内はやはり蒸し暑かった。

けれども、その暑さは外の射るような暑さではなく、どこか柔らかな、いってみれば母さんの体温のようなもので、思っていたより不快なものではなかった。

繭の中というか、子宮の中というか、想像するとそんな感じ。

胎内の温度は37度ぐらいだというから、そこまでではないにしても君が生まれてくるのには丁度いい室温だったのかもしれない。

そして、考える人。

よくよく見れば、母さんが座っていたのは逆さまにしたプラスチック製のバケツだった。床掃除のときに使う、あのなんの変哲もない水色のもの。お尻の下にはクッションの代わりにバスローブが敷かれていた。

――考える人のポーズ。

それは陣痛と戦うのではなく、折り合うための方法として母さんが辿り着いた究極の姿勢だったのだろう。どこか原始的な風景のようでもあり、そこには何かしら父さんの心をしんとさせるものがあった。

父さんは本棚の上にのせてあったキャノンを手にとると、そんな母さんの姿を一枚写真に収めた。

「ともかく、写真はたくさん撮ろう」

それも、父さんと母さんの決め事だった。

胎児の成長に伴い、母体の形はどのように変化していくのか。

その変遷をあとでビュジュアル化できるように、父さんたちは定期的に同ポジ撮影まで敢行していた。

一回の撮影で36枚撮りのフィルムがなくなることもしばしばあった。もちろんカラーと白黒の両方である。

「でも、この写真をいつかグーが見ると思うとわくわくするね。どんな顔をするかしら。お腹の中にいたときの記憶は残らなくても、写真にはそのときの事実が残るからいいわよね。私もそんな写真、欲しかったな」

撮影のたびに母さんはそういっていたが、父さんにしても気持ちは同じだった。

記念写真というのは、そこに写っている自分の姿を見るというよりは、その写真が撮られたときに自分の周りにいた人たち、つまり自分と一緒に写っている人たちがどんな風だったのかを知ることができるから楽しい。

だから、自分が胎内にいたときの母の姿状や、胎動を感じたときの母の表情をとらえた写真がもしあったら、自分が「生きる」ということを考える年齢になったときに、欠かせないものになっていたはずだ。

(photo:kazuhiko iimura)

父さんは、そんなことを考えながらわが家の『考える人』をファインダー越しに眺めていた。

そして、はたと気づいたことがあった。

君が生まれる瞬間にその場にいるべき、もうひとりの人物がいないのだ。

父さんは慌てて尋ねた。

「藤井さんは? まだ来ていないの」

腕時計に目を落とすと、時刻はすでに午後2時近くになっていた。

確か、昼前には到着しているはずだったのでは?

学芸大学駅から碑文谷のマンションまでの道順をかいた地図(かなり丁寧なもの)は、きのうのうちにファックスで送ってあったし、そのあと電話でも確認した。だから、相当な方向音痴でもないかぎり道に迷うことはない。

指を噛んで、陣痛に耐えていた母さんがいった。

「お昼ごろ、電話があって、少し遅れるって」

「それで大丈夫だって?」

目の前の母さんの状態からして、父さんにはとても大丈夫そうには思えなかったのだが。

「そういっていた。たぶん、早くても、夕方だろうって」

「ふーん」

自然分娩は、文字通りかなり自然の力の影響を受ける、といつか藤井さんが説明してくれたのを思いだした。

満月や新月の前後にはお産が増えるし、一日のなかでは潮の満ち引きが重要なファクターになるのだといった。陣痛でいえば満潮の数時間前から強くなり、逆に引潮の時間になると弱くなる。

だから陣痛が弱くなっても焦らず、次の満ち潮を待つのが懸命なのだという。

しかし、そうはいってもそれが全てではないだろうし、万が一、助産師の藤井さんが到着する前に分娩がはじまってしまったらどうなるのだろう。

そう考えると父さんはゾッとした。

胎児のとり上げ方までは、出産準備クラスでも教えてくれなかった。

ヌルッと出てきた君をしっかり受け止められなかったら。

上手く生まれたら生まれたで、へその緒はどう処置しらいいのか。

無闇に切っていいはずがない。

切るべき最適なタイミングと、「ここを」という位置があるに違いない。

君が生まれ出た後、どれぐらいたってから胎盤やらなにやらが母さんのお腹の中から出てくるのか。それをどう扱ったらいいのか。

不安の種は尽きなかった。

それでも、あれこれ思案した末に父さんは一つの結論に達した。

「ともかく、手だけはきっちり洗っておこう」

とっても簡単なことだが、なによりも大切なことに感じられたのだ。

綺麗で清潔な手。

――オーケー、さっそく手を洗おう。

そう思って父さんが立ち上がったときだった。

「あなた、お風呂、入れてくれる?」と母さんがいった。

「ずいぶん楽になるって、藤井さん、いっていたでしょ」

お湯の温かさと浮力で収縮(陣痛)が緩むので楽になるのだ。最近、妊婦のあいだで水中出産が人気になっているのもそんな理由からだという。

「わかった、すぐに入れる」

その後の父さんの行動は機敏だった。

バスルームに入ると、まず洗剤をつけたスポンジでキュッキュ、キュッキュと浴槽を洗った。そして、シャワーで泡を洗い流しながら同時にお湯の適温(この場合は幾分ぬるめ)を探る。

それで、これだという温度になったら、綺麗になった浴槽にお湯を溜めはじめる。

その間、額やまつ毛から汗がポトポトと滴り落ちたが、まったく気にならなかった。無心とまではいわないが、黙々と山道をのぼるあの心境に近かった。

助産師の藤井さん

「ど~も!」

インターフォン越しに、助産師の藤井さんの明るいの声がマンション内にこだましたのは午後3時をまわったころだった。

急いで玄関に走りドアをあけると、紫色の大きな風呂敷包みを抱えた藤井さんがにっこり笑って立っていた。

「お待たせ!」

普段通り、元気一杯の藤井さんである。

「どーも、待っていましたよ。道にでも迷ったんですか?」

父さんとしては、やはり遅れた理由が気になったのだ。

「とんでもない。パパさんの書いてくれた地図、バッチリでした」

藤井さんは、父さんのことを『パパさん』と呼んでいた。

「出がけに、おとといお産をすませたお母さんから電話があって...。ごめんなさいね、遅くなって。ママさん大丈夫かしら」

だからといって、藤井さんが恐縮していたかといえばそうじゃない。

余裕しゃくしゃくといった感じで、抱えていた風呂敷包みを床に置くと、履き口がマジック開閉タイプになっている健康シューズの甲の部分を勢いよくバリバリと剥がした。

父さんは訊いた。

「そのお母さんに、なにかあったのですか?」

すると藤井さんは、呆れたとばかりに手のひらをひらひらさせて応えた。

「赤ちゃんの手足が干からびて大変なんです。象みたいに皺だらけになっちゃったんですけど~、どうしたらいいんでしょうか~って。もう慌てちゃってね」

そういいながら藤井さんは、脱いだ健康シューズの向きをくるりと変えた。

ちなみに藤井さんは50歳代の後半である。

再び、父さんは訊いた。

「新生児によくある、脱水症状のあれですか?」

妊婦のバイブルといっても過言ではない名著、岩波書店の「家庭の育児」にそんなことが書いてあったのを思いだしたのだ。父さんはすでに、あのぶ厚い本にひと通り目を通していた。

「そうそう。オッパイあげていれば二、三日でよくなるの。でも最近のお母さんはそれが普通のことっだて知らないから、なにか大変な病気かもしれないって思っちゃうのよ。なかには母乳を止めてミルクを沢山飲ませた方がいいんでしょうか...なんてことを聞いてくるお母さんまでいるのよ」

藤井さんはいつでも、さばさばとした口調で物事の核心をついてくる。

玄関の隣にあるバスルームで入念に手を洗いながら、藤井さんは続けた。

「ほら、人工乳の缶があるでしょ。赤ちゃんといえば、あのかわいい笑顔のプチプチ肌だって思い込んでいるお母さんが多いから。本当はその人工乳が問題なのにみんな惑わされちゃうのよ、あの写真にね」

人工乳など母乳の足元にも及ばない。なのに多くの母親がなにかあると母乳育児を放棄して人工乳に走ってしまうのは、乳業メーカーの巧妙な宣伝活動によるところが大きいのだ、と横田さんは常々怒っていた。

免疫力の高い母乳を飲んで育った赤ちゃんは、人工乳(いわゆるミルク)で育てられた赤ちゃんにくらべて、アトピー性皮膚炎などにも罹りにくいのは証明済みなのだという。

もちろん、他の病気に対しても強い。

そもそも万人に効く薬がないのと同じように、どんな乳児にも対応する人工乳(乳業メーカーにいわせれば母乳代用品)など存在しないのだ。

だからこそ人間には母乳がある。

「それぞれの赤ちゃんの体質にぴったりあった完璧な滋養物が母乳なの!」

それが藤井さんの口癖でもあった。

そんなことに考えをめぐらしながら、父さんは藤井さんをリビングに案内した。

「ママさん、どう? 顔色いいみたいね」

すでに風呂からあがり、再び『考える人』になっていた母さんを目にするや否や藤井さんはいった。

助産師としての藤井さんの関心は、妊婦がどんな格好でどんな呻き声をあげているのかではなく、その顔色や目つきにあるようだった。

例のとぎれとぎれの話し方で母さんが応えた。

「痛いけど、なんとか、頑張っています」

「今、陣痛がくる間隔はどれぐらい?」と藤井さんが尋ねた。

「だいたい、3、4分」

「もうちょっとね。お風呂には入ったの?」

「さっき」

「それはよかった。何度でも入っていいのよ。特にきょうみたいに暑い日は、清々するから」

そういうと藤井さんは風呂敷包みを開いて、荷物の一番上に載っていた真っ白い木綿の割烹着を取りあげた。そして、左右の握り拳を交互に突き上げるような格好で袖に腕を通すと、「さて」と軽く気合いを入れた。

肝っ玉母さんの勝負服。やはり割烹着は白に限る。

「そのとき」までの数時間

「蒲団の部屋に、いく」

短い息をひとつついて、母さんは、君をいたわるようにお腹の下に両手をあてがいながらゆっくりと立ち上がった。

「どっこいしょ」

藤井さんが、母さんの代わりに声をだして拍子をとった。

慎重な足取りでのろのろと四畳半の和室に入った母さんは、白いビニールシートのかけられた敷き蒲団の上に横になった。

三方が襖になっている室内は薄暗い。でもきっとそんな明るさの方が気分が落ち着くのだろう。

すると藤井さんは、母さんの横に座ってマッサージをはじめた。

膝頭から脹ら脛の裏側をゆっくりと揉んでいく。ごつごつした手。でもその手は、生身の人間に触れながら多くの夢や希望をたぐり寄せてきた手に違いないのだ。

藤井さんが父さんの方を向いていった。

「パパさんは、足の裏を押してあげてね」

脚の長さの割には、母さんの足は小さい。

父さんは母さんの足を自分の膝の上に載せると、土踏まずのあたりに右手の親指をぐっと押しあてながら、左の手で母さんの足の指全体を軽く揉みはじめた。

冷え性の母さんの足は、夏の暑さのなかにあっても指先が冷たかった。

しばらくして、室内にノーザン・オリオール(ムクドリ科の小鳥)のさえずりが響きわたった。この日のために買った掛け時計で、12種類の野鳥の鳴き声で時刻を知らせてくれる。

ノーザン・オリオールがさえずれば午後6 時ということ。

掛け時計のほかにも、リビングには君が生まれたときに必要なありとあらゆるものが準備されていた。

まず柔らかい綿製の産着。これは兄夫婦から譲り受けたもので、白地に薄水色の花火模様が入っていた。そしてバスタオル5枚と布オムツ14枚(これも兄夫婦から)。マジックテープのついたオムツカバーが2枚。

その横の木製の盆の上には、抗菌性のあるハーブの目薬(自家製。出生直後の新生児に必要)とヘソの緒を切るときに使うハサミ、熱湯で殺菌されたガーゼが入ったタッパー。

壁際にある入れ子式テーブルには、新生児(つまり君だ)の身体測定に必要な折り畳み式の木製物差しとフックのついた古めかしいバネばかりが、胸囲を測るときに使用する一巻きのたこ糸と共に並べてあった。

「お湯を沸かすのは、もう少したってからにしましょう」

分娩まであと一、二時間。母さんの子宮口の開き具合を診て、藤井さんはそう読んでいた。

「いま8センチ弱だから」

母さんはといえば、もうほとんど言葉を発せない状態だった。

俯せの姿勢で枕に顔を押しつけ、うーん、うーんと唸っては、はーッ、はーッと息を継ぐ。

目の端には涙が浮かび、右手には軟式のテニスボールが握られていた。

父さんはそんな母さんの背中を両手で撫でていた。

力んではいけない。

母さんの規則的な呼吸のリズムを乱さないように細心の注意を払う。

そのとき、藤井さんがはたと思いだしたようにいった。

「パパさん、シチューのルーは買っておいてくれた?」

「はい!」

文字通りの即答である。

「種類はなんでもいいんですよね」

「そう、ママさんの好きなもの。まあ最初は抵抗があるかもしてないけど、シチューにすればおいしく食べられるから。パパさんも試さないとダメよ」

――ああ、やっぱりマジだったんだ。

母さんの背中を撫でていた父さんの手が一瞬とまった。

藤井さんのいう[抵抗があるもの]とは、胎盤のことだった。

広辞苑には、

【妊婦の子宮内壁と胎児との間にあって、両者の栄養や呼吸、排泄などの機能を媒介・結合する盤状器官】

そして、【胎児の分娩後、続いて胎盤も排出される】とあった。

藤井さんによると、産後、母体から排出された胎盤には、お産を終えた妊婦に必要な栄養素が全て含まれているのだそうだ。

だからそれを食べる。

よって「胎盤シチュー」なのだ。

父さんは訊いた。

「みんな食べるんですか? あまり聞いたことがないけど」

父さんなりの最後の抵抗である。

ところが藤井さんは、

「野生動物は、大方食べるんじゃないかしら」

とサラリと受ける。そして続けた。

「私のところにきた妊婦さんたちには勧めているの。産後の肥立ちが抜群によくなるから。病院なんかだと生ゴミ扱いにされちゃうけど、もったいないもいいとこね」

そういいなが藤井さんは、うーうー唸っている母さんの手のひらを揉んでいた。親指と人差し指の付け根部分。そこを適度に圧迫すると痛みが和らぐらしい。

仕方なく父さんは、既に進行中の現実を受け入れるべく、実際的な質問をすることにした。

「味なんかはどうなんですか。その胎盤の...」

「悪くないわよ。塩をひとつまみ余計に入れるのポイントかな。ちょっと筋っぽいけど、じっくり煮込めばいい味がでてくる。それから胎盤と一緒にへその緒も輪切りにして一緒に煮込むの。こっちはコリコリした歯触りでホルモンみないな感じかな」

――へその緒?

そんな話は聞いていなかったような気がしたが、父さんにそんな疑問を口にする余裕はなかった。

ともかく、味の問題である。

「バジルなんかも入れていいのかな...」と父さん。

「もちろん。なんでも好きなものを入れていいの。パパさんも食べてみればわかるわよ。おいしいから。ともかく、ママさんは向こう一週間、胎盤シチューだけでOK!」

右手の指でOKサインをつくると、藤井さんはひとり笑って見せた。

やれやれ。

胎盤は(多分、へその緒も...)、藤井さんが全て切り分けてくれることになっていたのだが、当然一度に全部食べられる訳ではない。したがってそのほとんどは冷凍保存されることになる。

要するに、食事のたびにそれらを適量解凍してジャガイモやら人参やら椎茸やらと一緒に煮込んで、胎盤シチューをつくるのは父さんの役割になるのだ。

溜息の一つぐらいは許されるだろう?

その点、母さんは違っていて、藤井さんから最初に胎盤シチューの話を聞いたときから興味津々で、どこか楽しみにしている節まであった。

それは母さんの生命観とどこかで通底しているようでもあった。

人間に生来備わっている機能、広い意味でいえば生き物が生きるために自ら作りだすありとあらゆるものには固有の目的があり、それに抗うことは生き物としての自己を否定することに他ならない。

母さんはそのような信念というか、生命観の持ち主だった。

だからなのだろう。

母さんと藤井さんは妙にうまがあった。

そんな二人のまわりを衛星のように回っていたのが父さんなのだ。

そして、誕生の瞬間に...

午後7時過ぎ。

四畳半の和室(わが家の分娩室である)で母さんの触診をしていた藤井さんが、ぼそりといった。

「自然破水。子宮口も全開。ぼちぼちかもね」

実はその少し前から母さんの様相が一変していたのだ。

それまでは、陣痛の痛みをうーうーという呻き声の形に還元して体外に放出していた母さんが、突如、猛り狂った野獣のような叫び声を発するようになったのだ。

「くるくるくる、やだやだやだ!」

容赦なく打ちよせる陣痛の荒波に漂い揉まれながら、あらん限りの声を張り上げて助けを求めているといった感じ。小節の利いただみ声というのか、かすれぎみの太い悲鳴というのか、なににしろその声は襖や壁はおろかマンション全体が揺れるほどの大きさだった。

「いやーッ、いやーッ!」

「NO! NO------------OH! 」

ともかく母さんは叫びまくった。

すでに日は暮れかけていて、室内に差し込んでいたオレンジ色の西日もだいぶその明度を失っていた。東側に掛けてある遮光カーテンの隙間からは、隣のマンションの部屋に明かりが灯っているのが見えた。

父さんのマンションと隣のマンションは、幅約2メートルの通路を挟んで並んで立っている。

で、ふと思った。

――隣近所にも、この絶叫は聞こえているんだろうなあ。

そう考えると、にわかに父さんの胸の中に不安が広がった。

母さんの絶叫を耳にしたどこかの誰かが、慌てて受話器を握る光景が頭に浮かぶ。

目の前では、藤井さんが触診用の新しいゴム手袋の用意をしていた。

父さんはいった。

「事情を知らない人がこの声を耳にしたら、ドメスティック・バイオレンスかなんかと勘違いして警察に通報しちゃうんじゃないかな」

状況からすれば、充分あり得ることのように思えたのだ。

ところが藤井さんはといえば冷静沈着。父さんの心配事など荒唐無稽だとばかりに軽く受け流した。

「まあそのときはそのときで、お巡りさんに近所まわりをしてもらいましょうよ」

そして、穏やかな口調で父さんに現実的な指示をだした。

「パパさん。ママさんを背中から抱えてあげて」

静かだが有無をいわさぬ力がそこにはあった。

父さんは素早く持ち場についた。

背中を押入と押入の間にあった柱につけ、両腕を母さんの背後から脇の下にまわす。それから上半身を抱え込むようにして中腰になる。そして、その体勢を保ちながらビニールシートの掛けられた敷き蒲団の上に静かに腰を下ろした。

傍から見れば、パンダかなにかを背後から抱きかかえているような格好である。

一方、藤井さんはといえば、母さんを抱えている父さんの正面で立て膝の姿勢をとっていた。

「口の痺れ、手の痺れはどう?」

藤井さんが母さんに尋ねた。

絶叫を繰り返していても状況判断はできているらしく、母さんは藤井さんの問いに二度三度、首を横に振って応えた。

特に痺れはないようだ。

そんな母さんの仕草をみて藤井さんは頷く。

「大丈夫、大丈夫。落ち着いて」

しかし、そういわれてもやはり痛いものは痛いらしく、数秒、長くても十数秒ごとに、耳を劈くような叫び声が、母さんの口から飛びだしてきた。

「いやーッ」

「ぎゃーッ」

「Oh my god!」

まさに激闘である。

よく考えてみればそれもそのはずで、母さんにとってはどれもこれもが初めての経験なのである。

肉体的な痛みのほかに、未知の世界に一歩一歩足を踏み入れていくような恐怖感だってあるだろう。ほんとうに自分は子供を産み落とせるのかという不安も拭いきれてはいないだろう。

藤井さんが、幼子を慰めるような口調でいった。

「はーい、力抜いて。そう大丈夫よ。ほーら、卵胞が出てきたよ」

卵胞? 

なんだろうと思い、一応訊いてみた。

「卵胞ってなんです?」

「赤ちゃんが入っている袋。それが出てきているから、もう直ぐのはずなんだけど」

そういいながら藤井さんは、母さんの子宮口のあたりを触診しているようだった。

「力抜いて。さあもう一回、息んで息んで!」

藤井さんの息んで息んでの声がかかるたびに、父さんの前腕を掴んでいる母さんの手に力が入った。するとその指先の爪が、ギュッと父さん皮膚にくい込んでいく。

最初のうちはかなりの痛みを感じていたのだが、何度か繰り返されているうちに徐々に感覚が鈍ってきて、暫くするとなにも感じなくなっていた。

父さんの腕はもはや父さんのものではなかった。

さらに、母さんと柱の間に挟まれている身体もまた、すでに部屋の一部になってしまったかのような感覚だった。

だからなのだろう。耳を劈くような母さんの叫び声すら、いつしかまったく気にならなくなっていた。それは、意識だけが自分の身体から遊離し、薄暗い室内の高みにそっと浮かんでいるような感覚だった。

藤井さんがぽつりとつぶやいた。

「ママさんの勢いに負けて、なかなか出てこないね」

それは母さんにではなく、父さんに向けられた言葉のようだったので、ほんの少し考えてから、父さんは応えた。

「恥ずかしがり屋なのかな」

すると藤井さんは、「照れているのかも」といって今度はけらけらと笑った。

と、そのとき午後8時を知らせるブラックキャップ・ティカディ(シジュウカラの一種)のさえずりが聞こえた。

――ということは、母さんはかれこれ一時間以上も髪を振り乱しながら雄叫びをあげていることになる。自然破水したのが午後7時過ぎだったから、いくらなんでもそろそろ出てきてもいい頃なのに...。

そう思うと父さんは少し心配になった。

「ちょっと、時間がかかり過ぎですか?」

藤井さんにそれとなく訊いたのだが、そんな父さんの言葉は母さんの絶叫にかき消されてしまったらしく、父さんへ応える代わりに、藤井さんは母さんに声援を送った。

「どんな声をだしてもいいから。がんばれ、がんばれ。もう、このお腹ともサヨナラだよ」

さすが肝っ玉かあさん。

藤井さんの落ち着きぶりはまさに百戦錬磨の強者といった感じで、その表情は、苦悶に満ちた母さんのものとは対照的に心底楽しそうでさえあった。

そのときだった!

父さんから見て左側、つまり東側のサッシ窓に掛かっていた銀箔色のカーテンが一瞬波打った。

母さんの左足が遮光カーテンの裾に触れたらしく、その爪先を見ると親指がこちら向きにギュッと反り返っていた。

その反り返った母さんの左足の親指を発見するや否や、父さんは思わず声をあげていた。

「きたきたきた、きたゾ~っ!」

知らず、母さんを抱えていた腕にも力が入った。

前方では藤井さんが、

「はッはッはッはッ、いいよ。大丈夫。はいはい、そら頭がでたよ!」

と叫んだ。

そんな藤井さんの声を追いかけるように母さんの荒い息づかいが聞こえた。

「はッはッはッはッ、はッはッはッはッ」

いよいよである。

父さんの腕の中で母さんの身体がめいっぱい緊張する。

そして、この日最大級の雄叫びが室内にこだました。

「いやだ~ッ!」

すると、抱えていた母さんの身体全体からスーッと力が抜けていき、同時になにかがズルリとビニールシートの上に滑り落ちる音がした。

束の間、室内がしんとした。

直後、

「はーい!」という甲高い声に続いて、「時間確認して下さ~い」と叫ぶ藤井さんの言葉が父さんの耳に飛び込んできた。

――やった。というのか、

――終わった。というのか。

そんな感情が胸に湧きあがるのを感じながら掛け時計に目をやると、時刻は午後8時10分を少しまわったところだった。

「8時12分です」

そういいながら父さんは、母さんの肩越しにビニールシートの上をのぞき込んだ。するとそこには、藤井さんの手の中で臆病なウサギのように縮こまっている君がいたのだ。

皮膚はグレーがかった薄紫色。

顔を下にして手足をくの字に曲げているその姿は、メスのカブトムシに似ていた。それにしても小さい。

藤井さんが母さんの目の高さに君を持ち上げながらいった。

「さあ、どっちだ? あッ、男だ!」

その藤井さんの言葉に呼応するように母さんも、小さく叫んだ。

「男だ、男だ」

母さんは藤井さんから君を預かると、汗ばんだ自分の胸の上にそっとのせた。

生まれたての命である。

目はまだ閉じられたままだったが、ほの字につぼんだ口は、母さんの乳房と乳房の間で微かに動いていた。それは開花を躊躇っている小さな花の蕾のようで愛おしかった。

「息、しているね」

と父さんがいうと、

「大丈夫。グーは大丈夫」

と母さんが応えた。

その声は、幾分ざらつき掠れてはいたものの、柔らかな調子になっていた。

そんな母さんの表情をニコニコしながら眺めていた藤井さんは、「胎脂をからだに塗り込みましょうね」というと、君の身体についていた乳白色の胎脂を丁寧に皮膚全体に塗り込みはじめた。

マッサージの要領で小さな背中から細い手足へ。小さな一本一本の指にも手早く胎脂を塗っていく。

そして藤井さんがいった。

「よく頑張ったよ、きみ。どこにも問題ないね」

すると、おずおずというか、にわかにというか、君が泣き声をあげた。

「キャー、キャー、キャー」

と三回。

その後ひと呼吸おいて、また、

「キャー、キャー、キャー」

と三回。

それが、はじめて耳にした君の声だった。

産声である。

その声は想像していたよりも遙かに細く危ういものだった。

はかなくて頼りなげな泣き声。

それは生まれたばかりの子猫の鳴き声のようでもあり、どちらかといえば心許ないものだった。けれども産声があがるたびに全身が薄紫色から淡いピンク色に変わっていく様子は、神秘的でありかつ感動的だった。

新しい命が君のからだ全体に浸透していくようで見ていてぞくぞくした。

「凄いなあ」

父さんには、他にいい表しようがなかったのだ。

そんな君を目を細めて見つめていた母さんの横顔に、藤井さんがいった。

「最後、きつかったね」

「うん。でも、もう忘れたみたい」

そういいながら母さんはトントントンと三度、君の背中を優しくたたいた。

トン、トン、トン。

すると君の目が静かに開いた。

母さんの胸の上で、ほんの少し顎を上に向けるようにしながら、君はしっかりと目を開けたのだ。

父さんと母さんはほぼ同時に小さな君の顔を覗き込んだ。

ブルーグレー、鳶色の瞳。

それは父さんの色でも母さんの色でもない瞳の色だった。

「やあ、父さんだよ」

その瞬間、それまでに感じたことのない激しい感情が父さんの全身を貫いた。

生き方が変わるということ

人生が一夜にして変わるなんて到底ありえない。

常々、父さんはそう考えていたのだが、違っていた。

父さんの人生は君の真っすぐな視線を目の当たりにした瞬間、真っ二つに分かれた。

前と後にすっぱりと分離したのだ。

それも、決定的に。

厳密にいえば、君が母さんの胎内にいたときから父さんとの親子関係は始まっていたのだけれど、ともかくあの瞳だ。

あの瞬間の君の瞳がすべてだった。

その瞳は森羅万象を呑み込んでしまう深淵であり、知恵の実を食べ過ぎて穢れきった大人(親と言いかえてもいい)の本性を映しだす純粋だったように思えた。

「ママさん、パパさん、見て。目を開けたわよ」(藤)

「見た見た。母さんを探しているんじゃない?」(父)

「あっ、今、あなたの方を見たわよ」(母)

「うん、見てる見てる」(父)

「おなかの中で聞いていたパパさんの声、覚えてるのよ」(藤)

「全然まばたきしないけど。あっ、また母さん見てるな」(父)

「顎あげちゃってどうしたの。ねぇ、君、オッパイ飲む?」(母)

そういうと母さんは、君の口を自分の乳首にあてがった。

「おっ、いきなり口にいれたぞ」

「パクパク、すごく強く吸ってる。オッパイ出ているかどうか分からないけど、すっごく強い。痛い、噛んじゃダメよ」

「でも、なんとなく老けた顔してないか?」

「どの子もそうなの。目の形なんてあなたにそっくりよ、アーモンドみたいで」

「どっち似かしら。涼しい顔してるわよね」

そんなたわいもない会話を母さんと交わしながらも、父さんの胸は自分が父親になったのだという実感で溢れていた。

それは信じられないぐらい硬い信念であり、自分自身が存在していることの最大の意味であるように感じられた。

――どんなことがあっても、とことん、わが子を守り抜く。

それ以外に父親としての存在価値はないのだ。

君の命が危険に晒されたとき、君を救う唯一の方法が自分の命を差し出すことであったなら、父さんは喜んでこの命を差し出す。

そう考えただけで父さんの身体は幸福に震えた。

喜びに胸が躍った。

大袈裟ないい方をすれば、それはまさに根元的な啓示であり、君を、そして君という新しい生命を生み出した母さんを守ることが自分の生きる目的であると確信したのだ。

これには父さん自身が驚いた。

そんな心境になるとは夢にも思っていなかったのだから。

ではどうしてそんな確信が父さんのなかに沸きあがってきたのだろうか。

それはひとえに、君が病院などの非日常的な場所ではなく、自宅という見慣れた空間で生まれたということがとっても大きいような気がする。

見慣れた空間の、連続した時間の流れのなかに生じた変化。

きのうまでは、父さんと母さんしかいなかった部屋にきょうは君がいる。

ただそれだけの変化なのだが、その変化がありふれた日常の中で起こったという事実は、想像以上に父さんの心を激しく揺り動かしたのだ。

多分、それは母さんにしても同じだったろう。

――とことん、守る!

そう決心すると父さんは、自分が実際よりもいい人間になったような気がして嬉しかった。

そう感じた自分自身が誇らしかった。

それもこれもすべて君のお陰なのだ。

サヨナラ、あんころもち、又きなこ。グー!

約束通り、母さんの胎内で「産出」された胎盤やヘソの緒は、藤井さんによって無事調理された。

ステーキナイフが胎盤を切り刻んでいく光景は、お世辞にも美しいとはいえないものだったが、そこから流れでた血液の鮮やかな赤い色には度肝を抜かれた。

胎盤シチューを楽しみにしていた母さんがあの血液を見たら、さぞや感動したことだろう。24時間近く陣痛と戦った母さんは、そのときにはもうぐっすりと眠っていた。

静かで規則正しい寝息。

そんな母さんの横には籐製のバスケットが一つ。なかでは、つい今しがたまでその鳶色の瞳でこの世の不思議(?)をしげしげと眺めていた君が穏やかな寝息をたてていた。

小さな尻をポコン!と突きだした格好は、実に滑稽だった。

やはり、カブトムシの形である。

帰りの支度を済ませた藤井さんが、そんな君と母さんに目をやりながらいった。

「ママさん、疲労困憊ってとこかしら。でも、ぐっすり眠っていられるのも今晩だけだから。パパさん、明日から頑張ってね」

昼夜の区別がない赤ん坊の世界。

そんな生活がこれから先しばらく続くのだということを、藤井さんはやんわりと父さんに伝えたかったのだ。

「重々承知しております」

父さんがわざと慇懃に応えると藤井さんは、

「OK、それじゃ」といって、すたすたと玄関に向かった。

ところが靴を履く間際になって突然クルリと振り返ると、いきなりある唄のようなものを口ずさんだ。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」

最後の〈ギュッ〉のところでは小さな握り拳をつくった。

「なんですか、それ?」

父さんが尋ねると藤井さんはニコリと笑って、

「わらべ唄よ、いいでしょ」と応えた。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。ギュッ!」

口ずさんでみると、ほっかりした語感がとっても良かった。

すると藤井さんは、最後の〈ギュッ〉のところを〈グー〉に代えてもう一度口ずさんだ。もちろんその〈グー〉のところでは小さな握り拳をつくった。

「サヨナラ、あんころもち、又きなこ。グー!」

さすがは肝っ玉かあさん。なにげに洒落た真似をしてくれる。

藤井さんのつくった右手の握り拳を見ながら父さんは思った。

――そうだなあ。もうグーじゃないんだなあ。

玄関からマンションの外階段にでてみると、やはり外は真夏の夜だった。

三夜連続の熱帯夜。

もわっとした熱気が辺り一帯をおおっていた。

唯一、遠くに聞こえるセミの鳴き声だけが、沈滞した空気に微かなアクセントをつけていた。懸命に胸を震わせて一心に生命を放散するセミ。

もし命が7日間しかないのなら、それこそ昼も夜もないのだろう。

藤井さんはこちらに手を振りながら、マンションの横にある月極め駐車場沿いの舗道を歩いていた。

その遙か向こう側。夜陰に濃い緑が点在する碑文谷の低い住宅街の彼方では、東京タワーの航空障害灯が赤く、静かに明滅していた。

(飯村和彦)

(2017年3月18日「TVディレクター 飯村和彦 kazuhiko iimura BLOG」より転載)

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