北方四島のビザなし交流で国後島を訪れた丸山穂高衆院議員が、ともに訪問した元島民の大塚小弥太さん(90)=札幌市南区=に対し、戦争によって島を取り返すことへの賛意を執ように迫った問題は大きな波紋を呼んだ。
衆議院は6月6日、事実上の辞職勧告を突きつける「糾弾決議」を全会一致で可決したが、丸山氏本人は議員を続ける姿勢を崩さず、今なお収束する気配はない。
問題の焦点は、選挙で選ばれた丸山氏を暴言を理由に国会が辞めるよう「圧力」をかけることの是非に移っているが、北方領土問題を取材してきた私にとっては、元島民らの感情を傷つけ、今後のビザなし交流に大きな打撃を与える方がよほど重大だと考える。
私は朝日新聞記者時代、2014年までの3年間はモスクワ支局に勤務し、北方領土問題をロシア側の視点を中心に取材してきた。
その後は北海道報道センターに異動し、元島民の日本人だけでなく、現島民のロシア人たちも取材する機会に恵まれた。ビザなし交流も複数回、参加している。
25年かけて「距離」縮まる
ビザなし交流が始まったのは1992年。この前年に崩壊したソ連(ロシアの前身)のゴルバチョフ大統領が日本側に提案したのが始まりだ。
日本側の目的は、北方四島(択捉、国後、色丹の3島と歯舞群島)の返還による領土問題解決のための環境を整えることにある。
意外に知られていないようだが、ビザなし交流は日本人が四島に行くだけでなく、ロシア人の現島民たちも日本を訪れる双方向の事業だ。
内閣府によると、ビザなし交流で四島に渡った日本人は、2016年度までにのべ約1万2900人、日本にやってきたロシア人は同約9100人にのぼる。
交流は当初、言葉の壁や感情的なしこりもあってぎこちなかった。日ロの参加者の間で、領土問題をめぐって言い合いになることもあった。
だが、回を重ねるに従って互いの「距離」は縮まっている。
例えば、2014年6月、私も参加した色丹島への訪問では、島に住むロシア人たちはこんなことを言っていた。当時の取材ノートをめくる。
「歯舞、色丹の2島返還が日ロの妥協点。色丹が日本に返還されても、私は日本人と一緒に暮らす準備はできている」。こう語ったのは60代の女性だった。
別の男性はこう話した。
「ビザなし交流によって、(ロシア人)島民と(日本人)元島民の絆は深まっている。島の返還だって十分実現可能だ。一度に解決しなくてもいいと思う。一番小さい歯舞群島から返し始めたっていい」
一方、日本人たちはどう感じたか。
訪問した札幌在住の男性はこんな思いを打ち明けた。
「島が還ってきたらロシア人と一緒に暮らすことしか考えられない」
他界した父は色丹島の出身。返還運動に身を投じながらもロシア人との信頼関係をつくり、島ではちょっとした有名人だった。
男性は父親の活動について改めてロシア人から聞いて感動し、目頭を熱くしていた。
領土問題に「縁遠い」とされる若者たちにとっても、交流は印象深いものになるようだ。
同じ年の9月、択捉島を訪れた女子高校生は複雑な胸中を明かした。
「島を返してもらうことになれば、ロシア人の住んでいるところを奪うことになりかねない。それではかつて日本人の島民が受けた仕打ちと同じこと。それはしたくない。実際にロシア人と交流したからこそ、切なさや悲しさがこみ上げた」
祖父が国後島出身の別の女子高校生はこう述べた。
「日本人の元島民にとっても、今島に住んでいるロシア人にとってもふるさとなんだと実感した。例えば色丹、歯舞を返してもらって、国後、択捉は日本人が自由に行けるようにするとか、日本側も四島返還を妥協する必要があると思う」
日ロ双方の交流参加者は互いの優しさに触れ、相手国への先入観を氷解させる。
ロシア人側が「日本人と島で一緒に暮らす用意はできている」と言えば、元島民の日本人側も「現島民のロシア人にとっても四島は故郷」と気遣う。
「薄氷」状態
交流が始まって25年。元島民の日本人と現島民のロシア人の中にはそれぞれ、複数回交流に参加し、すでに友人のように親しい関係を築いている人たちもいる。
交流は2日程度だが、ハグをして再会を喜び、別れるときは涙を流す。限られた時間で少しずつ友情を育んできた。
もちろん、ロシア人の現島民がどれほど領土返還に好意的かどうかは四島ごとに濃淡はある。
平和条約交渉に対するプーチン大統領の態度がここ最近、硬化したことを反映してか、現島民の9割以上が4島の引き渡しに反対しているとのロシア側の世論調査の結果もある。
そんなときだからこそ、ビザなし交流の役割は大きいはずだ。にもかかわらず、実際には「薄氷」を踏む状態で続いている。
日ロ双方のビザなし交流を実施する団体や外務省などは毎年3月、次年度のビザなし交流の計画などを決める非公開の会議を開くことになっている。
この場で、ロシア側からしばしば厳しい「注文」が突きつけられる。
例えば2015年。ロシア側は、日本の訪問団が滞在登録をすることや、関係書類に訪問場所を記載する際、ロシア語の名前を使うよう要求した。
滞在登録は、ロシアに滞在する外国人に対し、法的に義務づけられている手続きだ。これを受け入れればロシアの施政権を認めることにつながり、日本側にとってはのめない条件だ。
ロシア側はさらに、択捉島へのビザなし訪問ができない可能性も指摘した。理由はやはり滞在登録をめぐるトラブルだった。
この前年、日本語教師として国後島に派遣された日本人4人が滞在登録をしていなかったことをロシアの移民当局が問題視した。
日本の訪問団を長年受け入れてきたロシア側の企業が罰金を支払う羽目になったが、それが影響して倒産に追い込まれた。
受け入れ業務の引き継ぎがうまくいかず、択捉島への上陸が困難と説明されていた。
ビザなし交流は、日ロ両政府が互いの法的立場を害さない約束で実施しているにもかかわらず、ロシア側はしばしば、滞在登録や出入国カードの提出などを求め、訪問自体が取りやめになるケースがある。
主権という国家の論理が、住民同士の交流を阻んでいる。
ほくそ笑むロシア
交流の障害になるのは国家だけではない。2016年には国後島へのビザなし訪問に通訳として同行した男性が島を離れる際、無申告の現金400万円を持ち出そうとしていたことが発覚し、ロシア側に拘束された。
通訳はロシア人の知人から日本の関係者に渡すことを頼まれて預かったとみられる。ロシア側が法的手続きを取る「隙」を与えてしまった。
通訳を「救出」するため、後続のビザなし訪問船が使われたが、逆に訪問団は島に上陸できなかった。
実施団体は、上陸できなかったのは「はしけ船が故障したから」と説明したが、通訳問題が全く影響しなかったとは言えないだろう。
訪問団に参加した元島民らはロシア人たちとの交流を楽しみにしていたが、それがかなわず悔しがった。
こうした経緯を考えると、丸山氏の一連の言動がいかに危険な行為だったかが分かるだろう。
ロシア側にしてみればまた一つ、ビザなし交流を牽制するための材料が日本側の「失策」によって手に入ったと、ほくそ笑んでるかもしれない。
そして何より、元島民たちの感情を傷つけ、落胆させた。
戦争によって島を取り戻すことへの賛意を迫られた大塚さんはさぞ不愉快な思いをし、怒りがこみ上げたことだろう。
北海道で勤務していたころ、私は大塚さんを取材したことがある。
国後島の出身で、父母と祖母、きょうだいと暮らしていた。
国民学校の卒業を機に、大塚さんだけ札幌に移ったところ、旧ソ連軍に島は占領され、戻れなくなった。
家族は船で脱出し、何とか根室で再会できたが、ふるさとは奪われたままだ。
丸山氏の発言が問題になった後、大塚さんに電話をかけた。だが彼の口は重かった。「どのメディアの取材も受けてないんですよ。悪いね……」
丸山氏は島で酒を浴びるように飲み、外出しようとした。さらには「おっぱいもみに行きたい」などと発言したという。
そんな状態で外出すれば間違いなくロシアの警察に拘束される。そうなれば、ロシアの法的手続きを受けざるを得なくなり、日本の立場は苦しくなっただろう。
そもそも発言自体、ロシア人の女性に対して失礼極まりない。
翻弄され続けた元島民たち
ビザなし交流にしろ、領土交渉にしろ、元島民たちはこれまで何度も国家の論理や政治家の失言などに振り回されてきた。
安倍晋三首相が2016年、訪日したプーチン大統領と会談した際も、島を舞台にした共同経済活動について合意したものの、領土返還については進展はなかった。
会談前、安倍首相自ら「突破口を開く手応えを得られた」などと期待値を上げていただけに、元島民たちの失望はことのほか大きかった。
交渉が行き詰まると、安倍首相は4島返還から色丹、歯舞の2島返還へと方針を「妥協」したが、それでもロシア側の反応は厳しい。
元島民の平均年齢は80歳を超えている。
ビザなし交流という形で彼らがあと何回、ふるさとの地を踏めるのか。あるいはいつ、島の返還は実現するのか──。
一刻の猶予もない中、問題を起こした丸山氏の責任と代償はあまりに大きいだろう。
元島民たちをこれ以上、失望させてはならない。