まぁいっか。終わったことじゃし。
そう思っていたけどやっぱりあの時感じたこと、考えたことをどうしても形にしたいと思い、少し(結構)時間が経ったけど、12月7日から2月5日の約2カ月間点灯していた原爆ドーム周辺のイルミネーションについて書きたいと思います。
自分は胎内被爆者の三登浩成さんの指導の元、雨の日以外毎日広島の平和記念公園、原爆ドームのすぐ隣でボランティアガイドをしています。
簡単な自己紹介については以前の記事から。
毎日いるので、原爆ドーム周辺のいろいろな変化をいち早く感じることが出来ます。
例えば、もう少しで原爆ドームの周りのツツジの花が咲きそうです。こんな感じで。(4月21日撮影)
イルミネーションの時もそうでした。
12月1日。
イルミネーションの設置が始まりました。
聞いてみると、原爆ドーム世界遺産登録20周年ということで、広島市が企画した平和のイルミネーションの設営をしているということでした。
まず、それを聞いた時に原爆の悲惨さを象徴し、実際に建物の中でも多くの命が失われたこの建物の周りを電飾で飾るということに大きな違和感を覚えました。
しかし、当たり前のようにイルミネーションの設営は進んでいきました。
数日後、朝日新聞が記事にしたことにより、このイルミネーションについて議論が行われるようになりました。
報道によりイルミネーションが当たり前のように行われず、議論が起きたことはいい事です。しかし、議論をみていると点灯前から点灯後まで終始一貫して〝原爆ドームの周りにイルミネーションはありか、なしか〟というような表面的な議論だけになっていたのではないかと思います。
点灯中にはニュース番組だけではなく、時にはバラエティ番組で取り上げられたこともあり注目を集めた反面、なにかひとつのトピックや話のネタのようになっていました。特にネット上では様々な意見が飛び交っていました。
しかし肝心な議論をする上で基本的な判断材料になるはずの「原爆ドームや平和公園はもともとどんな場所だったのか」、「被爆者や、原爆を伝えて来た人達にとってどのような場所なのか」などの話にはあまり焦点が当てられず残念でした。
これは昨年5月のオバマ大統領の訪問時に記事を書かせてもらいましたが(オバマ大統領が去った広島で、23歳のボランティアガイドが思うこと。)、この時に感じた違和感と重なるところがあります。
〝謝罪が必要かどうか〟という表面ばかりがクローズアップされ、判断材料になるはずのあの日、そして今までに何が起きたか、なぜ謝罪を求めるのか、なぜ謝罪を求めないのか、被爆者が本当に伝えたいこと、そのようなより深い話はあまりなかったように感じます。
また、結果的に謝罪を求めないという被爆者の声は切実な想いと裏腹に、日米同盟をアピールする上で政治的に利用されてしまった感も否めません。
イルミネーションについてですが、被爆者を含め平和公園で毎日会うガイド仲間、いつも平和公園を散歩している地域の人などに意見を聞いたところ、「ぜひやって欲しい」という人は1人もいませんでした。
その中で被爆者の寺尾興弘さんはこのように言っていました。
「そりゃイルミネーション自体は綺麗じゃし見て嫌な思いする人はおらんよ。けど、場所を考えんと。ここは本当に大事な場所なんよ。あとはここに人がたくさん来てくれるのは嬉しいけど、たくさん来ればいいっていうもんじゃなくて、まずは来た人にもっとちゃんと伝えんにゃあ。はぁー、今までもいろんなことがあったけど、今回は本当に哀しい。そして情けないよ。」
戦争で父を亡くし、原爆症で母親を亡くし、自身も4歳の時に被爆しており「悪い病気がうつる」と差別されたことから被爆者である事実を長い間隠してきた経験もあるこの寺尾さんのこの痛切な思いは、〝イルミネーションについての賛否両論〟という面で見ると〝否〟の意見のうちの1つでしかありませんでした。
寺尾さんはこのようにも言っていました。
「原爆を受けた人の中には今でも炎を見たり、なにかが焦げた匂いで当時の事を思い出して辛い思いをする人がいる。僕自身もこのイルミネーションが点灯する瞬間を見た時はなにか心臓がドキッとした。(反対だが)賛成、反対とかいう事を抜きにしても、見た時に怖くて、悲しい気持ちになった。こういう思いをしている人は他にもたくさんいるはず。」
また、寺尾さんは点灯後の心情を昨年の12月に文章にしています。
もちろんこれは1人の被爆者の意見であり、被爆者全体の総意ではありません。しかし、被爆者の意識として共通する点は多いと思います。この文章の重みを感じてもらえたらと思います。
寺尾さんは戦争、原爆で傷付いた両親と重ね合わせて、原爆ドームの模型を半年かけて製作、またその後元気だった頃の両親をイメージして2年かけて被爆前の産業奨励館をステンドグラスで完成させました。それだけに原爆ドームに対してとても強い思い入れがあります。
寺尾興弘さんとステンドグラスの模型と村上正晃)
寺尾さんは体調が優れないこともあり毎日ではありませんが、天気の良くて気温の高い日には、原爆ドームの隣でステンドグラスの模型を横に、自身の体験や被爆の実相を伝えるガイドをしています。
ぜひ話を聞きに来てください。
多くの人が広島の平和記念公園、原爆ドームを訪れるということはとても大事だと思います。来ることでなにか感じることがあると思います。それはよく理解しています。
しかしその際、亡くなった人や現在生きている被爆者をもっと大切にしなければならないのではないかと思います。
原爆ドームの前でジャンプしたり変顔して写真を撮っている人達も毎日のように見かけます。残念ながらそのほとんどが日本人の若い世代です。
自分はイルミネーションや、原爆ドームの前でふざけている人達をただ批判したい訳ではなくて、もっとここで起きたことの重さを理解してもらいたいのです。知ろうとして欲しいのです。
自分がなぜ、ここに強くこだわるのかというと、3年前にガイドを始めるまで、自分にとって原爆ドームは〝ただのモニュメント〟だったからです。
広島出身で平和教育を受けましたが実はあまり覚えておらず、大人になった時に残っているのは戦争はダメ、平和は大事、という抽象的なイメージだけでした。なぜ戦争がダメで、どれだけ平和が尊いものかなどは考えたこともありませんでした。考えようともしませんでした。ちなみにガイドを始めた際は、爆心地はどこ?と聞かれても答えられない、元々平和公園には街があったことも知らなかったほどです。
これは自分だけではなくて、今までガイドした広島の人達のほとんどが一緒です。
もし、ガイドを始めた頃にこのイルミネーションが行われていたならば、自分は真っ先に「平和の為にここを飾り付けることは素晴らしいことだ!」と言っていたと自分自身で思います。
しかし、約3年間ガイドをしてきて、被爆者やガイドの方からいろんな話を聞いて、自分で勉強して来た今、どうしてもそうは思えないのです。学ぶ過程で原爆ドームや平和公園はとても大事な場所になっていきました。
今、それを考えた時に、なにも知らない、知ろうとしなかった自分の意見と、過酷な体験をした被爆者や、自らに経験はなくても一生懸命原爆を伝えて来た人の意見が賛否両論で見た時に同じ重さというのは、自分自身恥ずかしく、申し訳なく感じるのです。
だから、イルミネーションについて賛否両論だけではなくて、1つ1つの意見の重さを感じてもらいたいです。
実際にイルミネーション点灯後の様子について。
このようにドームの周辺が青い光で飾られました。
何度かイルミネーション点灯中に様子を見に行きました。
周辺ではイルミネーションをバックに写真を撮ったり、イルミネーションと原爆ドームの写真を撮る人の姿が目立ちました。
中にはじっくりドームを見つめる人もいましたが、その人たちがイルミネーションをきっかけに来たのかどうかは分かりません。
広島市が12月28日のイルミネーション点灯中に原爆ドームを訪れた人達にとったアンケートによると、回答者は計131人。来た目的は複数回答で「観光」が67人(44.1%)、「慰霊」が20人(13.2%)、「イルミネーションを見るため」が26人(17.1%)でした。是非については101人(77.1%)が「問題ない」。「控えるべき」は8人(6.1%)、「どちらともいえない」が22人(16.8%)だったそうです。
このアンケートでも全体の数字だけではなく、もっと深めて、慰霊で来た人や控えるべきと答えた人はどう思うか、観光で来た人はどう思うか、また、被爆者に対してもアンケートをとってもらいたかったです。
1つ自分宛に送られたメッセージを紹介します。
―――
原爆ドーム前のイルミネーションですが・・・
4日の夜に宮島観光から帰ってきて疲れていたのですが見に行かないと後悔すると思い思い切って子供を誘って夜の原爆ドームに行きました。
昼間と違って人はほとんど居なくひっそりとしていて明るい時に見る印象と随分違って見えるなと思いました。子供も昼間見るより色々と思うところがあったようでじっと見つめていたのが印象的でした。子供の感想は「今はどんな言葉も薄っぺらくなってしまう気がする。知っている言葉を並べるなら悲しいとか怖いとか怒りとかそーゆー言葉が思い浮かぶけど、どれも違う気がする。ここで生活をしていた人の事を思うと胸が張り裂けそうな気持ちになる。切ないな・・・」って言っていました。
広島から帰って思い出される景色は夜の原爆ドームとその向こうを走る路面電車の姿と音です。
イルミネーションがあったことが全く思い出せないのです...。主人も同じ感想でした。
そして子供も一緒でした。子供にイルミネーションの事をどう思ったのか聞いたのですがあったことすら覚えていませんでした。それくらい夜の原爆ドームにインパクトがあり子供の心に深く残ったのだと思います。
―――
このように、原爆ドームが目的で来た人の中にはイルミネーションが視界にすら入らなかった人もいます。
この方は先ほどのアンケートに照らし合わせると、イルミネーションについては「問題ない」だと思います。(気にならなかった程なので)
しかし、「ぜひすべき!」かと言ったらそうではなかったのでは無いかと思います。
「問題ない」という人はいても、「ぜひして欲しい!」という人はほとんどいなかったのではないかと思います。
反対に強い思いを持って「ここではして欲しくない。」という人はたくさんいました。だからそもそも賛否両論ですらなかったのではないかとも思います。
原爆ドームはイルミネーションとは別に年中このような形でライトアップされています。そして、静かに原爆の悲惨さを訴えています。ぜひ、じっくり見て考えてもらいたいと思います。
これらを踏まえて考えた時に、約800万円の予算をかけて実施したこの〝平和のイルミネーション〟にどれだけの意義があったのか、見た人にどのような影響を与えたのか、被爆者はどう感じたのか、〝賛否両論〟で終わらせずしっかりと問い直していく必要があるのではないかと思います。
自分が特に伝えたいのは、イルミネーションに賛成、反対ということよりも(反対ですが)、もっとここで起きたこと、平和公園や原爆ドーム、そして、今生きている被爆者を大切にして欲しいということです。
平和公園は盛り土して整備された為、今でも地面の下には小さな遺骨が残っています。また、当の被爆者の中には今でも放射線の影響により苦しんでいる人がいます。
原爆は昔話ではないのです。
記事の最初に書いた
まぁいっか。終わったことじゃし。
という言葉があります。
終わったことだし、今なにを言ったからといって、なにか変わる訳ではないのかもしれません。
けど、やっぱりあの時感じた違和感、聞いた被爆者の声を自分は少しでも伝えたい、伝えなければと思いました。
平和公園、原爆ドーム、資料館を訪れる人は近年増えています。しかし来たら良いではなくて、来てしっかり学んで帰ってもらいたいと思います。そして、帰った後も学び続けてください。
平和公園、原爆ドーム、資料館を訪れる事はゴールではなくてスタートです。
72年経つ今だからこそ学ぼう。
そして伝えていこう。
ブログ「24歳が原爆を伝えるガイド日記」
村上正晃(広島平和記念公園ガイド)