「ちょっといいですか」。2019年10月、原宿にある「プライドハウス」で開かれたHIV/エイズ啓発イベントで1人の男性が手を挙げた。
「僕はHIV陽性です。透析治療も受けているのですが、たくさんの医療機関から治療を拒否されました」
男性の名前は、長谷川博史さん。HIV/エイズの差別が今以上に強かった1990年代から、講演活動などを通して差別解消を訴えてきた。
HIV/エイズ差別の治療は、過去数十年で大きく進歩した。しかし、差別や偏見はなくなっていない。その中でも、長谷川さんが特に問題視しているのが「医療現場での差別・偏見」だ。
医療現場にどのようなHIV/エイズ差別が残り、どんな影響を与えているのか、長谷川さんに聞いた。
勇気を振り絞って、検査にいった
長谷川さんが自身のHIV陽性を知ったのは1992年。長谷川さんはゲイで、過去にコンドームをつけずにセックスしたことがあった。きちんと調べておかなければと勇気をふりしぼって受けたHIV検査で、陽性という結果が出る。
アメリカでのエイズパニックをTVで見ていたので、自分も検査しなきゃと思っていたんですが「もし感染していたら……」と思うと怖くて。検査に行くまで、心の準備に4年かかりました。
僕は性感染によるHIV感染報告者の、110番目くらいなんですね。まだ陽性者数が多くなかったから、「HIV陽性」と書かれた結果を見た医師の方がびっくりして、検査表を置いたままで部屋を出て行ってしまった。残された紙を見て、僕は自分がHIV陽性だと知ったわけです。
それはもう、ショックでしたよ。今のように薬を飲めばなんとかなるという認識は当時なかったですし、一時は死のうと思いました。
それでもなんとか立ち直って治療を始めたんですが、最初に飲んだ薬が半年で効かなくなった。次に飲んだ薬は10カ月でダメに。
当時はその2種類の薬しかなくて、先生どうしようって言ったら「これ以上薬ないから、2つまとめて飲むか」って言われた。そういう時代だったんです。
幸いにも、僕の場合はその2つ一緒に飲むという治療法が効いたので、それをしばらく続けました。
透析を断られ続ける。「生きてなくていい」と言われているようなものだった
透析が必要になったのは2010年頃。HIVと並行で治療をつづけていた糖尿病が原因だった。その時に、HIV陽性者が医療上差別を受けることを、身をもって実感する。
2010年頃に、糖尿病の影響で透析が必要になりました。当時通っていた大きな総合病院では、透析に必要なシャント(血液を取り出しやすくするための血液回路)を作る手術はしてくれたけど、僕の自宅近くでHIV陽性の患者を受け入れてくれる病院は知らない、と言う。
だから、自分であちこち電話をかけて探したんだけど、これがなかなかみつからない。
糖尿病患者にとって透析クリニックに通うことは死活問題なんです。
最終的に、新宿区内の病院を見つけて受け入れてもらえたけれど、結局20軒は断られましたね。
都心の病院に2年くらい通った後、60歳になって収入も減ったこともあってね、都心から郊外に引っ越そうと思ったんです。
住むところが決まって契約もしたのに、透析クリニックは断られ続ける。それが続いて、最終的に40軒のクリニックに透析を断られました。
最初はHIV陽性と伝えずに「透析を受けたいんですが」と言うんです。そうすると「いつからいらっしゃいますか」って歓迎される。
ところが「僕はHIVを持っているんです」と話をした途端に、手のひらを返されるんです。中には、「うちではエイズの患者さんはやっていません」とか「なんでうちだよ」と言って電話をガチャンと切られたところもありました。
1週間透析しなかったら死んでしまうから、透析を断られるってことは「お前は生きてなくていい」って言われているようなものなんです。
HIV陽性の人を受け入れてくれるクリニックをみつけるのは、実は東京の方が難しいんです。
地方だと、病院の数が少なくて患者を受け入れざるを得ないので、社会のための医療という視点がある。
だけど病院数が多い東京では、自分が受け入れなくても他にも病院がある、と考えるのでしょう。40軒も断られて、東京の透析クリニックには社会医療の発想がないということをつくづく感じました。
医療社会に残る差別が与える悪影響
断られた続けたことで、長谷川さんはうつ状態になった。その後、周りのサポートで受け入れ先の病院を見つけることができたが、立ち直るまで2年かかった。HIV/エイズの治療は進歩し、6カ月以上治療を継続して、ウイルスが検出されない状態では、感染の恐れはないと言われている。しかし医療現場での偏見は根強く、透析以外でも差別を受けていると長谷川さんは話す。
医療施設は、本当は一番陽性者が頼らなければいけないところなのに、HIVやエイズへの偏見がとても強い。
つい最近も、北海道の病院がHIV陽性を理由に社会福祉士の内定を取り消したことを訴える裁判がありましたが、あれには憤りを通り越して呆れましたね。
過去のHIV陽性者の解雇訴訟で、雇用者側が負けているということを勉強していないのか、医療者はそれだけHIV/エイズに関心がないのか、と思いました。
もちろん、HIV陽性者のことを一生懸命やってきた医療者もいるから、「医療者は」という一般論では僕たちは語りたくない。僕たちの命を繋いでくれたのも、一緒に戦ってくれたのも医療者の人たちだったしね。
HIVの治療は大きく進歩しました。だけど差別や偏見はなくなっていません。
HIV陽性者は、透析以外にも産婦人科や歯科で診療を断られています。HIV陽性者の中には、歯の状態が悪い人がたくさんいますよ。医療者側に偏見があるから「診療拒否されるかも」「差別されるかも」と思うと、怖くて歯医者に行けないんです。
HIV陽性者の解雇や診療拒否が今でもあるのは、医療を商売道具としてしか考えていない人たちが医療社会にいるからだと僕は思う。
彼らにとって、HIV陽性者はビジネスの邪魔なんでしょう。少しでも医療者の社会的責任を考えているんだったら、拒否はできないと思います。
これからは、HIV陽性者のQOLも考える時代
HIVの治療を続けてきた人の中には、治療期間が長くなり他の病気を抱えている人もいる。医療現場に正しい知識を浸透させて、差別を無くし、HIV陽性者のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)を考えていくのが今後の課題だと長谷川さんは話す。
これから、HIV陽性者の高齢化が問題になると思います。治療や検査の大切さを伝えることに加えて、HIV陽性者のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)も考えていかないといけない。
10年、20年とHIV治療をしている人の中には、腎機能障害、肝機能障害で苦しんでいる人もいます。
HIV陽性者が長く生きる中で、歯科治療や透析治療、産婦人科といった一般的な治療でのHIV/エイズへの偏見の除去も進めていかなければいけない。
医療機関の中で、そのことが軽視されてはいけないと思います。
僕が2002年に立ち上げたHIV陽性者の当事者団体「日本HIV陽性者ネットワークJaNP+(ジャンププラス)」では、東京都内でHIV陽性者の定期的な交流会を、地方では不定期ではありますがグループミーティングを開催しています。
地方は他の陽性者と会える機会が少なく、当事者が孤立しがちです。グループミーティングは同じ立場の人とつながり、交流できる機会になっています。これを契機に自分たちで活動をする現地のグループも生まれているんですよ。
今後は治療だけでなく、心理的・社会的な支援という視点がますます大事になると思います。
監修:感染症科医 来住知美氏