「円と直線」というシンプルな図柄で、着物の価値を現代にアップデートし続けているアーティスト・高橋理子さん。
2007年のミスユニバース世界大会で優勝した森理世さんがまとっていた、ナショナルコスチュームの着物のデザインを手掛けた。その後も、相撲界の名門・九重部屋の浴衣を手がけたり、マレーシアの民族衣装を製作し、マレーシア・ペラ州の王様に献上したりと、国内外で活躍する彼女。その作品はロンドンのビクトリア&アルバートミュージアムにも永久収蔵されている。
そんな彼女のクリエーション活動を語る上で欠かせないテーマの一つが「ジェンダー」だ。
一般的に着物は、男女で形や柄、着こなしが異なり、まさに伝統的なジェンダー規範を体現する服装。
しかし、高橋さんのデザインする着物の柄は、一貫して「ジェンダーレス」だ。円と直線のみで、性別の色に染まらないデザインを打ち出す。
さらに、“より強いメッセージ性を込めた作品”を発信する際には、その表現方法にもこだわる。彼女自身が着物に袖を通し、足を広げて「仁王立ち」をする。その姿を通して、「伝統的な女性らしさの規範」を含めた社会の固定観念に真正面から向き合う。
着物を通して「女性/男性らしさ」という画一的なジェンダーイメージを打ち破ることに挑む高橋さんにインタビューで迫った。
「女の子だからね」と言われる度に抱いていてきた違和感
「LGBTQのQって最近知ったんですけど、私それかもしれないです…」高橋さんは物心ついた頃から何となく感じてきた性への違和感を吐露する。
Q(「クエスチョニング(Questioning)」)とは、自分の性的指向や性自認を迷っている状態を指す。
「子供の頃も、女の子の服も着るけれど、父の服を着て出かけることもあったり、我が家はジェンダーに対して自由だったんです。だからか、外で周囲に『女の子だからね』などと言われると、気持ち悪さを感じていました。書類を書くときに<男・女>のどちらかにチェックをするじゃないですか。そんなとき、いつも『一応ね』とつぶやきながら<女>に丸をつけるんです」
「女の子らしさ」を押し付けない自由な家庭で育ったからこそ、世間の「女性/男性」というジェンダー規範に、より一層のギャップを感じてきたのかもしれないと話す。
中学生の時は、長い髪のせいで「おとなしい女の子」と見られたことが嫌になり、翌日髪をバッサリと切って登校したこともあった。
「以前バイクに乗っていたとき、事故に遭ったことがあるんですね。そのとき、男性の警察官から『女のくせにバイク乗るなよ』って言われたんです。男性でも、私より体格が小さくてバイクを持ち上げられないような人もいるだろうに、なぜそんな風に性を分けて考えるんだろうって…」
「ジェンダーレスなドット柄」へのこだわり
これまであまり前面には発信してこなかったが、最近は自身のクリエーション活動と「ジェンダー」というテーマが強く結びついていることを「つくづく感じるようになった」という。
着物の「反物」は、同じものから男性用・女性用どちらにも仕立てることができるが、男女で柄が異なることが多い。しかし、彼女は性別でデザインを分けることはしない。
たとえば、高橋さんのデザインの代名詞である「ドット柄」にも、「ジェンダーレス」への意識的な試みがある。
一括りに「ドット柄」と言っても、円の大きさや、配置のバランスによって、見る人に与えるイメージは変わる。
高橋さんのドット柄は、全ての円が碁盤の目にはまるように等間隔に配置されたもの。この比率を守ることで、男性らしさもにも女性らしさにも染まらない幾何学的な「シンプルなドット柄」を生み出すことができると彼女は言う。
また、高橋さんのアイコンでもある、自ら手がけた着物を着て仁王立ちをするポートレート。「これは社会に対する自分なりの“反骨心”」なのだと、彼女は言う。
「“着物を着た女性が足を開いて立つ”というのは、基本的に良しとされてはいない。女性たちは着物を着る度に『内股でおしとやかに歩きましょう』って言われてきたと思います。でも、私にはそれが全然しっくりこなかったんです。
私は学生時代に柔道をしていたんですが、練習中はずっと仁王立ちでした。それが一番自然体で、今でも気がつくとその立ち姿でいることが多いんです。着物の着姿として、その立ち姿が美しいか否かは別として、自分らしく生きるというあり方を、“仁王立ち”という姿で表現しています」
なぜ男の子の水着は下半身だけで、女の子は上半身も隠すの?
なぜ女の子といったら「ピンク色」なの?
気付けば、私たちが盲目的に従っている「こうあるべき」とされている、様々なこと。
彼女がクリエーション活動で届けたいのは、そんな固定観念に対して私たちが「考え直すきっかけ」だ。
「『女の子/男の子だったらこうしなさい』みたいなことも、法律で決まっているわけでもないし、誰かに迷惑をかける事でもない。みんなが『こうあるべき』と思い込んでいる事も、実際はそうでないことも多い。一歩踏み出したら新しい世界が広がるということって、実は沢山あると思うんです。だから私は、ただ可愛くて素敵な物を届けるということ以上に、人々が社会のあり方について考え直すきっかけとなるものづくりをしたいといつも考えています」
「私の人生、これ以外ありえなかった」
現在、高橋さんは東京・押上にある高橋理子株式会社のスタジオで、共同経営者でもあるパートナーと子育てをしながら働いている。
初出産は30歳後半。もともと子どもを産みたいとは強く思っていなかったが、年齢を重ねるうちに、出産に向き合うことを決めた。
子どもを持つ決断をしたのは、パートナーの存在も大きかった。
「私、中学校の卒業式の日に、『ファッションデザイナーになって一生働くから、家庭で家事をしてくれる旦那さんを見つけたい』って宣言していたんですね…(笑)」
パートナーはまさに、そんな生活を可能にしてくれる存在だった。
「“男性はこうあるべき”というような固定観念がない夫だからこそ、今の生活があると思っています。今は私が子どもの時から思い描いていた状況に近いし、私の人生、これ以外はありえないって思えています」
最近は、多様な性のあり方に関して、社会の変化を感じることも多くなったと高橋さんは話す。
「今は、ランドセルって赤と黒以外にもカラーがいっぱいあるじゃないですか。私の時代なんて赤と黒しかなくて、ランドセルを買いに行っても、女の子に黒のランドセルをすすめる人はいなかった。少しずつですが、“こうでなければいけない”っていうことから、解放され始めている人が増えているのかなと思います」
しかし、これからも「“社会の当たり前”に屈することなく、様々なアプローチで対峙していきたい」という、彼女のものづくりへのテーマは変わらない。
「私のクリエーション活動を通して、いま“生きづらさ”を感じている人が少しでも生きやすい社会になれば嬉しいですね。でもそれって、そもそも私自身が生きやすい社会でもある。“自分が生きやすい世の中”を作っていくというのが、実は私にとって最大のテーマなのかもしれません」