国産初の超弩級戦艦として誕生した、旧日本海軍の「比叡」。太平洋戦争で沈没し行方が分からなくなっていたが、アメリカの調査チームが2月4日、比叡を発見したとFacebook上で発表した。
調査チームは、マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が設立した財団。ポール氏は2018年10月に亡くなったが、彼の遺志を継いで調査を継続している。
ソロモン諸島のサボ島北西の海域で、水深985mの場所から発見された比叡は、船体がひっくり返った状態で確認された。船体が大きく破損しているものの、5インチ砲やスクリュープロペラ、かじなどが見て取れる。
調査に同行していたNHKは2月6日、撮影された比叡の状況から、専門家は「船体のおよそ3分の1が切断されているとみられ、大きな爆発によって沈没した可能性が高い」と分析していると報じた。
比叡とは?1914年竣工、日本で初めての国産超弩級戦艦
比叡は1914年、初めての国産超弩級戦艦として竣工した。
イギリスのヴィッカース社に建造を依頼した「金剛」と同じ型の戦艦として、図面や技術をイギリスから取り入れ、部品を輸入して日本海軍で初めて日本人の手によって造られることになった。
当初、強力な攻撃力を持つ巡洋戦艦として期待された。しかし、まもなく第一次世界大戦中の1916年5月のユトランド沖海戦で、金剛型よりも装甲が厚いイギリスの「クイーン・メリー」が、ドイツの巡洋戦艦「デアフリンガー」に撃沈され、比叡を含む金剛型の防御力不足があらわになった。
この事件を受けて防御力不足を補うための補完工事に入っていたが、ロンドン海軍軍縮条約より、日本は比叡を廃棄することになった。比叡はその後、装甲を撤去されて練習艦に改造された。
昭和天皇が乗る艦に。再び戦艦として復帰し、自沈
練習艦として改造された後、比叡は装甲がなくなったことで艦内が広く使えるようになった。また、練習艦となったことで出撃もなく、昭和天皇が乗艦する「御召艦」として使われるようになった。
だがその後、日本は1936年にロンドン海軍軍縮条約から脱退、戦争への道を突き進む決断をした。条約の制限がなくなったことにより、比叡は再び戦艦としての武装を取り戻すことになる。
その後ミッドウェー海戦に参戦した後は、戦況の厳しかったガダルカナル島の戦いに転じるためにソロモン海域に進出。1942年11月13日、第三次ソロモン海戦で連合国の艦隊の攻撃を受けて航行不能となり、船舶の船底などに設けた取水管に使用される止水弁を開放し、自沈したとされてきた。
だが、今回の調査により、大きな爆発を被った可能性なども出ており、なぜ沈んだのかの検証が進むことになりそうだ。
ポール・アレン、武蔵も発見
今回、比叡を発見したポール・アレン氏の調査チームは、世界各国で沈没した戦艦を発見しており、2015年には戦艦武蔵を発見して大々的なニュースとなった。
アレン氏は、戦没軍艦探索の第一人者でもあり、第二次世界大戦の軍用機の収集にも力を入れていた。私財を投じて軍用機は飛行できる状態まで修復するなどし、個人博物館「フライング・ヘリテージ・コレクション」で機体の展示もしている。
アレン氏は2018年10月、がんにより死去してしまったが、戦艦の調査や管理は彼が残した財団が引き継いでいる。