国民統合の「象徴」としての務めを模索し続けてきた天皇陛下が、2019年4月30日に退位する。「平成」という、一つの時代が終わろうとしている。
その意味について、『日本のいちばん長い日』など昭和史関連の著作で知られる作家・半藤一利さんはこう語る。
「陛下の退位は、今の日本人が『天皇』と『皇室』の役割を考えると同時に、今日まで日本が歩んできた道がどんなものだったのかを振り返る機会かもしれません」
いまの日本人が初めて経験する天皇陛下の退位。私たちは「その時」を、どんな心持ちで迎えればよいのか。12月15日、日本大学芸術学部・古賀太教授(映画史)のゼミ3年生が開催した映画祭「映画と天皇」に登壇した半藤さんに話を聞いた。
――「平成」という時代について、半藤さんはどう考えますか。
およそ30年にわたる「平成」という時代。この時代を生きた人の中には、ずっと「昭和」を抱えていてきた人たちがいます。
戦争の悲惨さを経験した「昭和」の人たちが、日本国憲法の下、戦後から「平成」にかけて、平和な国をつくってきた。今上陛下(今の天皇陛下)も、昭和と平成という時代を生きてこられました。
陛下の退位によって、日本が大きな時代の区切りを迎えることは間違いありません。平成の終わりは、今日まで残り香を漂わせていた昭和が本当の意味で終わることを意味する。いわば「昭和の完全な終わり」になるでしょう。
今上陛下の退位は、いまを生きる日本人が「天皇」と「皇室」の役割を考えると同時に、今日まで日本が歩んできた道がどんなものだったのかを振り返る機会かもしれません。
■天皇陛下「即位礼正殿の儀」でのおことば(1990年11月12日)
「さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
このときに当たり、改めて、御父昭和天皇の60余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心(みこころ)を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」
――「平成」を振り返るには「昭和」からの流れを踏まえないといけない、と。昭和天皇と今の天皇陛下、お2人の違いはどのあたりにあると考えますか。
戦前、昭和天皇は立憲君主としての「天皇」と陸海軍を統帥する「大元帥」、2つの役割を担っていました。
1910年(明治43年)に「皇族身位令」という法令ができます。(一定の年齢に達した)皇族の男子は、軍人として大元帥たる天皇を助けるというものです。
1912年(大正元年)の9月、大正天皇の即位に伴い皇太子となった昭和天皇も、陸海軍少尉に任官。この時、昭和天皇は11歳。そこから軍人教育を受けられました。
戦後は精力的に地方を巡幸され、唯一訪れることができなかったのが沖縄だった。昭和天皇は最晩年、病床で「沖縄だけは行かなきゃいけなかった」と述べたと伝えられています。
沖縄については昭和天皇の心の中でずっと引っかかっていたのだと思います。これは戦時中、沖縄を犠牲にして本土決戦の時間を稼いだことへの罪の意識があった。
また、戦後も沖縄に基地負担を強いたこと、特に「沖縄メッセージ」のこともお心にあったのではないでしょうか。
「沖縄メッセージ」:1947年9月、昭和天皇が側近の御用掛・寺崎英成を通じて、GHQ外交局長のシーボルトに伝えたとされる意向。米ソ冷戦の中で昭和天皇が「アメリカが沖縄の軍事占領を長期間続けるよう望む」「米国の沖縄占領は日米双方に利益をもたらす」と述べ、シーボルトはメッセージを米国務長官に伝えたとされる。1979年、米国立公文書館で見つかった資料から明らかとなった。2014年9月公表の「昭和天皇実録」でも触れられたが、宮内庁は「発言を裏付ける資料はなかった」としてアメリカ側の資料に依拠する形で紹介するにとどめた。
――一方で、今の天皇陛下は軍人としての教育は受けていない。
終戦時、皇太子だった今上陛下は11歳でした。終戦後も政情不安のため、しばらくは疎開先の日光におられた。
終戦から3カ月ほど経った1945年11月、今上陛下は東京に帰ってこられた時、焼け跡をご覧になって、あまりの酷さに非常にショックを受けられたことだと思います。
――天皇陛下が「象徴」としてのあるべき形を模索された裏には、戦争体験があった。
憲法に基づく国民統合の象徴としての役割を、どうすれば果たせるのか。即位からおよそ30年間、今上陛下と皇后陛下はご自分たちのお考えになった「象徴」としての姿を、お示しになられた。
(かつて日本の委任統治領だった)サイパン島やパラオをはじめ、敵も味方も現地の方も、全ての戦争被害者に対して、哀悼の意を捧げられてきました。また、震災などの自然災害があれば被災地に向かい、避難所で被災者を慰められてきた。
こうしたお務めは、決して日本国憲法に書かれている「国事」ではありません。それでも両陛下は「象徴天皇はどうあるべきか」を模索され、そのことで国民と気持ちを一つにできるんだという思いから、おやりになっているのだと考えます。
――昭和天皇、今の天皇陛下、そして新たに即位される皇太子さまへと「象徴」としての役割が受け継がれていく。
私自身は、両陛下はご自分たちが元気な間に皇太子殿下と雅子妃殿下に役割を譲り渡し、象徴天皇としての道を歩めるように見届けたいというお気持ちだと解釈しています。
両陛下に親しみと同時に尊敬のお気持ちを持っておられる方はたくさんいらっしゃると思いますが、「国民統合の象徴」しての姿はまさに、天皇陛下と皇后陛下が作り上げたものです。
そして、これを新しい日本の若い人たちにも象徴天皇としてのあり方を伝えたいとお考えになり、この国が日本国憲法の下、象徴としての天皇がいる良き国であり続けることを心から願っていらっしゃるのだと思います。
――今の日本人にとって「天皇退位」は初めてのこと。何とも言えない不安もあります。2019年5月1日の「改元」を、どのような心持ちで迎えればよいでしょうか。
私はもう87歳ですので、その頃には「あの世」に行っていると思いますよ(笑)。
平成が始まった頃、世界は「ベルリンの壁崩壊」「冷戦の終結」といった大きなうねりの中にあった。一方、日本にはまだバブルの空気が残っていた。これが、幸運だったのかどうかはわかりません。
アメリカに従属する流れが今に至るまで続き、国家としての日本の意思や舵取りが、政治の中から見えてこなかった。「世界の中の日本」というものを(為政者が)考えていなかったように思えます。
これからの日本がどうあるべきか、「天皇」というものがどういう形になるのか。それは、平成の後の時代を生きる今の若い人たちの肩にかかっています。