私が『ViVi』(講談社)の編集部にフリーランスのライターとして入ったのは1988年、昭和63年の4月のこと。程なくして平成へと年号が変わり、私のファッション編集者としてのキャリアは平成とともに時を刻むこととなります。「女子大生ブーム」「カリスマ店員」「エビもえ」……いわゆる「赤文字系」と呼ばれる雑誌から生まれたさまざまな社会現象を間近で見てきました。その中で「アイコン」として光り輝いていた彼女たちの姿には、平成の30年で大きく変わった「理想の女性像」がまさに投影されていたのです。
改めて平成時代の「ファッション・アイコン」を振り返り、その背景やトレンドの移り変わりをたどっていきたいと思います。
「いい男に選ばれたい」……「女子大生ブーム」のさなかで
平成を振り返る前に、まずはその前提となる昭和50年代60年代の空気感からおさらいしておきましょう。『JJ』(1975/昭和50年)『CanCam』(1981/昭和56年)『ViVi』(1983/昭和58年)『Ray』(1988/昭和63年)といった「赤文字系雑誌」の中で、もっとも売上を挙げていたのはやはり先駆者である『JJ』でした。
『JJ』は創刊当初から「ハマトラ」「ニュートラ」といった清楚なトラッドファッションを打ち出し、「女子大に通うお嬢様」が読者ターゲット。実際に女子大生たちが読者モデルとなり、誌面に登場しました。深夜番組『オールナイトフジ』(1983~91年)にも一般の女子大生が出演し、やがて「女子大生ブーム」として大きく取り沙汰されるようになります。
『抱きしめたい!』(1988/昭和63年)『君の瞳に恋してる!』(1989/平成元年)『東京ラブストーリー』(1991/平成3年)など、トレンディドラマには当時の女性像が映し出されています。出演していたのは、「W浅野(浅野温子・浅野ゆう子)」に鈴木保奈美、中山美穂、山口智子。彼女たちもまた、『JJ』や『CanCam』『ViVi』などの表紙を飾っていました。
いい会社へ一般職として入社し、いい人と出会い、良き妻、良き母として家族を支える。商社や証券会社、メーカーなどに務める夫の海外赴任に付き添い、欧米で暮らす……それが女性たちの理想とする生き方でした。「いい男に選ばれる」ことが最優先事項だったのです。
私の『ViVi』編集部での初仕事は「女子大生の持ち物調査」企画の取材でした。1988(昭和63)年から1990(平成2)年頃まで毎月、女子大生に取材しました。
彼女たちはインカレサークルに入って、毎日のように東大生や早慶生と合コンするような子たち。ルイ・ヴィトンやシャネルのバッグに、リップはイヴ・サンローランの19番か、ディオールの475番。アルファ・キュービックのセットアップを着て、襟元にはエルメスのスカーフ……。何を着て、何を持っているのかが重要で、その人のステータスを表していました。「流行の中心」が女子大生にあったのです。彼女たちは、今で言う「インスタグラマー」のような存在だったのかもしれません。
銀座のディスコ『Mカルロ』には、入場するのに行列ができるほど若者が集まり、男性も女性も出会いを求めていました。電通、博報堂、ソニーに東芝、野村證券……誰がいちばんすごい名刺を持っているのか、女性たちが「名刺じゃんけん」を行うほど。皮肉にも、ある意味「女性の価値」がもっとも高かった時代だったと言えるでしょう。
「アムラー」「カリスマ店員」……ギャルたちが経済を回す
そんな狂乱の時代も過ぎ、バブルが崩壊すると、流行の中心はさらに下の世代へとシフトします。いわゆる「女子高生ブーム」の時代です。はじめにメディアの注目が集まったのは「ブルセラ」「援助交際」といった社会問題がきっかけではありましたが、色濃くなる不況の影の中、若さを武器にたくましく生きる女子高生たちのしたたかさが、流行を生み出す原動力となっていきます。
1993(平成5)年頃、メンズファッションでは「渋カジ」と呼ばれるストリートファッションが人気となり、音楽でも「渋谷系」がブームに。流行の発信地として渋谷がフィーチャーされるようになりました。当時、『JJ』はお嬢様、『CanCam』は女子大生と、それぞれターゲットを定めていた中、私が在籍していた『ViVi』は渋谷に注目、女子高生にもターゲットを広げることになったのです。
1995(平成7)年頃になると、厚底ブーツやルーズソックス、ミニスカートにラルフローレンのカーディガンを着た「コギャル」たちが渋谷の街を闊歩するようになりました。そして彼女たちにとってのカリスマが「安室ちゃん」こと安室奈美恵さん。1996年3月号の表紙起用から、彼女を積極的に取り上げるようになると、『ViVi』は爆発的に売れ出しました。茶髪に細眉、日焼けした肌にモノトーンのパンツスーツ。彼女のスタイルを真似た「アムラー」たちが現れ、1997(平成9)年に結婚会見を行った時に着用していた「バーバリー・ブルーレーベル」のチェック柄のミニスカートも飛ぶように売れました。
同時に渋谷ファッションを牽引したのは、「SHIBUYA109(マルキュー)」です。「アルバローザ」「カパルア」「ココルル」「エゴイスト」などサーファー系やセクシー系カジュアルブランドへの支持が集まる中、その中心にいたのは「カリスマ店員」でした。「KariAng(カリアング)」の森本容子さんや「ENFOLD(エンフォルド)」の植田みずきさんなど、現在ではファッションディレクターとして活躍する彼女たちが、当時はいち店員としてピーク時には1日1000万円を売り上げ、雑誌の表紙を飾ることも珍しくありませんでした。
やがて彼女たちがディレクターとして「moussy(マウジー)」「SLY(スライ)」など新たなブランドを立ち上げるのと同時期、新たな女子高生のカリスマ「浜崎あゆみ」が誕生。1999(平成11)年以降、次々とヒット曲を世に放ちながら、ファッションリーダーとしてもヒョウ柄やスワロフスキー、ネイルアートなどを流行らせ、「ギャル文化」を牽引する存在になりました。
当時の渋谷は圧倒的なカリスマが生まれ、彼女たちによってファッションも経済も牽引された「カリスマ時代」だったと言えます。日本社会全体としては「失われた10年」と言われるほど、長く続く不況の中、ギャルたちはむしろ、先行き不透明な時代だからこそ、社会に出る前の「今」を楽しもう、好きなモノを買おうという貪欲な消費マインドを持って、経済を動かしていったのです。
「エビちゃん、もえちゃん」に見る「愛され女子」の生存戦略
2000年前後の「ITバブル」の波を乗り越えると、「ヒルズ族」と呼ばれる富裕層が台頭してきます。2003(平成15)年に開業した六本木ヒルズに拠点を置くベンチャー企業の経営者が「時代の寵児」としてもてはやされるようになりました。
当時印象的だったのは、六本木ヒルズの高層階にある会員制の「六本木ヒルズクラブ」で見た光景。ベンチャーの経営者や役員クラスたちが、「愛され系女子」たちを引き連れて会食していました。みんな、茶色の巻き髪にツインニット、「ルシェルブルー」のタイトスカートと、揃いも揃って同じような格好。彼女たちのバイブル、『CanCam』の看板モデルが「エビちゃん」「もえちゃん」こと、蛯原友里さん、押切もえさんでした。
『CanCam』が打ち出したのは「めちゃモテ」というキーワード。男性はもちろん、上司や同僚にも「ウケのいい」清楚で愛らしいエレガントスタイルです。「クレイサス」「クイーンズコート」など、神戸系ファッションと呼ばれるブランドや、「アプワイザー・リッシェ」「イネド」などフェミニンなブランドが人気を集め、エビちゃん、もえちゃんが着用したアイテムが飛ぶように売れました。
当時、とある神戸系ブランドのディレクターが「ヒット商品なんて、簡単に作れる」と豪語していました。定番商品の新色を出し、雑誌で特集を組むだけで、掲載アイテムが万単位で売れていたのです。
その勢いに押される形で人気に陰りが見えるようになったのが、『JJ』です。それまで「良家のお嬢様」をメインターゲットにしていたのが、長引く不況下で「良家」という概念そのものが揺らぎ、コンサバティブ層が力を失い、叩き上げの経営者やIT社長などが経済を回すようになりました。中流階級の団塊ジュニア世代が主役となったことで、「手頃だけどキチンと感もある、可憐なコンサバスタイル」が広く支持を集めたのです。『CanCam』はついに『JJ』の発行部数を抜き、80万部を売り上げるほどになりました。
「モノ」から「コト」、「アイコン不在」の時代へ
アイコニックなカリスマによって牽引された平成のファッションですが、2000年代後半から「アイコン不在」の時代に突入します。
2008(平成20)年のリーマンショック、2011(平成23)年の東日本大震災を経て、日本では「断捨離ブーム」が起こりました。断捨離の提唱者である、やましたひでこさんや『人生がときめく片づけの魔法』の近藤麻理恵さんによる片づけメソッドが話題となり、いずれの著書もベストセラーとなります。
時を同じくしてアメリカ・西海岸でもGAFAが牽引する形で、「ノームコア(究極の普通)」「ミニマリズム」といったライフスタイルが一定の支持を集めるようになります。トレンドやモードにとらわれることなく、本当に良いものだけを最小限所有し、「選ぶ」煩わしさから距離を置こうとする考え方が共感されるようになりました。
それまでの刹那的な消費から「本質的な価値」を重視する消費のあり方が、日本人のマインドとも連動し、多くの人にとっての関心は「モノ」から「コト」へと移り変わってきたのです。
そんな中、2009(平成21)年に日本上陸した「ロン・ハーマン」は、モノでなくコトを売る、ライフスタイル提案型セレクトショップの先駆けでした。象徴的だったのは、都市部だけでなく、逗子や辻堂に出店し、ブランドのベースにある「アメリカ西海岸のサーフスタイル」を表現したことです。ファッションはもちろんのこと、雑貨やインテリア、家具、ガーデニングを販売し、カフェを併設するなど、ライフスタイルそのものを商品やサービスとして提供しました。
他にも2011(平成23)年に「代官山蔦屋書店」が開業し、2012(平成24)年にはBEAMSが「B-MING LIFE STORE by BEAMS」を立ち上げるなど、ライフスタイル提案型のショップやブランドが増えてきたのも、その流れと無縁ではありません。
アパレル企業各社は2000年代半ばから「重点商品の在庫を確保し、売れるアイテムを戦略的にたくさん売る」といった「MD偏重主義」の商品開発を進めていった結果、2010年以降、どのアイテムも均質化・コモディティ化し、マーケティングが効かなくなってきました。それに対する差別化、付加価値化の方法の一つが、ライフスタイル提案だったのです。
女性誌の世界でも「服よりライフスタイル」の流れが生まれ、2014年に新創刊した『アンド プレミアム』のように、「丁寧な暮らし」を打ち出すライフスタイル重視の雑誌が店頭に並ぶようになりました。
2010年頃からはSNSが台頭し、「個の時代」がやってきました。人々の興味はますます細分化し、ハッシュタグやフォローしているアカウントによってフィルターバブル化し、「見たいものしか見えない」ようになっていきます。
「みんなが持っているモノ」「周りが評価するモノ」「相手に好まれるモノ」がもはや、一人ひとりの消費意欲と結びつかなくなった今、新たな「ブーム」や「時代のアイコン」が生まれることはもはやあり得ないことかもしれません。
これまでの“常識”でモノが売れる時代じゃない。トレンドが消費される時代じゃない。「ヒットを仕掛けづらくなった」今、一編集者として、いかにファッション誌の役割を再定義し、新たな価値を生み出すことができるのかーー。これからはじまる「令和」の時代も、試行錯誤していけたらと考えています。
【企画編集:水野綾子(FIREBUG)、大矢幸世 撮影:保田敬介】