「この国は、女性にとって発展途上国だ。」というキャッチコピーで、話題をさらった、化粧品会社ポーラ(POLA)の2016年の広告。手がけたのは、クリエイティブディレクターの原野守弘さん(株式会社もり代表)だ。
男女の格差が根強く残っている日本社会。女性にとって、そして男性にとっても息苦しい社会を変えるために、広告・メディアは何を考え、どう表現していけばいいのか。
それを考えようと開かれた「ジェンダーとコミュニケーション会議」(外務省・東映エージエンシー主催)で登壇した原野さんに、少子化ジャーナリスト、作家の白河桃子さんが聞いた。話題は、女性を取り巻く状況に切り込んだPOLAの広告が生まれた背景から始まり、「人権」や公共に果たす責任についての考え方へも及んだ。
「寛容性を持って語りかける」広告とは
原野:ジェンダーの問題も含めて、解決すべき社会問題がたくさんある。広告を通じて企業も発言するようになってきています。私が手がけたものの一つがPOLAのCMです。
白河:「この国は、女性にとって発展途上国だ。」「この国には、幻の女性が住んでいる。」「この国では、二つの顔が必要だ。」というメッセージの3部作でしたね。女の人が笑わない。化粧品会社のCMなのに、真顔というのがすごく印象的で話題になりましたね。
原野: POLAのビューティーディレクター(販売員)の人材募集のためのCMです。割とよくあるのは「好きなことを仕事にすると楽しいですよ」というメッセージを発信することなんですが、20〜30代の女性が最も共感してくれて、かつ、それを言ったポーラに対して「愛とか尊敬」が集まるテーマは何だろうと考えました。
白河:「笑顔の女性が生き生き働く職場」みたいな感じの、よくありますよね。
原野:POLA本社の取締役は女性比率が高く、ビューティーディレクターが実際に働くお店も、女性がほとんどです。ほんとうに女性差別のない職場だからこそ、言えるメッセージがある。実際、この案をプレゼンしたところ、女性役員の方がすごく感動してくださり、割とすんなり決まりました。
白河:かなりチャレンジングなテーマと思うのですが、POLAの社内では賛否両論なく、すんなり通ったんですか。
原野:社内では逆に、「どうしてこれが問題になることがあるんだろう?」ぐらいの感じだったと聞いています。ただ、制作する側としては、テーマ選定の微妙なさじ加減には結構気をつけています。日本ではまだ、ハフポストのようなリベラルメディアやフェミニストの人が使命感をもって主張していることすべてが、社会全体で受け入れられているわけではないという現状がありますから。
白河:そう。フェミニズムとかジェンダーって、テレビなどではなかなか正面切っては取り上げないテーマ。だからそこは発信がすごく難しいところです。私も原稿を書くときに、どうしたら広く伝わるのか言葉の選定を考えます。
原野:そうした状況下で「世界では当たり前なんです、キリッ!」って言っても、相対的にはただ単に急進的な運動家に見えてしまう。そして、そういうものにはガードが固いのがこの国の悪いところなんです。仕方がない部分ですね。
白河:変化の急激さを嫌うんですね。
原野:もっとインクルーシブに、ある種の寛容性をもって世の中に語りかけないと、大きな反発を招くだけに終わってしまう。だから、リベラルなフェミニストだけでなく、より多くの人々に共感を持って受け入れられるゾーンをいつも探しています。
白河:メッセージは強く出すけれど、みんなに届ける、という表現は非常に難しいと思います。そこが腕の見せどころですが、どう作っているんですか?
原野:大事なのは「正直さ」ということだと思いますね。嘘があると、単なるぬるま湯になってしまう。あったかい感じはするけれども、本音ではない。そういうことが世の中って結構あるじゃないですか。正しいことって、割と冷たかったり、排他的だったりするんですよね。でも、それが届く。
白河:ちょっと傷つく人もいるかもしれない、ということもあるということですね。
原野:とはいえ、馬鹿正直にやってしまうと、単に社会性のない人という風に見える。だから、どこまでそのブランドが正直さをもってそのテーマについて語るか、ということですかね。そのゾーンというのを見極める必要がある。
白河:昨年のジェンダーとコミュニケーション会議ではNHKのディレクターの方が番組制作で多くの人に受け入れてもらうために「ぬるま湯を目指す」とも表現されていましたね。
原野:僕は、それに関しては正直疑問に思う部分もありました。放送とかジャーナリズムは広告とは違いますから、大衆に迎合するのではなく、進歩的な価値観を提示していく役割があると思います。公共放送がそっちに行ってしまうと、変化を遮るほうに加担してしまう。
白河:難しいですね。日本はメディアも男社会で、私は今、報道番組やワイドショーなどに出ていますけれど、編集会議は男性しかいないことが多いです。また年功序列も感じます。女性たちも実は数はたくさん働いていますけれど、まだ決定権を持つところにはほとんどいない。スウエーデン大使館の人に「政策を作るのは政府だけれど、文化、風土を作るのはメディア」と言われました。その両者が男社会のままなのが、変化を遅くしていると思います。
原野:ニュース番組も、真ん中に高齢の男性が立っていて、横にちょっとかわいい女性が2人いる、みたいなものとか。アメリカとかイギリスでは、絶対にやってはいけないと誰もが一目でわかるフォーマットをいまだに続けているのが本当に古臭い。ネットメディアではリベラルなものはあると思うんですけど、NHKを含む地上波放送が保守的というところが、結局ジェンダーギャップ指数110位という社会を作り出しているんじゃないかなと。
白河:でも広告はクライアントがいます。クライアントが「このほうがお得だよね」と思ってくれないと、変わらないのではないでしょうか。その点で、原野さんが「そちらのほうがお得」と発言してくださったり、25年前からジェンダーを広告で発信しているP&Gが企業価値を上げ、売上にも結び付いているということには、希望を感じました。
原野:他の誰も言っていない、一見過激に聞こえるかもしれない、だけれどもターゲットの女性には支持される、ということを語ることで、企業の評価は高まる。POLAの事例はそれを明確に示しています。クライアントにとっても結局「お得」な選択肢であることを、プレゼン時には説明しています。
人権意識が低いクリエイティブを使うリスク
白河:日本でも「差別の構造」をそのままにして、「女性を応援」とか「私はわたしでいい」というような表現は、もう難しいと思っています。そして、世界の潮流が変わってきていますよね。いつ頃からなんでしょうか。
原野:広告でジェンダー問題を取り上げる潮流に関して言うと、世界では2015年くらいに大きな変化がありました。カンヌライオンズ(世界最大級の広告祭)で、「グラスライオン」というアワードができたり。女性を阻む「ガラスの天井」を壊すという意味で「グラス(ガラス)」という名前になっていて、「性差別や偏見を打ち破る広告クリエーティブ」作品に賞を贈るというものです。
白河:女性だけなんですか?他に人種の問題とか…
原野:いえ、グラスライオンは、ジェンダー、女性問題だけにフォーカスしています。つまりそのぐらい大きなジャンルになっているわけです。そして、みんな、それが一番取りたい賞、かっこいい賞になっているんです。
白河:それが時代の最先端で、その賞を獲る広告クリエイターがイケてる、っていうことですか。今よく「ジェンダー主流化」と言われる意味がやっとわかった。
原野:そう。だから僕は、単純にかっこいいものを作りたかっただけ、とも言える。みんなが問題だと思っていることに対して、少しでも社会を変えていこうと発言していくことは、結果的にその会社が賞賛や好意を獲得し、長期的にはビジネスにもいい方向で返ってくる。逆に、今はそれができなくて致命傷になる企業もありますよね。
白河:なっている残念な企業もたくさんありますね。原野さんはカンヌライオンズで審査員などもされて、毎年行かれている。そうした海外のスタンダードという感覚を持っていらっしゃるところが、重要なのかなと思いました。
原野:日本の広告がジェンダーで失敗してしまう背景には、ベースとなる人権意識、人権の教育が欠けている部分もあるかもしれません。
白河:それは日本全体、政府も含めて、非常にレベルが低いですよね。
原野:確かに、最近審査員はしていませんが。1年に1回、カンヌライオンズに行くと、世界中からクライアントや広告を作っている人たちがたくさん集まっていて、勉強になります。
白河:ジェンダーだけに限らず、広く人権意識という意味では、最近は、日清の大坂なおみ選手の広告がホワイトウォッシュだったと謝罪・撤回になってしまったものがありましたね。
原野:そうですね、国際的には絶対にしてはいけないとされている方向に行ってしまった。それだけでなく、優勝したときの新聞広告で、「おめでとう」など日本語で書いてるものもありましたね。日本語がそこまで得意ではない大坂さんが、「日本語で」と頼まれたインタビューに「英語で話します」と返したのも話題になった。そういう現実があるのに、大坂さんに日本語でメッセージを伝えるというのは「自己満足」に見えないか、と心配でした。
白河:私も広告制作で監修に入ってほしいという依頼を受けることもあります。でも結構、最終段階だったりするんですよね。アドバイスはするけど、もうほとんど変えられないんです。もっと最初の段階で、専門家やアドバイザーなどをつけていかないと、かなりのリスクになるなという気がします。
原野:そうですね。人権意識が低いクリエイティブを使うリスクはすごく高い。しかしながら、学校でも人権の問題を教える機会が減っているとか。
白河:政府の会議でも人権とかジェンダーって言うと、「左の人」だとすぐレッテルを貼られてしまう。言葉を選んで、言いたいことをいう苦労があります。そういう言語を使っただけで、あ、こっちの人ね、みたいな変な差別がありますね。
原野:海外経験というのは重要かもしれない。教育はもちろん重要ですが、日本では教えられる人すらそんなにいない状況ですから。
白河:それに、見える風景もありますよね。例えばカンヌライオンズと日本の広告賞では男女比が全然違うのではないでしょうか。
原野:カンヌに出てくるような優秀な広告会社では、壇上に上がる人をわざわざ女性にしている企業もありますよ。
白河:戦略的にやってくると。「私はわかってますよ」というアピールですか。
原野:広告の会社だから、どうやったら自分たちがかっこよく見えるか、ってわかっているわけです。うまい。
白河:それも世界のかっこいいが変わってきているということですね。「あざとい」と言われても、したほうがかっこいいのにという場面はありますね。というと「ここは日本だから世界の基準は関係ない」みたいな反発もあるのですが…
原野:その言い方がものすごく多いんです。そういう残念なことが色々なところにあります。
公共への責任をどう考え、果たすか
白河:イギリスでは、性差別的な表現がある広告は禁止しましょうという(業界の自主規制組織による)取り組みがありました。企業利益も重要ですけど、社会的な価値も重要かと。イギリスの禁止の背景には、それが「見えない教育」であるという意識がありました。
原野:公共性、パブリックへのリスペクトをどう持つかという概念が、希薄なんではないかということを感じます。「お金を払ったら自分のもの」「テレビの枠を買ったら、好きにしていい」とか。でも、テレビのようなマスメディアで何かメッセージを発信するという場合、常にパブリックな責任というものが本来はあるわけです。
白河:最近話題のCMは、社長自らがアイデアを考えたという、銀座のクラブを舞台にしたようなものも…。
原野:加害者意識を持っていない人は、大人になれないんです。被害者意識しかないうちは、「子ども」。誰もが加害者になり得るという大人の感覚を持っている人が、日本人には少ないと思います。自分が被害を受けることには敏感なくせに、自分が言っていることや作ったものが誰かを傷つけるかもしれない、とは考えない。公共性の欠如は、そこから来ているのかもしれません。
白河:意思決定層に女性がいないし、若い人もいない。違和感があっても、若い人とか女性の声があまりうまく届いてないな、というのはすごく感じますね。
原野:女性が少ないのはその通りですが、別の観点もあります。僕の電通時代の同期に山口周君という人がいて、最近「劣化するオッサン社会の処方箋~なぜ一流は三流に牛耳られるのか~ (光文社新書)」という本を書きました。その中で「日本の会社員はオピニオンとエグジットをしない」と書いていました。つまり、上司がおかしいと思った時に、誰も「いや、違いますよ」と言わないんです(オピニオン)。言ってもわからない上司だったら、その場を立ち去るということもしない(エグジット)。これはすごく大切なことで、それらをしないということは結局そのおかしな上司と同罪になるんです。おかしいことにはおかしいと言う、それで何も変わらないのであればその場を立ち去る、そういうことをしないと、世の中に悪がはびこり、保全される。誰もオピニオンしないというようなことでは、会社という組織はどんどんダメになっていってしまうんです。
白河:日本の組織の危機ですね。上司に意見できない。イエスマンしか残ってないわけですね。
原野:そうなんです。オピニオンやエグジットに磨かれていくプロセスが起こらなくなってしまっている。同じことが広告制作の現場にもおきています。
白河:そうすると意思決定層の性別という問題だけではない。男性化した女性が上にいても、結局は多様性にはならないですね。
原野:性別の多様性も重要なんですが、その上で、きちんとオピニオンできる人がいないと何もかわらない。いつまでも誰かを傷つけるような広告が出てしまうという騒ぎは消えないのではと思います。