お正月の風物詩として多くの人たちに親しまれている箱根駅伝は、2024年に第100回大会を迎えます。
記念すべき第1回大会は、1920年2月14日に開催。
戦争の影響で開催されない年があったものの、ラジオやテレビ中継を始めるなどの様々な変化を遂げながら、第100回大会までたすきをつないできました。
第1回大会の名称は箱根駅伝ではなく「四大校駅伝競走」でした。参加校は、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、東京高等師範学校(現筑波大学)の4校でした。
なぜこの4校だったのでしょうか?
「箱根駅伝70年史」(関東学生陸上競技連盟)によると、箱根駅伝は、日本長距離走の先駆者である金栗四三氏らが構想を描いた「アメリカ大陸横断駅伝」の出場選手選抜のために、実施されました。
この駅伝は、その名の通りアメリカ大陸を横断するという大掛かりな計画で、当時金栗氏が教師をつとめていた女子高等師範学校(現お茶の水大学)に、早稲田や慶應、明治、帝大、高師、日大、中央、立教、農大、日歯など東京都内の大学・専門学校の代表が集まり、選考会について協議したそうです。
当初は13の大学、専門学校が参加の予定でしたが、10人の長距離ランナーを揃えられる学校は少なく、最終的に早稲田、慶應、明治の3大学と東京高師の計4校で実施されることになりました。
気になる初回の優勝校は、どこだったのでしょうか?
公式記録によると、往路は明治大学が制したものの、復路で東京高等師範学校が逆転優勝しました。
【第1回大会結果】
1位 東京高師(現筑波大)15時間5分16秒
2位 明治大学 15時間5分41秒
3位 早稲田大学 15時間15分31秒
4位 慶應義塾大学 16時間50分56秒
第1回では4校だった参加校は、1921年の第2回は7校、1922年の第3回大会は10校に増加。
現在では前年大会でシード権を獲得した上位10校と、10月の予選会を通過した10校に関東学生連合を加えた合計21チームが出場しています(100回大会では連合チームは編成されない)。