無実の罪で殺人犯にされ、何十年も獄中にブチ込まれる――。
人生において、もっとも起きてほしくないことのひとつではないだろうか。そんな経験をした人たちに昨年以来、たくさん会っている。
1963年、女子高生が殺害された「狭山事件」の犯人として逮捕された石川一雄さん。94年に釈放されるものの、獄中生活は31年7ヶ月。
67年、茨城で起きた「布川事件」の強盗殺人とされ、29年間も刑務所にブチ込まれた桜井昌司さん。
90年、栃木で起きた「足利事件」で女児殺しの犯人にでっち上げられて17年6ヶ月を獄中で過ごした菅家利和さん。
そうして2月24日、この3人の獄中期間を遥かに上回る年月、死刑囚として囚われ続けた人に会った。
それは袴田巌さん。66年に起きた、一家4人が犠牲となったいわゆる「袴田事件」の犯人とされ囚われた元プロボクサーだ。袴田さんが獄中で過ごした期間は、なんと約半世紀。80年に死刑が確定したものの、その後もずっと無実を訴え続けてきた。が、48年間、獄中にブチ込まれ続け、うち33年間を死刑執行に怯える日々を過ごす。
2014年、約半世紀ぶりに釈放。静岡地裁の裁判長は釈放の理由について、「拘置をこれ以上継続することは、堪え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない」と述べた。釈放されて、今年で4年。30歳で逮捕された袴田さんは、既に80代だ。
「冤罪」と一言で言うけれど、その実態は、これほどに取り返しがつかないものである。
しかも、足利事件と布川事件については無罪が確定しているが、石川さんと袴田さんはいまだ無罪が確定していない身。そんな袴田さんの再審を求め、無罪を勝ち取るための集会が都内で開催されたのが2月24日。そこで初めて袴田さんと会ったのである。
袴田さんに会うことに、私は緊張していた。テレビなどで、重い拘禁症を患っている姿を目にしていたからだ。「今日、死刑執行されるかもしれない」。そんな恐怖に30年以上晒されると、人は自分の世界を強固に作り、その中で生きるようになるのだろう。テレビで見る袴田さんは、時に「尊敬、天才天才」「全世界の支配者・袴田巌」といった言葉を繰り返していた。釈放されてからも自分の作り出した世界を守るように生きる姿は、「冤罪」という取り返しのつかない事態の残酷さを、見る者たちにこれ以上ないほどに突きつけるものだった。
そうしてこの日、緊張しながら会った袴田さんは、耳は遠くなっているものの、釈放された直後よりずっとずっと穏やかな表情で、私に挨拶してくれた。スピーチする際にははっきりと「私が、袴田巌です」と口にし、その後、話が脱線したり内容がわからなくなったりすることはあったものの、釈放直後よりは、ずっと落ち着いた雰囲気だった。
この日の集会には、「仲間」たちも駆けつけて応援スピーチをした。それは狭山事件の石川一雄さんと、足利事件の菅家利和さん。
そんな彼らを私は勝手に「冤罪オールスターズ」と呼んでいるのだが、袴田さんの集会の数日後、彼らを描いたドキュメンタリー映画の試写会に行った。
映画のタイトルは、『獄友』(監督・金聖雄)。10年から7年間に渡って彼らを追ったドキュメンタリーだ。映画には、5人の獄友たちの交流が描かれる。石川さん、菅家さん、袴田さん、そして布川事件の桜井さんと、桜井さんの「共犯」として逮捕され、やはり29年間を獄中で過ごした杉山卓男さんだ。杉山さんも無罪が確定しているものの、15年、病気で亡くなっている。彼らの獄中生活は、合わせてなんと155年!
映画のチラシには、こんな言葉が踊っている。
「やってないのに、殺人犯。人生のほとんどを獄中で過ごした男たち。彼らは言う 『不運だったけど、不幸ではない』」
『獄友』の試写会場は、笑いに満ちていた。何しろ彼らのキャラクターがブッ飛んでいるのだ。
「刑務所入ってよかった」と語る「元不良」の桜井さんは、20歳で逮捕されるものの、「とにかく明るく楽しく面白いこと見つけて生きてやろうと思ってた」と語り、釈放後は得意の歌でなぜかCDまで出し、歌手としてワンマンショーも開催。逮捕前は「ひきこもり」で友人もいなかったと語る菅家さんは、獄友たちとの交流を心から楽しんでいるのが伝わってくる。そうして今も無罪を勝ち取るために闘う70代の石川さんは、身体を鍛えまくる日々だ。
彼らが集まって盛り上がるのは「獄中あるある」。その場はたちまち「千葉刑務所同窓会」となり、刑務所の食事や刑務作業の話なんかで盛り上がる。袴田さんがその輪で共に盛り上がることはないが、獄友たちと将棋をさす姿からは、心を許しているのが伝わってくる。刑務所での数少ない娯楽である将棋。それを通して静かに心が通じ合う。
「刑務所入ってよかった」と笑い、終始明るい桜井さんだが、もちろん、深い喪失を抱えている。「よかった」と思わないと、おそらく29年間の獄中生活を生き延びることなどできなかったのだろう。釈放後に桜井さんと結婚した女性は、ともに生活する中で冤罪被害者の深い深い苦しみを知る。決して取り返せない、若かりし日々。だからこそ、彼らは今この瞬間を精一杯楽しんでいる。
そんな「獄友」たちの姿を見て、思い出した人がいる。
それは「飯塚事件」の久間三千年さん。
昨年9月、私はこの連載で「もし、冤罪で捕まったら〜『死刑執行は正しかったのか』から考える〜」という原稿を書いた。
92年、二人の女児が殺害された飯塚事件で逮捕された久間氏についての番組を見て書いた原稿だ。久間氏は一貫して無罪を訴えていたものの、06年、死刑が確定。そして08年、死刑が執行される。
が、死刑が執行されてから、重要な証拠に疑惑が浮上する。当時のDNA鑑定の信憑性が大いに揺らぐのだ。ちなみに同じ鑑定方法を用いて有罪とされた足利事件の菅家氏は、再鑑定によってDNAが一致しないことが判明し、無罪が証明されている。それなのに、同じくずさんな方法での鑑定の結果、有罪とされ死刑が確定した久間氏は、既に死刑が執行されてしまっているのだ。
弁護団は再審開始を求めていたものの、今年2月、福岡高裁は再審請求を棄却した。
冤罪。私が知る「冤罪オールスターズ」の人々は、数十年という年月を奪われながらも、現在、シャバに出てきてそれぞれの人生を生きている。奪われた時間は取り戻せないものの、彼らの命は続いている。しかし、久間さんの命は既にない。もし、彼が、本人がずっと訴えていたようにシロだったとしたら――。既に死刑は執行されてしまっているのだ。これほどに取り返しのつかないことがこの世に存在するだろうか。
冤罪問題について腹立たしいことはあまりにもありすぎるが、もっとも疑問なのは、その責任を「誰一人としてとっていない」ということだ。
無罪が確定したとしても、当時彼らを自白に追い込むほどに暴力的な取り調べをした警察、そして検察や裁判官などは、誰一人として罪に問われてなどいない。もちろん、DNA鑑定をした人も、それを証拠として有罪とした人もだ。その中には、上司に「無能と思われたくない」がために厳しい取り調べをした者や、自己保身や組織のメンツばかりを優先させた者が多くいる。拘置期間が何十年に及ぼうとも、弁護団や支援者が声を上げ続けなれば放置されていただろう。
誰も責任をとらないシステム。原発問題をはじめとして、日本の構造はこの一言で言い表わせるわけだが、ここでも組織防衛のために、「国」という真空地帯に責任は丸投げされた。権力と言われるものの中心はいつも空洞で、「ただいま、担当者は席を外しております」というアナウンスがずーっと流れているだけ。それが私の思う、この国の中枢のあり方だ。
集会の日、菅家さんは、権力サイドにいる誰一人として「一言も謝っていない」ことを怒りを込めて語った。無罪が確定した人にだって、謝罪の言葉は何ひとつないのだ。
冤罪について、死刑について、司法システムについて、そしてこの国の権力のあり方について。「冤罪青春グラフィティ」である『獄友』は、多くのことを問うてくる。
『獄友』は3月24日以降、全国ロードショーが始まる。予告編はこちら。
ぜひ、多くの人に観て、そして考えてほしい。
(2018年3月7日「 雨宮処凛がゆく!」より転載)