九〇年代の後半。僕がアメリカのケンタッキー州の大学にいる時、パブリック・スピーキングのクラスが必修だった。つまりはプレゼンテーションやスピーチなど、大勢の人の前で話をする技術を学ぶ教室だ。
その中で、「自分が好きなことについてスピーチをしろ」という課題があった。僕がその時、下手くそな英語で何について話したのか覚えていないのだが、おそらくカントリーミュージックについてでも話したのだと思う。
ブライアンという男がいて、迷彩柄のツナギとオレンジ色のヴェストを着て教室に現れ、彼が愛してやまないハンティングについて話した。アメリカの田舎ではハンティングというのは人気スポーツである。主に鹿や七面鳥を撃つ。「アウトドアショップ」に行くと、たいていキャンピングやバーベキュー用品に加えて、釣り、カヌー、そしてハンティング・グッズが大量に置いてある。もちろん、ライフルやボウガンなど、武器として殺傷能力を有するものも様々なバリエーションが販売されている。
ブライアンのスピーチのあと、質疑応答の時間に、僕は手を挙げた。
「撃った動物はどうするんだい?」
「食べる。ソーセージにしたり、グリルで焼いたり」
クラスが終わると、ブライアンが僕に近付いてきた。
「ショータ、お前はハンティングしたことあるか?」
僕が質問したことにより、この日本人はハンティングについて何も知らず、もしかしたら殺生することに批判的な見方をしている、と受け取ったのかもしれない。
僕が「ない」と答えると、彼は「今度の土曜日、ディア・ハンティングに行くけど、一緒に来てみないか?」と誘ってきた。
僕は即座に申し出を受け入れた。
朝3時。まだ外は真っ暗な中、彼は友人と二人で僕を迎えにきた。
「陽が出てから森に入っているようではもう遅いんだ」
彼は話しはじめる前に"I tell you what(いいか?)"と言うのが口癖のようだった。
森の入り口でピックアップトラックを止めると、ブライアンは僕のための用意してくれたオレンジ色のツナギを出した。僕は着ていたものの上からそれを身に着けた。同じ色のニットキャップもかぶった。
森に踏み込む前に、彼は注意事項を告げた。
「いいか、これからハンティング用の見張り小屋へ向かう。声は立てるな。咳もしたらダメだ。もしもどうしても我慢できない時は、上着の中に静かにやれ」
彼は服の首の部分を引っ張って、そこにアゴを突っ込むようにして見せた。
暗闇の中をしばらく歩いてから、僕たち三人は見張り小屋に入った。木造の物置のような小屋だが、草原に向いた方の壁には一文字に覗き窓がある。そこからライフルを出して撃つので、当然ガラスはない。
夜空が白んできた。どれくらいの間、そこに潜んでいたのかわからないが、会話をしてはいけないのだから、ただただ寒かったことだけよく覚えている。ブライアンは双眼鏡を覗いたまま微動だにせず、広い草原に獲物が顔を出してくるのを待っている。
やがて、彼がささやいた。
「Buck(牡鹿)だ」
僕が肉眼で見てもよくわからなかったので、距離は遠かった。
ブライアンはライフルを構えると、一発ぶっ放した。
外したようだ。
やはり遠すぎたのか、牡鹿は逃げていってしまったという。
小屋は諦めて、場所を移すことにした。森のさらに奥へ入って行って、木々に囲まれた薄暗い場所でブライアンは立ち止まった。
彼は、僕が見たこともない道具を出した。持ち運び用の座席の背の側にループ状のベルトが付いているもので、いま調べたら「ツリー・スタンド」というそうだ。
木に登って、動物に気付かれないくらい高い位置の幹にベルトで固定する。だいたい地上十二メートルくらいはあったのではないだろうか。
「いいか、ショータは、いま俺が設置したこれに座っておけ。俺はあっちのあたりに陣取るから」
彼と友人は森に消えていった。別々の場所にツリー・スタンドを取り付けて、それぞれ上から獲物を狙うようだ。
僕はまっすぐ伸びた木の幹をよじ登り、そこに座った。といっても、僕はライセンスがないためライフルを撃つつもりはないので、そこに座っているだけだ。靄がかかった森の寒さの中、じっと座って、耳だけを澄ませていることになる。途中でおしっこがしたくなったが、降りてまた登るのが面倒くさいし、ガサゴソ音を立てて、ブライアンたちに撃たれでもしたらかなわないので我慢した。こちらから、彼らの居場所はわからないのだ。
銃声が二回聞こえた。
僕が息を殺して待っていると、しばらくして枯葉を踏む足音と、ブライアンたちの声が届いてきた。
「仕留めた。もう一頭いたけど逃げていった」
鹿は胸を撃たれて即死だったようだ。ピクリともせずに、そこに倒れていた。ブライアンは満足げにその傷口の位置を確認した。
彼は頼りないくらい小さなポケットナイフで、鹿の腹を裂くと、内臓を手づかみで枯葉の上に捨てた。それは朝の冷たい空気の中、湯気を立てた。途中で、腸を割いてしまったらしく、彼は「クソッ!」と顔をそむけた。血や臓物よりも強い、糞のにおいがあたりに立ちこめた。
「腐りやすいから内臓は捨てておく。こいつは持って帰ってトラックに載せる」
狩った鹿は地元の管理事務所に報告をして、頭数を把握してもらうという。
ズルズルと死骸を引きずって森を出ると、ケンタッキーの小さな町は、いつもと変わらない土曜日が動き出したところだった。
アメリカで銃乱射事件が起きると、決まって銃規制の話題が盛り上がる。
一九九九年に起きた有名な銃乱射事件であるコロラド州コロンバイン高校(15人)のあとにも、重大なものだけで以下のような銃乱射事件がある(カッコ内は犠牲者数。自殺した/射殺された犯人は含まず)。
二〇〇七年:ヴァージニア州ヴァージニア工科大学(32人)
二〇〇九年:テキサス州フォートフッドの陸軍基地(13人)
二〇〇九年:ニューヨーク州ビンガムトンの移民センター(13人)
二〇一二年:コロラド州オーロラの映画館(12人)
二〇一二年:コネチカット州サンディフック小学校(26人)
二〇一三年:ワシントンD.C.海軍工廠(12人)
二〇一五年:カリフォルニア州サンバーナーディーノ(14人)
二〇一六年:フロリダ州オランドのナイトクラブ(49人)
二〇一七年:テキサス州サザーランド・スプリングスの教会(26)
二〇一七年:ネヴァダ州ラスヴェガスのコンサート会場(58人)
二〇一八年:フロリダ州マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校(17人)
犠牲者がいないもの、より小規模な事件はもっとあるのだが、列挙すればするだけ無機質な、単なる場所と数字の羅列になってしまう印象がある。
アメリカ開拓の歴史の一翼を担うといっても過言ではない、米国最古の銃火器製造メイカーであるレミントン・アームズ社が破綻した。アメリカの分析によれば、トランプ大統領が誕生した二〇一六年以降、銃火器の販売数は落ち込み、各社苦境に耐えているという。
なぜかというと、愛好家たちが「トランプなら銃規制に消極的だから、銃を今買っておく必要もないだろう」と買い控えたからだという。皮肉なものだ。
僕はもはや歴史や憲法と直結した銃火器の規制というものを絶望視している。それでも、せめてAR-15に代表される「アサルト・ライフル」だけは民間への販売を禁止すべきではないかと考えている。すでに一千万丁から千二百万丁が出回っていると言われているので、手遅れであることには変わりないのだが。
アサルト・ライフルというのは、元々はコルト社が開発したAR-15がオリジナルだ。軽量で反動が小さく、全自動ではないが、トリガーを素早く引くことで何十発も連射が可能なライフルである。その上、銃弾の速度が速く、殺傷力が非常に高いという。
一九七七年にコルト社の特許が切れると、各社が類似品を製造販売し出した。
〈銃乱射事件で使われる「AR-15」の破壊力を、医師たちが語る〉wired.jpより
〈What's an ASSAULT RIFLE for DUMMIES〉YouTubeより
このアサルト・ライフルが乱射事件に度々使われるため、非難の対象になってきた。レミントン社も、ブッシュマスターというAR-15型のライフルが、サンディフックの事件で使われたため、遺族から訴訟を起こされている。
一九九四年から二〇〇四年の間はアサルト・ライフルの販売が禁止されていたのにもかかわらず、それに近い製品は売り続けられていたというから抜け穴だらけだったわけだ。
僕がたった一回だけ経験したスポーツとしてのハンティングだが、明らかに銃弾を連射するような状況はありえない。"Assault"は急襲という意味だから、アサルト・ライフルはスポーツ用品ではなく、もはや兵器だ。
銃全体がいけないという理屈に屁理屈を返すことが許されるなら、野球のバットだって凶器になる。それに僕はカウボーイとして牧場で働いた経験を通じて、ライフルの必要性をよく知っている。
ハンティング自体の是非は、肉食にもかかわるので、ここでは論じない。
ただ、僕はハンティングをスポーツとして楽しみ、親が子に釣りを教えるようにライフルの扱い方を手取り足取り指南するような文化の一部に触れてきた。今でも交流のある、学生寮のルームメイトであった友人は、父親と狩った鹿の頭をいくつも部屋に飾っている。
日本人から見たら残酷でバカらしい趣味なのだけど、都会と大自然の環境の差、ピストルとライフルとアサルト・ライフル、スポーツと虐殺を一緒に考えると反発が必至であることはわかっている。できることから始めるなら、やはりアサルト・ライフル(とそれ以上の銃器)は不要だと思う。過剰だと思う。
乱射事件が起きて、銃反対運動や、規制を求める声を聞くたびに、僕はあの日、授業の終わった教室で、日本からの留学生にケンタッキーらしい文化を伝えようと
「ショータ、お前はハンティングしたことあるか?」
と、声をかけてくれた時のブライアンの黒くて大きな瞳と、「いいか」と言う南部訛りを思い出す。