シャンパンをぐびぐび飲みながら、スパイク・リー監督は言った。
「審判が誤審したかと思った」
映画の祭典「第91回アカデミー賞授賞式」が終わった後の記者会見でのことだ。黒人と白人の友情を描いた映画『グリーンブック』が作品賞をとったことに対して、不満をあらわにしたのだ。
日本でも3月1日に封切りされた『グリーンブック』。実はアメリカで「賛否両論」を呼んでいる。
『グリーンブック』は多様性にあふれた2019年のアカデミー賞を象徴しているように見えるが、なぜ批判されるのか?
dTVチャンネルの番組「ハフトーク(NewsX木曜版)」に出演した、朝日新聞記者の藤えりかさんに話を聞いた。藤さんは「映画を通して社会を見る」ことをモットーに、ハリウッドやアカデミー賞の取材を長年続けてきた1人だ。
「白人が黒人を救う映画」 『グリーンブック』への批判
『グリーンブック』は、人種差別の影響が強く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ピアニストとイタリア系白人男性の交流を描いた作品だ。
『メリーに首ったけ』などで知られるアメリカのピーター・ファレリー監督がメガホンを取り、『ムーンライト』で助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリと、『ロード・オブ・ザ・リング』でアラゴルン役を演じたヴィゴ・モーテンセンが共演した。
この『グリーンブック』には好意的な意見が寄せられる一方で、批判的な声も噴出した。
たとえば、この作品は「白人が黒人を救う姿を描く“white savior(白人の救世主)”」の映画だ、とする意見だ。
「要は、白人にとって心地いい映画、という批判です」と藤さんは説明する。
さらに、人種を超えた友情を描いたこの作品には「希望」を描くシーンがあるが、「こんなに人種問題が深刻になっている今、希望なんて見出せない。こんなのんきな映画を撮ってる場合じゃない」と嘆くような批判もあるという。
アメリカでは白人警官による黒人への銃殺、暴行事件が多発し、ヘイトクライムも増加している。
たくさんの犠牲者が出ている状況で、理想や希望を描くことに、何の意味があるのかーー。
スパイク・リー監督の「誰かが誰かを運転するたびに、僕は負ける」発言
『グリーンブック』が作品賞を受賞すると、批判はさらに高まった。
その中には、同じく人種差別問題を描いたスパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』を引き合いに出し、疑問を呈する声もあった。
リー監督は、『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『マルコムX』など、アメリカの人種問題を描いた作品を数多く生み出し、黒人の映画人から尊敬を集める人物だ。
そして、33年のキャリアを持ちながら一度もオスカーを受賞したことがない、「無冠の帝王」でもあった。
2016年に映画界への長年の貢献を讃える名誉賞が与えられたが、作品そのものは受賞歴がなく、アカデミーから長きにわたって評価を受けてこなかった。
今回のアカデミー賞脚色部門でリー監督はようやくオスカーを手にしたが、その喜びも束の間。一部報道によると、作品賞に『グリーンブック』が選ばれるとリー監督は怒りをあらわにし、会場を去ったという。
授賞式後の記者会見では、「まるで自分がマディソン・スクエア・ガーデンのコートサイドにいて、審判が誤審したかと思った」「誰かが誰かを運転するたびに、僕は負けるんだ」と不満を口にした。
1990年、リー監督は『ドゥ・ザ・ライト・シング』で脚本賞にノミネートされるも、受賞は叶わなかった。この年に作品賞を獲ったのは、『ドライビング Miss デイジー』。ユダヤ系老婦人とアフリカ系運転手の交流を描いた作品だ。
「誰かが誰かを運転するたび、僕は負ける」。この言葉は、白人が黒人ピアニストを運転するストーリーを描いた『グリーンブック』に対する、リー監督なりの皮肉の言葉だった。
「才能に比して報われてこなかったという思いや、何百年という奴隷の歴史に対する恨みも大きいのではないかと思います。リー監督にとって、それが無視できないという側面があるのでは」
藤さんはそう指摘する。
希望を見出す『グリーンブック』、現実を突きつける『ブラック・クランズマン』
リー監督の『ブラック・クランズマン』は、過激な白人至上主義集団として知られるKKK(クー・クラックス・クラン)に黒人警官とユダヤ人警官が潜入捜査をする、というストーリーを題材にしている。
軽やかなコメディ要素もありながら、KKKの元最高幹部を務めたデービッド・デューク氏を痛烈に批判するドキュメンタリー的な場面もある。
藤さんは同作について、「最高に面白くて、恐ろしくて、泣ける映画でもある」と話す。差別の描き方は『グリーンブック』と比べるとよりシリアスで、観たものに衝撃を与えるようなシーンもあった。
『グリーンブック』が人種を超えた交流の中に生まれる希望を描いているとするならば、『ブラック・クランズマン』は、人種差別問題によって生じる厳しい現実や絶望を突きつける、という印象だ。
「リベラルの中で分断を招いている」
しかし、『グリーンブック』の中で描かれる白人は、黒人を助ける「いい役」として描かれているだけではない。白人が目を瞑りたくなるような場面も、作中には登場する。
藤さんは、『グリーンブック』の作品賞受賞を批判する声が上がる現象は、アメリカ国内の「リベラル層の分断」を表している、と分析する。
「これについては、心を痛めています。はっきり言って、(『グリーンブック』が)悪意を持って作った映画ではない、ということは明白です」
「マハーシャラ・アリが出ているんです。彼はこの作品で2つ目の助演男優賞を獲りました。オクタヴィア・スペンサー(名バイプレーヤーとして知られる黒人女性の俳優)も製作に入っています」
「仲間割れというか、リベラルの中で分断を招いている感じがします。こういうことが起きているからこそ、トランプ大統領がまた再選するかもしれない、と私は危惧しています」
さらに、「監督が白人か黒人か」。この違いも大きいのではないか、と指摘する。
「『グリーンブック』のような映画を黒人の監督が撮らないと、この議論は収束しないのか、と考えてしまいます。そうすると、白人の監督が黒人の映画を撮るかぎり批判され続けてしまうのか、という話になってしまう。非常に不幸な論争になっているので、そろそろ終わりにしてほしいと思うんです」
「映画の中では、希望を見出したい」
2020年、アメリカは大統領選を控えている。トランプ大統領が再選を目指す中、アメリカは、ますます分断と混乱の時代に突き進んでいるように見える。
スパイク・リー監督は受賞スピーチで、2020年のアメリカ大統領選に触れ、「愛と憎しみの間で、道徳的な選択をしましょう。正しいことをやりましょう」と訴えた。
このスピーチに、トランプ大統領はすぐに異を唱えた。Twitterで、「スパイク・リーのスピーチは人種差別的攻撃」「私は過去の他の大統領よりも黒人の為に多くのことをしてきた」と自分の功績を強調し、反撃したのだ。
「トランプ批判」と、それに対するトランプ大統領の「反撃」。この応戦は2016年以降、さまざまな場面で繰り返されてきた。
藤さんは、こうした批判合戦が「ますます分断を生みかねない」と危惧する。
「トランプ大統領批判は、すごく難しくなってきていますよね。やるとトランプ支持者は怒るだけになってしまう。だから、『グリーンブック』のような中和的なあり方を追い求めた人たちもいるのかな、と思います」
人種間の激しい対立が起きている時代だからこそ、「希望」を見出したい。
『グリーンブック』は、そんな思いをもったアカデミー会員らの票を集めたのではないか。藤さんはそう話す。
「アメリカをずっと取材していると、なかなか希望を見出せないところがあるんですが、だからこそ映画の中では希望を見出したい。『ブラック・クランズマン』も絶望で終わらず、希望はあるんです。どの映画にも希望がある。だからこそ、論争が起きているのはもったいないと思うんです」