この7月24日から26日にかけて開催されたグーグル・クラウド・ネクスト'18( Google Cloud Next'18)という国際会議に参加した。北村直幸先生の講演を伺い、この会議を紹介して頂いたのがきっかけだ。北村先生は、広島で放射線画像の遠隔診断等を推進している株式会社エムネスの社長で、放射線専門医である。会議の舞台はカリフォルニア州サンフランシスコだ。
酷暑の東京から飛んで現地に着くと気候は極めて快適で、空が広い。街中に入ると目につくのが急峻な坂である。東京も坂が多いが、角度は比べ物にならない。坂に沿って横向きに並んで路上駐車されていることがよくあるが、坂の下から全ての車の屋根をしっかり見ることができる。大きな企業のビルや公共施設は坂の下に立っており、坂の途中から上にかけては高級住宅が立ち並んでいるのが特徴的だ。
今日のサンフランシスコの発展は、19世紀のゴールドラッシュまで遡る。歴史的にはそれ以前から港町である。一番賑わう観光地のフィッシャーマンズ・ワーフは名前の通り、漁師町の雰囲気が残り、築地のように海鮮を売る店も一部に並ぶ。また、交通の要衝として発展した街らしく、チャイナタウン、ユダヤ現代博物館やアフリカン・ディアスポラ博物館があり、多様な民族的背景を持つ歴史的成立ちを視覚的にも明らかに感じる。鉄道博物館も港の近くにあり、市内に散在するこれら施設を訪れるためには、ミュニメトロやミュニバス、ケーブルカーなど市内の公共交通も充実しており、各国からの多くの観光客で賑わいをみせていた。
現在のサンフランシスコは、近郊にインターネット関連企業が集中するシリコンバレーがあり、IT産業の先端地として有名である。シリコンバレーのお膝元にはスタンフォード大学が位置しており、そこに短期プログラムで留学中の東京大学法学部の同級生にも面会した。その話によると、国際プログラムで世界から同大学に集った大学生のうち、「75%がエンジニアリングなどで起業したいと考えている人」だという。起業をテーマとした学生向けのイベントでは、主催者であるスタンフォード大学の教員までもが起業のための退学を後押しし、「失敗したら大学に戻って来たら良い」と話していたことに衝撃を受けたと教えてくれた。また、スタンフォード大学とカリフォルニア大学バークレー校は地理的に近く、大学教員から学生に至るまで人的交流が盛んであるという。バークレー校の認知科学の先生がスタンフォード大学での講演で、「認知科学に興味があればいつでもバークレーに」と話していたそうだ。こうした文化が、シリコンバレーにおける人的な流動性の高さを支えているのではないかと分析していた。
さて、本題のグーグルの国際会議は、サンフランシスコの中心部で開催された。参加登録者数は2万人以上に及び、日本からはグーグルとパートナー提携を結ぶ企業の方等が参加していた。グーグルは、クラウド事業における直近の成果を宣伝し、これからのビジネスの可能性を模索するためにこの会議を開いている。
初日の開会の基調講演では、グーグル・クラウド・プラットフォーム(Google Cloud Platform)の1年間での進歩の度合い、特にクラウドと機械学習の掛け合わせによって利便性が向上したサービスが詳しく紹介された。グーグル・クラウド・プラットフォームとは、グーグルがクラウド上で提供している、アプリ開発、ビッグデータ解析、翻訳等、種々のサービスの基盤となるシステムである。エンジニアの方によると、「クラウド自体の規模ではアマゾンに遅れを取っているので、差別化のために機械学習との掛け合わせを打ち出しているのだろう」とのことだった。実際、マウンテンビューに位置するグーグルプレックス(Googleplex)の愛称で知られる建物には、「グーグルが最も力を入れている分野のチームが入っている」そうだが、「検索、アンドロイドを経て今は機械学習のチームが場所を占めている」という。Gメールを利用されている方はお気づきだと思うが、何かのメールに対して「ありがとうございます。」「承知しました。」等のシンプルな返答が提案される機能が、まさに機械学習の応用の一例である。
一方で、「これから」の話として強く押し出されたのがヘルスケアだ。クラウド自体は、データおよびインフラの構築の方法なので、あらゆる分野に適用しうる。その中でも「生物学や医学•医療分野は、蓄積されるデータが倍増するまでの時間が数十日までに短縮された」と触れられたように、無限に増えていくデータの扱い方が焦点となっていく。実際、今回のカンファレンスの最大のニュースの一つとして、医学研究の一大拠点であるアメリカ国立衛生研究所(NIH, National Institute of Health)と連携してグーグルがプラットフォームを作ることが取り上げられていた。
インフラの観点から医療分野特有の問題は、グーグルの方曰く「プライバシー保護などのコンプライアンスの問題と、データ形式の多様性だ」という。人工知能による情報処理のプログラミング自体は「数ある他の分野に使うものと似たもの」だが、個人情報が絡んでくるとデータをいかに取り、守るかがポイントとなる。また、問診等の音声データ、CT等の画像データ、カルテに記載されたテキストデータすべてを扱う必要があるのも大きな特徴だ。今後の技術開発がますます求められる分野であり、グーグルが医療に本格的に乗り出したのも自然な流れだろう。
そして会議二日目の午後に、冒頭でご紹介した北村先生とグーグルのプロダクトマネージャーであるアリー•マイヤーさんによるセッションが行われた。
北村先生は、グーグル・クラウド・プラットフォームを利用した遠隔診断システムを開発している放射線専門医である。各地で撮影された放射線画像等をクラウド上にあげ、遠隔地にいる放射線専門医らがその読影結果を返すというシステムだ。さらにその中で、脳動脈瘤を人工知能(AI)を使って同定する技術も開発中である。
北村先生によれば、一番の肝は「日常業務で診断をしながら人工知能のための教師データを作る」ことだ。実際に開発中の脳動脈瘤同定システムを例にとると、診療業務の一連の流れの中で、AIの判定結果を参考にしながら専門医が「陽性」「偽陽性」等を判断して実際の診断を下し、AIの判定の正誤を評価してAIに返すという形である。「忙しい医師が診断システム開発のために、別に時間をとってAIを訓練するための教師データを作るのはおかしい。日常業務をしながらその結果を教師データとしてAIの性能を改善していく」という。AI開発では、高品質かつ膨大な量の教師データを如何に入手するかが鍵だ。北村先生のアプローチは、限られたリソースを有効活用するという観点から非常に合理的だ。また、遠隔地で読影している医師の中には、産休中の方や、アメリカやイギリスで留学している方もいるという。このような形で診療に関わる道が開かれていることに驚いたが、これも大変合理的だ。従来の有線システムと全く異なり、ネット上のクラウド遠隔読影システムを構築したことで、育児や勉強のために現場で直接診療には関われない医師の力を広範囲に有効活用出来る。
会場からの質問では、診療時間や費用に関する極めて具体的な内容が多く、理論上の話に終始しがちな他のセッションとは対照的であった。診断に必要とされる時間に関する質問に対して、北村先生は「現在は少し余分に時間がかかっているが、AIが完璧になればもうすぐ短縮される」と自信を持って答えていた。講演時間が終わった後も、「自分のところでも是非やりたい」と考えるカナダからの参加者が、居残って北村先生に質問攻めにしていた。
医学生からすると、AI開発のためには、元になるデータさえ取ってくれば、膨大なデータを蓄積できるクラウドと、機械学習を利用することで臨床での判断の改善につながると単純に考えがちだ。しかしこの会議を通じて、そのシステムの開発は一筋縄には行かず、臨床現場での様々な細かな工夫が必要だと理解できた。一方で、AIの医療現場の導入による診断の自動化の流れの中で、これからの医師が担う役割とは何だろうか。そのヒントをグーグルのアリーさんが言っていた。「我々はプラットフォームを持っているが、北村先生はローカルなルールやプライバシーの問題についてわかっている。そこでお互いに補完できる。」つまり、標準化し、広げていく部分はエンジニアが強いが、そもそも医療機関でデータを取る部分は患者さんを診療する現場の医師にしかできない。医学部生としての立場から言えば、まずは体の状態を表すためにいかなるデータが必要になるかという視点を持った上で、病理学等の基礎医学を学んでいきたい。そして、AIが臨床現場に普及する時代になっても、患者さん及び周囲の医療従事者との人間的な信頼関係をしっかりと築く医師となるよう努めたい。以上二点を胸に刻み、日本へと帰国した。