少女像、その「不便さ」について

敗北したり侵略されたりした民族を、蹂躙された女性に置き換えて反撃の内的動機を作りだすのは、一次元的な民族主義によくある感性戦略といえる。

ソウルの日本大使館前に続き、釜山の日本領事館前にも「少女像」が建てられた。その「少女像」が、日本の植民地時代末期のいわゆる「大東亜戦争」時代に、日本軍の性的奴隷として連れていかれた「従軍慰安婦」を象徴する造形物だということを知らない人はいないだろう。韓国だけでなくアメリカにも建てられており、日本政府はこの象徴的な造形物に神経質な反応を見せた。また、その反応が高まるほどに「保護」されるべき理由はさらに強くなり、結果的にこの造形物は従軍慰安婦に関する記憶闘争が繰り広げられる「ホットスポット」になってしまった。

私はこの「従軍慰安婦」という歴史的事実の存在を絶対に忘れてはならないという、「記憶派」の一員であることは間違いない。しかしこの「少女像」に関して、日本政府や一部の日本人が感じるのとは異なる意味で、ある「不便さ」を感じている人々がいなくはないということを知っている。私もやはりその感触を共有している。この不便さとは適切なものだろうか? 敏感な問題だが、避けて通れる問題ではない。

ソウル市鍾路区の日本大使館前に建てられた「少女像」。

すべてではないとしても、日本の帝国主義者らが植民地の未成年の女性を、この醜悪な性暴行制度の犠牲として動員したのは明らかな事実だ。まさに「少女慰安婦」だ。成人女性だったとしても、仮に自発的だったとしても、また極端に言えば一種の売春だったとしても、女性が男性軍人の性欲解消のために制度的に動員されるのは残酷で野蛮なことだ。よって、まだ人格的にはもちろん性的にも自己決定権が十分にあるとはいえない幼い女性を強制的に動員して性奴隷にしたという事実は、普遍的な憤りを呼び起こすのに十分な事実に違いない。

したがって「少女慰安婦」は、日本によって実行されたこの性的搾取制度の野蛮さと醜悪さがもっとも象徴的にわかる出来事だ。そうした点で今日のこの「少女像」は、あえて日本だけに限定されない、すべての醜悪な戦争犯罪の非人間性を想い起こさせる造形物として意味があるといえる。

先月31日午後、釜山市東区の日本領事館前で開かれた「少女像」の除幕式。

しかし、この「少女像」が否応なしに呼び起こす「凌辱された純潔な少女」というイメージは、戦争犯罪者の罪を問うための象徴だけではないという問題がある。このイメージはよく、植民地で収奪されたり敗戦したりした特定民族(国家)の不幸な状態を置き換えて、「民族主義」という非理性的な幻想を捏造するのにも適した象徴性を持つ。敗北したり侵略されたりした民族を、蹂躙された女性に置き換えて反撃の内的動機を作りだすのは、一次元的な民族主義によくある感性戦略といえる。

そしてこのような形の民族主義はもっぱら敵愾心や攻撃性ばかりを誘発し、「我と非我の闘争」流の原始的・民族主義的競争に人々の目をくらませるのにもってこいだ。

さらには、女性に対する固定観念―弱く保護されるべきであり、純潔でなくてはならず、他の「奴ら」が触れてはいけない非自律的で受動的な存在―という、男性優位的な観念を再生産する、もう一つの象徴性も持っている。この点がまさに私も共感する、「少女像」が与える不便な感じの根拠だろう。

2004年11月2日、ドイツ・ベルリンを訪問したイギリスの女王エリザベス2世が、ドイツの彫刻家ケーテ・コルヴィッツの反戦彫刻「死んだ子を抱く母」の像に献花した

どうしても「少女像」でなければならなかったのだろうか? 同じ女性のイメージでも、例えば第2次世界大戦の不幸と惨景をピエタ(訳注:死んだキリストを抱くマリア像)のイメージにかたどった、ケーテ・コルヴィッツの作品のような造形性を持たせることはできなかったのだろうか? そう考えてみる。

しかし考え直すと、それはかなり非現実的な希望に違いない。戦争が終わっても親日派をはじめとする植民地の負の遺産をうまく清算できず、その後は韓米日の三角構図で、アメリカの世界戦略の下位パートナーとして、補償も日本の思うがままにされた。あるいは賠償の要求もまともにできない、このはなはだ愚かな大韓民国で、従軍慰安婦の問題をこうやって継続的に提起し、記憶し続け、現在の問題として絶えず想起させてこられたのは、純粋に「慰安婦の方々」の勇気と民間の努力のおかげだ。「挺身隊問題対策協議会」しかり、「ナヌムの家」しかり。この「少女像」もやはり、志ある芸術家による「才能の寄付」によるものだ。

ひょっとすると、このような状況で「少女像」のイメージに内在する上記のような不便さを引きだして指摘するのは、世情に疎い話に近いかもしれない。その少女像を撤去や損壊の危険から守ろうと、ビニールテントを張ってかわるがわる夜を明かして守る若者たちを考えれば、よりいっそうそうだ。

かと言って不便なのを不便でないと、あるいは不便ではいけないと言えない。それはそれとして尊重されるべきだ。私はもしかしたらこの「少女像」の、このように不便な即物性自体が、今韓国が置かれている政治経済的・社会文化的な総体の反映ではないかと考えている。

また、それはそれ自体として、「口に出せない存在」だった「慰安婦の方々」が経験してきた、まさにその不安感と不完全感と不便さを代わりに雄弁に語る形象として、また、すべての記憶闘争が持っている明確な敵対性と、ひけをとらない曖昧性や多義性が渦巻く「現場」として、激しい存在意義があるのではないかと思う。

この世界にはゴルディウスの結び目のように、一刀両断に解決できる問題は意外に多くない。

ハフィントンポスト韓国版に掲載された記事を翻訳しました。

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