激しい戦闘が続くパレスチナ・ガザ地区で、北部にあるアル・アウダ病院が攻撃を受け、医師3人が死亡した。
うち2人は国境なき医師団(MSF)の医師。病院のホワイトボードには、死亡した医師が「私たちを忘れないで」という言葉を書き残していた。
戦闘開始後も患者と共に病院に残り治療
MSFによると、同病院で命を落としたMSFの医師は、マフムード・アブ・ヌジャイラさんとアフマド・アル・サハールさん。
ヌジャイラさんは総合診療医としてMSFで数年間働いていて、外来と入院治療の両方に携わっていた。常に患者に寄り添い、幼い患者を自分の子どものように世話していたという。38歳で、妻と3人の子どもを残して亡くなった。
サハールさんは10月7日の戦闘開始直前にMSFのチームに加わった医師。婚約したばかりで、近く結婚する予定だったという。
2人は、10月7日の戦闘開始後も避難することなく病院に残り、患者たちの治療に当たっていた。家族にも1ヶ月間会えないまま、この世を去った。
MSFは、アル・アウダ病院が機能していて中に医療従事者がいるということを、イスラエル側とハマス側双方に伝えていたという。病院の位置を示すGPS座標も前日にイスラエル当局に共有していた。
国際的な条約のジュネーブ条約(国際人道法)では、医療施設や医療従事者、医療用車両などへの攻撃を禁止している。
「最後まで残った人は伝えて」死を覚悟した伝言
攻撃で生々しい銃弾の痕が残った病院のホワイトボードにヌジャイラさんは、こう書き残していた。
「最後まで生き残った人が、何があったかを伝えてください。私たちは自分にできることをした」
「私たちを忘れないで」
記された日付は10月20日となっており、7日の戦闘開始後、医師らが死を覚悟しながら患者の治療に当たっていたことが伺える。
MSFは、以下のようにコメントしている。
「ガザで何百人もの患者を支えている私たちの仲間は、できる限りのわずかな医療を提供するために、非常に困難な状況に直面している。病院のベッドの横で医師が殺されているのを見るのは、悲劇を越している」
「私たちは、この攻撃を最も強い言葉で非難し、医療施設、医療スタッフ、患者の尊重と保護を改めて求める」
「困ったことはあるか」とても親切だった2人
ヌジャイラさんとサハールさんと同じ病院で働いていた日本人医師も、2人の死を悼んでいる。
ガザ地区に2023年4月から11月まで派遣されていた感染症専門医の鵜川竜也さんは、都内で12月11日に行われたMSFのトークイベントで、2人はいつも「困ったことはあるか」「何かあったら俺がなんとかするから」と鵜川さんに優しく声を掛けてくれていたと話した。
MSFによると、アル・アウダ病院は12月5日からイスラエル軍に包囲されていて、11日にも銃撃が発生し、MSFの外科医が負傷した。病院にいた医療関係者の証言では、スナイパーが病院を取り囲み、中にいる人に向けて発砲していたという。
MSFは2018年からアル・アウダ病院で活動し、成人の再建外科手術と子どもの外傷手術を提供してきた。
ガザの保健当局によると、ガザ地区での死者は1万8千人を超えた。