LGBTQの認知の高まりとともに、近年メディアにはさまざまなセクシュアル・マイノリティについての話題が登場するようになった。
それらのほとんどはマイノリティへの理解を促す良心的なものだが、中には興味本位で面白おかしく取り上げるような例もないわけではない。
ゲイのセックスのひとつの在り方である"ハッテン"がバラエティで面白おかしく紹介されたこともある。ハッテンとは、ゲイが匿名的な空間のなかで他の男性と機会的な性行為をすることを指す。ハッテン場とはそうした場所となる空間のことだ。
同性愛者のセックスについてネガティブに語られることがある状況で、着実な研究にもとづいた正確な情報を伝えるべきなのかもしれない−−。
セクシュアル・マイノリティの実証的研究を専門とする社会学者の石田仁さんに話を聞きながら、ハッテンの歴史と現在、そこにある課題を考察していきたい。
この記事における「ゲイ」とは、特にことわりのない限り、ゲイ、バイセクシュアル男性、およびMSM(Men who have Sex with Men。本人のセクシュアリティの認識がなんであれ、男性とセックスする男性)を指します。そうしたゲイのハッテンの歴史的背景を分かりやすく説いていきます。
ゲイの性、本質的な論議の必要性
ゲイの中には、ハッテン場となっている公園や銭湯、公衆トイレなど公共の場所や、営利目的で営業する専用のハッテン場に集まり、出会った相手とセックスする層がある 。
バラエティ番組でもハッテン場が取り上げられ物議を醸したこともある。ユーチューバーなどが潜入動画をアップする例も見られるようになった。
LGBTQが可視化されていく中で、そのセックスについて注目する人が出ることは避けられない状況と言えよう。
これまでメディアが発信してきたゲイのセックスは、自由奔放で多淫といった描き方が多かったように思う。例えば公共空間でのハッテン行為は、「不道徳」で「常識外れ」なものとして、専用のハッテン場はゲイの多淫さの象徴として描かれた。
しかし、本当にそうなのだろうか。公共空間のハッテン場や専用のハッテン場が生まれた条件を、社会学的に考えたい。
ハッテンの歴史
まずハッテンはどのような条件で発生したのか、その歴史的な経緯について石田さんに聞こう。
「そもそもハッテン行為は大都市でなければ成立しにくいところがあります。学生人口が多いとか、労働人口の多くがサラリーマンであることが大前提です。社会学では『職住分離』と言いますが、仕事と住まいが離れている条件がハッテンには必要なのです」
「たとえば田舎の河川敷がハッテン場だったとしても、近くで農業を営む人がそこに行けば、行ったことが周囲にバレてしまう。開き直るなら別ですが(笑)、ハッテンは難しいです」
つまり、人々がたまたまそこにやってきて、お互いが誰だか分からない匿名性がなければハッテン場は成立しない。
ハッテン場の生成にはいくつかの要因が考えられるが、専用ハッテン場の隆盛を助けたのが東京オリンピックと大阪万博だったという説もある(『噂の真相』1990年8月号)。これら2つのイベントのために国内の輸送網が強化された。
「1970年の万博のために鉄道の旅客輸送を強化する。万博後には輸送力が過剰になる。埋め草のために当時の国鉄が万博終了の翌月から打ち出したキャンペーンが「ディスカバー・ジャパン」でした」
「個人旅行を推奨するこのキャンペーンの影響で、男性たちは中・長距離の個人旅行に慣れたのでしょう。ハッテンを期待して移動や旅行の楽しみを見つけたゲイの投稿を、70年代のゲイ雑誌からよく目にします。個人旅行の他には、出張も大きいと考えています。」
ここで石田さんの言葉とともに、ハッテン場の種類について整理しておこう。
「ハッテン場には、流用ハッテン場と専用ハッテン場があります。この分け方は歴史社会学者の前川直哉さんのアイデアです。前者は公衆トイレや公園など公共の場をハッテン場に流用するケース。後者はハッテンのために作られた有料の専用施設です。時代的には、まず自然発生的に流用ハッテン場が出来て、後に専用ハッテン場が登場しました」
流用ハッテン場では、その施設の設営者や、警察とのトラブル、またノンケ(異性愛者)の利用者とのトラブルはもちろん、MSM同士でのトラブルも多かった。
流用ハッテン場におけるMSMは「お互いにアウティングというジョーカーを隠し持っているようなものだった」と石田さんは表現する。
「『自分は"ホモ"とは違う』と主張するカードを、互いに持っているのです。だから先に相手から手を出させるという駆け引きも生まれます。かつては"プロ""セミプロ"と呼ばれる人がよくいました。流用ハッテン場で生活の糧やおこづかいを得ていた人を指します」
「彼らは相手の身なりや年恰好から獲物を決めます。手を出させたあとで自分は『ホモから迫られた被害者』だと主張し、会社にばらす、警察につきだすなどをちらつかせ、金銭を脅し取る手口です」
「金の無心をしないまでも、アウティング(相手がゲイであると暴露すること)をちらつかせて、困る様を見てみたいというゲイ当事者もいました(『薔薇族』74年1月号)。流用ハッテン場は、常に疑心暗鬼に満ちていたわけです」
「逆に自分がMSMであることを知らせるサインもありました。1970年代に発行されていたゲイのハッテン場ガイド『GREEN LETTER』には、公衆トイレの個室でハッテンする時に仕切りの上から手で信号を送ったり、仕切り板に開いた穴からマッチ棒を差し入れるのが合図だったとあります。当時の人たちが安全にハッテンするために知恵を絞っていた様がしのばれます」
ハッテン場など全国のゲイスポットを紹介する情報誌『GEREEN LETTER』は1960年代に誕生したといわれ、後にゲイのイエローページとなる『プレイゾーンマップ』や『男街マップ』のモデルとなった。
このように流用ハッテン場がトラブルのリスクを抱えたものであったのに対し、専用ハッテン場は比較的安全な出会いをもたらすものだった。
戦前は、専用ハッテン場は数店舗しかなかったが、戦後は1950年代から出現し、1970年代後半にブームの様相を見せる。
戦後の専用ハッテン場の嚆矢とされるのは、1956、7年頃に大阪の西成(釜ヶ崎)に開業した「竹の家旅館」である。伏見憲明氏の聞き取り調査など、貴重な証拠が残っている(伏見憲明『ゲイという[経験]』)。
竹の家旅館は、いろいろな意味で利用者に優しい画期的なシステムを持っていた。73年の記事によると、まず衣類と貴重品は店に預ける。店内のバーでは札番号を見せることで、ツケで飲食ができた。つまり現在の健康ランドなどと同じ方式がすでに採用されていたのである。
有料ハッテン場ではすでに、同じ浴衣をはおることで富裕層かどうかを判断することが難しくなっていた。番号札システムにより盗難の心配がさらになくなり、先述の"プロ"が館内で活動しにくくなった。しかも竹の家はそのプロをも包括する経営姿勢を見せていた。
「ハッテン場には"プロお断り"という貼り紙がままありました。しかし、竹の家は、"ここではプロもみんなと同じように金銭を離れて遊んでください"と謳っていたそうです」と石田さんは語る。
それでもゲイが流用ハッテン場を利用する理由
「竹の家」の方式に他の旅館もならうことで、ゲイの性交渉には安全がもたらされ、80年頃までには大都市にいけば必ず専用ハッテン場があるという状況になる。とはいえ現在も、流用ハッテン場を利用するゲイは絶えない。
ゲイがいまも流用ハッテン場を利用する理由はいくつか考えられる。
ひとつには専用ハッテン場への出入りを誰かに見られると身ばれをするおそれがあることだ。ゲイであることを隠している人や、"偽装結婚"をしている人にとっては、専用ハッテン場に入ることこそがリスクを感じるだろう。
また、ゲイであることを自らが受け入れられていない男性には、ゲイ専用施設を利用すること自体に抵抗があるかもしれない。特に若いMSMの中には「お金を払って入ったら自分は完全にゲイになってしまうかもしれない」と思う人もいるだろう。アイデンティティに関わる問題でもある。
流用ハッテン場であれば、「自分はたまたまそこに行っただけだが、たまたま居合わせたゲイにセックスをもちかけられ応じただけだ」とか、ハッテン場とされるスーパー銭湯に行って何も出会いがなかったら「お風呂に入りにいっただけだ」と納得することができる。"だから自分はゲイではないのだ"と自分に言い聞かせることも可能なのだ。
このように、流用ハッテン場は「あいまいさ」をMSMに与える空間であるというとらえ方もできる。
流用ハッテン場を考察するポイント
これらの点について、石田さんは考えてみるべき2つのポイントを指摘する。まずはゲイというアイデンティティの問題についてだ。
「今では、ゲイはゲイ、ノンケはノンケと、存在論的に違って、"異なる他者だからこそ理解しあうのが大切である"という認識が一般的になりつつあります。これは90年代前半の同性愛解放運動(ゲイリブ)の成果もあるでしょう。90年代後半あたりから社会に浸透しはじめ、昨今の「LGBTブーム」で一定程度定着したと考えられます」
「しかし、昔はそうではありませんでした。異性愛者を指すゲイの隠語に"ノンケ"があります。"そのケ(気)がない"という意味です。「乗り気」「今はその気分でない」など、「気」という概念は流動的な心情を表すのに使われます。それこそ"ノンケ"男性が読む大衆雑誌でも、"男なら、誰もが大なり小なりそのケ(=男性同性愛の傾向)を持っている"というようなことが、昔はよく書かれていました」
「ゲイ雑誌にも『○×大学の学生は軟派だから、誘ったら3割位は乗ってくれる』という報告がよく載っていました。まあ、ゲイなる内輪の読者に消費されるための、あらまほしき物語ですが(笑)。ただ、そのような語り方がゲイ内外で成立していた時代がたしかにあって、今やそれがほぼ絶滅したというところがポイントです。」
「相手がいやだという以上、行為や危害を加えてはならないのは当然ですが」と前置きしながらも、石田さんは、ここ数年、銭湯や海岸などの流用ハッテン場での"ゲイの迷惑行為"がクローズアップされている原因として、「尊重すべき存在論的な他者」という社会的に形成されつつある建前が破られるからではないかと考える。
その前提条件として、ゲイが好みや気分ではなく、変更不可能な性的なアイデンティティとして認知されるに至った90年代の社会運動の成果を感じ取るという。
売春防止法によって生まれた変化
流用ハッテン場を考えるもう1つのポイントは、自宅外の空間を利用して性行為をすることが、そもそもゲイに限らなかったという点だ。
「以前は、男女のカップルも野外など自宅以外で性行為をしていたのです。昔は世帯人数が多く、プライバシーの観念も希薄で、自宅で性行為が心おきなく出来るとは限りませんでした。農機具庫、夜の公園や広場、ピクニックの途中など、様々な場所が駆使されました」
「そうしたところで行う男女の性行為について、眉をひそめていた人はたしかにいたでしょうが、今ほど不道徳とされたり常識外れとされたりしてはいませんでした。また、井上章一さんの『愛の空間』などによると、お好み焼き屋や蕎麦屋の2階など、飲食店が性行為の空間として流用されることもあったようです」
そのような性事情に大きな変化が起きた1つの理由として、1957年の売春防止法(売防法)施行があげられるという。
「売防法施行後、売春宿の多くが経営困難になり、一部は連れ込み旅館に転業します。これが後にラブホテルを生み出す文化の下地になります。異性愛カップルが金銭を払って心おきなく性行為をする場所は1950年代後半から60年代に整備されました」
「そして野外での性行為は"不道徳""常識外れ"とみなされていきます。MSMの出会いは"不道徳""常識外れ"な公共空間に取り残されていったのです」
必要論を離れて−−オプションとしての性の自由の訴求
ハッテン場が必要だった歴史的背景を述べた上で、石田さんは現在の専用ハッテン場の在り方について次のような見方を提案する。
「必要があって生じた業態であれ、時間が経つと業態は自己目的性を持つようになります。なぜ専用ハッテン場の営業を続けるのか、それは店を営業するためである、というところが今の本音でしょう。またそれで十分かもしれません」
「現代ではGPSアプリがゲイの出会いで主流となっており、他にもバー、クラブイベント、掲示板などの様々な出会いがあることは言うまでもありません。出会いのチャンネルが多様化した今、必要論では説明しきれなくなっているのではないでしょうか」
また、銭湯などの商業施設でハッテン行為をするゲイが"自分たちゲイのおかげで経営が成り立っている"などと主張することをまま耳にするが、こういった姿勢には手厳しい。
「この発言の背景には、"食わせてもらっている側が文句を言うな"、"消費者が店舗の命脈をいかようにもコントロールできる"という尊大な幻想があります。『食わせている』ことで自己を正当化するのは、経済活動の主体に慣れた、男性の習い性でしょう。男性ジェンダーの問題が色濃く刻印されています」
そうして"ひとまずの結論"と断った上で、石田さんはこう話した。
「今、『アプリで出会うのに疲れた』というゲイは少なくありませんが、『ハッテン場通いに疲れた』というゲイはほとんどいません。かつて、流用ハッテン場に行かなければ出会えない時代がありました。アプリを駆使しなければ出会えない時代が今です」
「ハッテン場がゲイの出会いに重要な機能を果たした時代は去ったかもしれませんが、出会いのオプションの1つとなり、その分身軽になりました。性を取り結ぶ出会いの形態にはさまざまなものがありますが、お互いの名前も知らせず、言葉も交わさず、また複数の相手と出会えるハッテンのような形態も、性の自由な形態の可能性の1つです。そのような"オプションとしての性の形態"を、今のハッテン場は示唆しているような気がします」
「もちろんだからといって感染症やパートナー間における貞操の問題は解決できるわけではありませんが、必要論よりも性交渉の1つの自由な形態として認識するのが良いと思います」
石田仁(いしだ・ひとし)
明治学院大学社会学部付属研究所研究員、成蹊大学非常勤講師。社会学者としてセクシュアル・マイノリティの実証的研究を行う。共著に『図解雑学ジェンダー』(ナツメ社)、『セクシュアリティの戦後史』(京大出版)、『戦後日本女装・同性愛研究』(中大出版)、『セクシュアリティと法』(法律文化社)などがある。
(取材・文 宇田川しい 編集:笹川かおり)