メディアや広告で、ほとんど見聞きすることがなくなった“外人”という言葉。
「外の人」や「よそ者」という疎外感を与えるニュアンスを持つことから、その言葉が不適切なのではないかという議論が進んでいるが、日常に耳を傾けてみると、残念ながら、未だ身近な言葉であることにも気づかされる。
「“外人”という言葉を聞くたびに、『あなたは外の人』『ここにいるべきじゃない』と言われているように感じてきた」
そう語るのは、日本とモルドバにルーツを持つSさん。日本で“外人”と言われることに違和感を抱いて育ったSさんは、勤務先の会社で「その言葉、やめてください」と一石を投じた。
「自分が気にしすぎなのかな」「上司に適切な言葉で伝えられる自信がない」、そんな葛藤の末に踏み出した一歩に、周囲からは嬉しい反応があったという。
“異質さ”を強調する、“外人”という呪い
物心がついた頃から、周囲の反応を通して、自身の“異質さ”を感じていたと語るSさん。幼少期に浴びた言葉が、今も呪いのように心にへばりついているという。
「昔から『自分は周囲とは違うんだ』と気づかされてきました。スーパーで母と買い物をしていても、日本人の母が“日本人っぽくない”私を連れていることでジロジロと見られたり、初対面の人から英語で話しかけられたりしました。
特によく覚えているのが、頻繁に『まつ毛が長いね』と言われたことです。褒め言葉のつもりだったと今になれば理解はできるのですが、自分の“異質さ”を強調されるのが子供ながらにすごく嫌でしたね。
特に心を刺したのが“外人”という言葉です。サッカーの試合で相手チームから『外人いるじゃん』と言われたり、周囲から“ガイジンさん”と呼ばれたり、ずっと育ってきた日本にいながら『あなたは外の人』『ここにいるべきではない』と言われているようで、疎外感や容姿へのコンプレックスに繋がりました。“外人”と一括りにされることで自分を単純化されているようにも感じましたし、侮辱されている気分にもなるんです」
常に“違う”人としての孤独を感じていたSさんだが、大学進学を機に心に光が差し込んだ。
「国際系の大学に進んだところ、多様なバックグラウンドを持つ人たちにたくさん出会いました。私のようなミックスルーツの人や帰国生の人なども当たり前にいる環境だったので、他人と“違う”ことも“普通”だったんです。
それまでの経験から、私は人と話すときに『見た目のことを何か言われるんじゃないか』と身構える癖があります。中には初対面から『家族の出身は?何をしてる人なの?』と聞いてくる人もいるのですが、私は中学生の頃に母を病気で亡くしているので、そういった質問には今でも硬直してしまうんです。見た目が人と“違う”だけで、他の人には聞かないようなことをデリカシーなくズカズカと聞かれるのは、とてもストレスです。
一方で、大学の友人とのやり取りは比較的安全に感じました。彼らの多くも、何らかの形で自身のマイノリティ性による孤独を経験してきたからか、言葉選びやコミュニケーションにもある種の丁寧さがあったんです。“外人”という言葉も、ほとんど耳にしませんでしたね。
そこで『“違う”のは私だけじゃないんだ』と心が楽になったことで、はじめて自分のモルドバ側のルーツに向き合うことができ、大学2年生のときにはモルドバの親戚に会いにも行きました。ずっとみんなと“同じ”になりたいと思ってモルドバ側のルーツに背を向けていた私を『おかえり』と迎えてくれたときは泣いてしまって、今ではとっても大切な私の一部です」
やっと言えた「その言葉、やめてください」
大学卒業後、東京で就職したSさん。仕事を通して多くの人と出会っていく中で、少しずつ多様性理解における社会の変化を感じているそうだ。しかし一方で、社会人4年目を迎える頃、自身が勤める会社で“外人”という言葉を頻繁に耳にするようになる。
「東京という土地柄も関係していると思いますが、仕事で会う外部の人に『ハーフですか』と聞かれたのは2回くらい。見た目や名前を理由に個人のことを詮索されることなく、普通に仕事の話が始められるのは嬉しいですね。しかし、そこで私がショックを受けることになったのは、意外にも身近な勤め先の会社の方だったんです。
コロナ禍が落ち着いて、海外からの観光客が増えましたよね。すると仕事場でも『外人向けに』とか『外人の多い店舗が』と頻繁に言われるようになりました。
私に向けた言葉ではないと分かってはいたのですが、“外人”は幼少期からの呪いの言葉みたいなものですし、周囲のミックスルーツの友人たちも、この言葉に傷つけられてきました。中には『鳥肌が立って怒りと悲しさが湧いてくる』という人もいるんです。そんな言葉が、身近な場所で当たり前に使われていることに耐えられなくなってしまったんです。
はじめは『私一人が我慢すればいいことだ』と拳を握りしめていました。やめてほしいと伝えたとして、もしも『そんなの気にすることじゃない』『あなたが気にしすぎ』と言い返されてしまったら、もうその人を信用できなくなってしまうかもしれないという怖さもありました。特に相手が上司だと、立場の都合上、言いづらさが増してしまいます。
しかし、あるときに後輩が『あの言葉、当事者ではないけれど私も気になっています』と話してくれて、それをきっかけに『やっぱりちゃんと伝えよう』と決めたんです。私は上司のことが好きなので、できるだけ簡潔で丁寧に、相手を不快にしないようにこの気持ちを伝えたかったのですが、いざ口に出そうとすると色々な記憶や感情が先行して涙が出てしまう。そこでノートに気持ちを綴って、台詞のように一言一句を覚えることにしました。
それでも、いざ面談で話しはじめたら、体が震えて、言葉も途切れ途切れになってしまいました。しかし、そんな私の気持ちを上司はしっかりと受け止めて『教えてくれてありがとう。代わりになんて言葉を使うのが良いか、よかったら教えてくれないかな』と聞いてくれたんです。私は『外国人で大丈夫です』と声を絞り出して、その瞬間に背負っていたものがストンッと肩から落ちたのを感じました。
しかも後日、改めて社長が『教えてくれてありがとう。知らずに使っていてごめんね』と言ってくれました。あのときは本当に嬉しかったですし、『社会に期待してもいいんだ』と教えてもらったようでした」
“最前線の連帯”が教えてくれた心強さ
一連の出来事をFacebookに投稿したSさん。投稿には「シェアしてくれてありがとう」「大変だったね。かっこいい!」などの温かいコメントやお礼のメッセージが数多く寄せられる一方で、一部の心ない言葉にも向き合うこととなった。
「投稿には外国人の知人から『気にしすぎだ』『僕は自分を“バカ外人”と自虐的に言うこともある』というコメントも届きました。私の父もそうなのですが、日本語が母語ではない人には特に『外人』と『外国人』の違いや、その言葉のニュアンスを丁寧に説明する必要があります。しかし、その知人はそれ以前に、私の論点とはまるで違ったコメントばかりをしてきて埒が明きませんでした。
そんなとき、知人と私のやりとりを見た大学時代のミックスルーツの友人が、私の伝えようとしていることを噛み砕いて、横からやりとりに参加してくれたんです。素敵な友人ですが、普段から連絡を取り合うような関係ではないですし、社会や人権について一緒に議論したこともなかったので、はじめは少し驚きました。でもすぐに、それを超える心強さや感謝の気持ちで心がいっぱいになったのを覚えています。
よく社会の話をするときに『連帯』という言葉が使われますが、このとき、まさに同じような経験をしてきたであろう友人と私の連帯を感じたんです。
個別に送られてきたメッセージの数々にもとても励まされましたし、無理にサポートをしてほしいという訳では決してありません。しかし、この友人がSNSのコメント欄という誰でも閲覧できる“公的な場所”で私の側に立って、一緒に闘ってくれたことは、私にとって特に大きな意味を持ちます。
社会に顔や名前を出して声を上げるとき、それはとても怖いことでもあります。そんなときに、仲間が共に最前線に立っていてくれることはこんなにも心強いんだと改めて身に染みた出来事でした。
他者を知ろうとする『会話』と、当事者同士の『最前線の連帯』。“外人”という言葉をめぐって声を上げたことで、社会の希望と優しさに改めて気付きました。
ルーツや容姿においては、私はマイノリティかもしれませんが、母国があるか、参政権があるか、深刻な持病を患っているかなど、物差しを変えればマジョリティに属すこともたくさんあります。また、今後『外国人という言葉は適切ではないのではないか』という議論が生まれてくる可能性もあります。
なので、私自身も社会の当事者として、しっかりと他者に耳を傾けられる人、思考や言葉のアップデートや会話が出来る人でありたいと思います。そして何より、友人たちが色々な形で自分にしてくれたように、“当事者”であるか否かに関わらず、共に闘える人でありたいと強く思います」
<取材・執筆=林慶(@kei_so_far)編集=磯本美穂>