普天間漂流――軍事的リアリティを踏まえた効果的な交渉の不在

鳩山内閣時代の普天間飛行場移設問題の迷走は、ひとり鳩山内閣の問題にとどまらず、外務省、防衛省に代表される日本の官僚機構の能カレベルを余すところなく浮き彫りにすることになった。ここでは、私自身が当事者となった米国政府との協議の一端から、交渉失敗の現実を明らかにし、将来への教訓を導き出す材料としたい。

1月27日に掲載したハフィントンポスト編集主幹・長野智子のブログ「普天間基地『腹案だった?幻の移設案』」の関連記事として、軍事アナリスト・小川和久氏の論文「普天間漂流――軍事的リアリティを踏まえた効果的な交渉の不在」を紹介する。

鳩山内閣時代の普天間飛行場移設問題の迷走は、ひとり鳩山内閣の問題にとどまらず、外務省、防衛省に代表される日本の官僚機構の能カレベルを余すところなく浮き彫りにすることになった。ここでは、私自身が当事者となった米国政府との協議の一端から、交渉失敗の現実を明らかにし、将来への教訓を導き出す材料としたい。

■ 背景

2010年3月20日、私は首相公邸において鳩山由紀夫首相から内閣総理大臣補佐官への就任を要請され、移設案の新規策定作業を開始した(同席者:藤田幸久民主党国際局長、佐野忠克首相秘書官)。(脚注1)

4月16日、移設案を米国政府に提示。即日、「政府を含む日本側からの初めての具体的な提案」との回答あり。私が当時接触していた、普天間飛行場移設問題をよく知る複数の米軍高級将校からも同じ回答あり。しかし、4月16日の段階で、首相を支える佐野秘書官らは普天間飛行場の部隊を無理やり徳之島に移駐させる案、あるいは普天間の部隊の半分を徳之島に移駐させる案を抱え込んでいた。米国との下交渉が終わるまで、私は首相補佐官ではなく、民間の専門家として行動することにした。メディアに捕捉されるのを避けるためだ。米国側は、私が行動するにあたって日本政府の人間が同行する、という条件を示した。

■ 移設の提案(2010年)

【2010年の移設案】

普天間飛行場の移設に関する私の提案は、以下の3つの作業を同時に実行するものだった。

(1)の普天間飛行場の最終的な移設先と、(2)の一刻も早い普天間飛行場の危険性除去のためのヘリ部隊の仮移設先、の必要性については、改めて説明する必要はないだろう。(3)の普天間飛行場機能担保施設は、普天間飛行場の最終的な移設先が完成するまでの間、有事に際して海兵隊の作戦に関係する大型機と戦闘機などの部隊が使えるように、つまり普天間飛行場の能力を維持しようというものだった。

私の提案には国内政治的な利点もあった。鹿児島県の徳之島空港を1年ほどで拡張し、有事に際して普天間飛行場の代わりに固定翼機を運用できるようにすれば、鳩山首相は「最低でも県外移設」の公約を果たした形をとることができるからだ。拡張された徳之島空港は、普天間代替施設の完成時点で奄美諸島の振興の中心にする構想だった。

私は移設案に、2014年12月末までの現実的な工程表と、日米地位協定を環境アセスメントに適用する提案を添付した。

私は最終的な移設先として、2500m滑走路を含む、普天間と同規模の飛行場を建設することを提案していた。飛行場に最も適した場所は、キャンプ・ハンセンのチム飛行場跡地。チム飛行場は米海軍が1945年に建設し、跡地には海兵隊の建物が建っている。この移設先飛行場は、米軍の作戦所要を満たすことができるだけでなく、演習場内に滑走路を建設する計画ではないので、海兵隊の訓練に支障が出ることもない。墜落事故の危険、騒音、海岸の環境への影響も少ない。

ヘリ部隊の仮移駐先は、沖縄の他の米軍基地内に、段階的に整備することを提案した。仮移駐先の用地は2日間で更地にして、基本的な航空施設を1カ月以内に整備するというものだった。この2段階は、自衛隊が日米共同訓練の枠組みのもとで実施できる。仮移駐先には1年半以内に2000m滑走路を建設するか、仮移駐先によっては、それより前に既存の滑走路を2000mに延長する。もともと私は、仮移駐先をキャンプ・シュワブに建設する考えだったが、2010年春には民主党の沖縄選出議員の求めもあり、伊江島に仮移駐先を建設しても構わないと判断し、提案に盛り込んだのだった。

■ アメリカ政府との交渉

2010年5月3日~7日のワシントンでの米国政府(国務省、国防総省)との協議において、私は米国側が一貫して「ベストの案」としている現行案(辺野古のV宇型滑走路案)について、次の3点を強く指摘し、「ベストの案」などではないと迫った。

(1)現行案は海兵隊の作戦所要の40パーセントほどの広さしかなく、海兵隊が大きな不満を抱いているのみならず、有事の海兵隊の運用に支障を来しかねない。

(2)5年もかかるとされている完成までの工期は、明確な根拠に基づくものではない。

(3)沖縄県民の半数以上が耳を傾ける条件となる危険性の除去は、日米共同訓練の枠組みのもと、沖縄の他の米軍基地内に陸上自衛隊施設部隊を海上自衛隊の輸送艦とLCAC(大型ホバークラフト)で投入、2日間で完了、仮移駐先の整備は段階的に行う。陸上自衛隊は、ヘリ部隊の転地訓練を頻繁に行っており、技術的な問題はない。

米国側は(1)については海兵隊が不満を抱いている現実を率直に認め、(2)についての反論はなかった。私の主張の(3)ヘリ部隊仮移駐先を戦場におけるのと同じ発想で自衛隊に工事させ、完成させることによって2日間で普天間飛行場の危険を除去できるという点については、批判はなかった。鳩山首相が私に、藤田氏とともに普天間飛行場移設問題を米当局者と話し合うことを承認した2009年12月の段階で、私は国務省のケビン・メア氏とマーク・ナッパー氏に説明を済ませていたからだ。(脚注2)

(1)については、私は(i)第1海兵航空団の保有航空機数、(ii)有事における普天間への展開機数、(iii)有事における普天間への海兵隊地上部隊の展開シナリオ、(iv)紛争地、災害地への海兵隊航空部隊の出動のシナリオ、の4点をもとに、日米両政府が2006年4月に採用した現行案は海兵隊の作戦所要を満たしていないと迫った(その後の2010年5月28日、両政府は現行案を再確認することになった)。

(i)現行案は、大規模な作戦を行なう際、第1海兵航空団が増強されることを計算に入れていない。第1海兵航空団は、普段は普天間に60機ほど、岩国に50機ほどしか展開していないが、有事には456機に増強される可能性がある。

(ii)有事における普天間への展開機数:シナリオは秘密だが、―例として300機が想定される。

(iii)有事における普天間への海兵隊地上部隊の展開シナリオ:CRAF(民間予備航空隊)制度のチャーター機を使い、4万~5万人規模が展開もしくは一時滞在する可能性がある。この地上部隊用の装備品などを積んだ多数の空軍輸送機が発着し、この兵員の露営、装備品と物資の集積スペースが必要になる。現行案の移設先は面積が普天間の38パーセントしかないので、そのスペースが大幅に不足している。

(iv)紛争地、災害地への海兵隊航空部隊の出動のシナリオ:海外に出動するとき、大型輸送機にヘリ(ローターをたたんだ状態)、格納庫1棟分の整備機材などを搭載する必要がある。空軍の大型輸送機だけでなく、ウクライナの会社からアントノフ124巨人輸送機をチャーターしたケースもある。その離睦のための滑走路は最低でも2500mは必要だが、現行案は1600m+200mしかない。

これに対して米国政府側は、現行案が海兵隊の作戦所要を満たしていないことを認め、「海兵隊は大きな不満を抱いているが、それを政治的に抑え込んでいる。1日も早く普天間問題が決着し、日米同盟が安定的に維持されていることを周辺諸国に理解させることが、北東アジアの平和にとって重要だから、そちらを優先した」と説明した。

(2)の5年とされている完成までの工期は明確な根拠に基づくものではないとの指摘にあたり、私は米国のエンジニアリング会社PAEが建設した軍用飛行場のケースを提示した。

これは、軍用輸送機売り込みにあたってPAEがインドで建設した2700m滑走路を有する軍用飛行場(陸上)で、工期は1年6カ月であった。

私は、「現行案がベストのプランというのであれば、工期が5年も必要なはずはない。埋め立てという条件を加えても、せいぜい2年か2年半で済むはずだ」と迫った。これに対して、米国政府側の反論はなかった。

米国政府側が私の指摘などに率直かつ誠実に答えようとしたのは、私の専門が日米同盟であり、米国にとって唯一無二の戦略的根拠地・日本列島の実態を明らかにした人間であり、日米同盟を目本の国益に活用する考えの持ち主だと知っているからにほかならない。

■ 交渉過程の管理に関する日本側の問題

米国政府側と私の折衝は藤崎一郎駐米大使と情報共有され、藤田民主党国際局長(参院議員)と日本大使館員が同席、折衝の模様は外交公電に記録されている。米国政府側と私のやり取りについて、日本政府の当局者(私に同席した者を含む)は、「交渉とは、あのようにやるものなのですね」と感想を述べたが、これは外務・防衛両省がリアルな外交交渉を経験したことがない現実、交渉に必要な基礎知識さえ備えていない問題点を浮き彫りにするものであった。

以上のような経緯ののち、普天間飛行場移設問題は2010年5月はじめの段階で決着しかけていたが、残念ながら、日本側のコミュニケーション不足から問題が生じた。米政府側は私の提案を肯定したうえで「色々な政治家が『首相の使者』と名乗ってやってくるが、小川案に一本化してもらえないだろうか」と求めたが、藤田議員からの連絡に対しても鳩山首相も佐野秘書官も応答しなかったのだ。米国側が辺野古案に戻すことにしたのは、ひとえに日本側の責任である。

普天間問題が1996年の返還合意から17年以上にわたって漂流してきた背景には、日米同盟に関する確かな根拠に基づく分析と効果的な交渉の不在があった。それでも、最近の数年間には新しい展開もみられる。たとえば、2011年3月11日の東日本大震災の津波被害を受けて、地元自治体の首長たちの間から海抜ゼロメートルの辺野古案への懸念が高まる一方、海抜50メートル以上あるキャンプ・ハンセン案の実現可能性に期待する声が出始めている。しかしながら、普天間問題解決のみならず、日本の国益に日米同盟をさらに活用するためには、議論の深化が求められている。

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(英訳と日本語訳・西 恭之、聞き手と構成・坂本 衛)

(2014年1月23日発行『NEWSを疑え!』第270号より転載)

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