毎年のように発表される日本人研究者のノーベル賞受賞。その一方で、今、日本の科学技術は深刻な危機を迎えている。
【凋落する日本の科学基盤力】
日本の論文国際力は2002年頃から低下し始め、13年には人口あたりの論文数は世界35位と先進国で最低。
10年前と比較して先進国中、日本だけが論文数を減少させている。
ランキングを下げているのは、論文の数だけでなく、質の低下はさらに深刻。
論文の質を表す指標である被引用数TOP10%論文数やTOP1%論文数は双方とも、ほぼ全ての研究分野でその順位を下げている。
2010-2015年のTOP10%論文数の国際シェアの各国順位を見れば、各分野での日本の落ち込みは一目瞭然だ。
日本の基盤研究力の落ち込みは、人材面でも如実に現れている。
特に顕著なのが若手研究者をめぐる状況で、高い能力を持つ学生などが博士課程に進むことを躊躇するようになっており、以下のグラフが示すように、修士課程後に博士課程に進学する学生はこの15年で-46.1%とほぼ半減している。
こうした科学技術力低下の背景には、各大学に配られる運営費交付金が、国立大学が独立法人化された2004年度以降、毎年1%(22年からは1.3%)減り続け、同年度に1兆2415億円だったものが16年度には1兆945億円となり、この12年間で1割以上減額されている。
運営費交付金が削減される中、若手研究者の正規雇用は減少し、任期付雇用の比率が大幅に増加。その一方、高齢者層は任期無し雇用の比率が増加している。
キャリアパスや経済的な不安から有能な若手人材が博士課程に進まず、研究者への道を諦める傾向が年々深刻さを増している。
また、ノーベル賞受賞につながる研究をした平均的な年齢は30歳代に集中しているが、日本ではこうした年代の研究者が独自の研究テーマに取り組める環境がなくなって来ている。
財務省は、こうした研究現場の危機的現実に対し、競争的資金などの補助金を増やした結果、国立大学の研究費はむしろ増加しており、博士課程進学者についても、20歳代人口比では減少しておらず、社会人入学者を含めれば増えていると主張。
日本の科学技術力の低下は、大学の閉鎖性が研究の生産性を下げていることに起因していると述べている。
研究現場の実態と財務省の主張が食い違う中、JST研究開発戦略センターが科学者に行ったヒアリングによると、一部の有力大学に競争的資金などの研究資金が偏在し、全体として大学の研究活力が低下している点が指摘されている。
運営費交付金が減り続け、競争的資金の獲得競争が厳しくなった結果、いわゆる"はやりの研究"やすぐに成果が望める研究など採択されやすいテーマを選ぶ傾向が顕著となり、オリジナリティに富んだ研究や成果が発現するまで時間を要する研究などを日本で続けることは、現実的に困難になってきている。
「選択と集中」というスローガンの下、研究効率を第一に、独創性はないが直ぐに結果が出やすい研究に集中投資して、本当に日本の科学技術に未来はあるのか、血税を投資したに値するイノベーションが将来本当に生まれるのか。
財務当局には、長期的な視野と多様な指標に基づいて多角的に物事を評価し、データに基づいた未来予測をしっかり行った上で、科学技術の展望を具体的に示してもらいたい。
国際性や人材の流動性を高めるためにも大学改革は急務と思う一方で、評価や競争や寄付という概念や習慣がない日本に、米国などの成功例を闇雲に当てはめても、木に竹を継ぐような結果になりかねない。
改革を実効性あるものとするためにも、日本としての特性や独自性に立脚した目指すべき「社会ビジョン」をまず明確に示し、それに則った国家戦略を描いた上で初めて、科学技術政策の方向性が決まるのではないだろうか。
国際ランキングが低いから、なんとか順位を上げなければという、ビジョンも主体性もない行き当たりばったりの政策を繰り返していても、変化のスピードが加速する現代では結局いつも先進国の後追いとなり、日本は沈み行くのみである。
[後編] につづく・・・