日本の未来を担う若者に、福島の課題を自分ごと化してもらいたい。
そんな思いからスタートした「福島、その先の環境へ。」プロジェクト。2024年10月25日から27日にかけて、「地域・まちづくり」「新産業・新技術」「福島の食」をテーマに、若手社会人や大学生を中心としたメンバーが企画したオリジナルツアーが開催された。
ハフポスト編集部では、「地域・まちづくり」「新産業・新技術」のツアーを取材した。
「大熊町だからこそできるチャレンジ」福島の地域・まちづくりに触れる
10月26日、午前10時。
福島駅に着くと、さわやかな笑顔を浮かべて談笑する若者たちの姿が目に入る。あいにくの曇天とは対照的に、ツアー参加者たちは明るい挨拶を交わし大型バスに乗り込んでいく。
バスのフロントガラスにはツアータイトル「DEEP DIVE in OKUMA」の文字。地域・まちづくりをテーマにした本ツアーは、その名の通り、大熊町に深く潜り込むような、住民との交流を重視した行程が組まれている。
福島駅からバスに揺られること1時間半。山道を抜けると、まもなく最初の目的地「大熊インキュベーションセンター(以下、OIC)」に到着する。
バスから降りると、目に入ってきたのは小学校のような建物。
廃校になった学校をリノベーションしたという、OICは大熊町を実証や実装の場として、企業や起業家が共創し合うための場所を提供しているという。
シェアオフィスや貸事務所には、テクノロジー関連の企業を中心に、スタートアップから大企業まで、さまざまな企業が入居している。
施設内を一通り見学し終えると、会議室に通される。
鮮やかな黄緑色のTシャツを着た青年がスクリーンの前に立っている。OICに入居している株式会社ReFruitsの代表・原口拓也さんだ。
東日本大震災後、大熊町内で初めてとなる本格的な果樹生産事業をおこなっている同社の取り組みについて、原口さんは次のように話す。
「大熊町を拠点に大規模キウイ園『キウイの国』を運営しています。
(東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故によって町全域が帰還困難区域や警戒区域となっていた)大熊町の一部が2019年に避難指示解除となりました。
もともと大熊町には、梨畑やキウイ畑が広がっていた。町のキャッチコピーも『フルーツの香るロマンの里』。
そんな果樹産業が盛んだった頃の風景をもう一度つくるため、2019年に『大熊キウイ再生クラブ』という有志の団体が立ち上がりました。そこに参加したことがきっかけとなって、キウイ農家を志しました。
現在は、ニュージーランド式のキウイ栽培方法を採り入れることで収益性を高め、事業を軌道に乗せるために試行錯誤しているところです」
説明を聞き終えるとバスに戻り、今度は『キウイの国』へ移動。実際にキウイ農園を見学させてもらった。
「この土地は、もともと帰還困難区域だった場所で、除染活動がされました。その際に重機が入ったことで、土が固められ水捌けが悪くなってしまった。
さらに、放射性物質を取り除くために、土の表面が剥ぎ取られました。その結果、土壌の栄養が失われてしまった。土の質を改善するために、かなりの労力を費やしました。
一方、帰還困難区域だった大熊町だからこそ、この広大な土地で大規模農園を運営し、新しい栽培方法にチャレンジすることができています」
「キウイの実が獲れるのは2年後です。そのときに『キウイはどうなっているかな?』と、大熊町のキウイについて思い出してもらえたらうれしい」原口さんは参加者たちに語りかけた。
「水素エネ」「廃炉」福島の新産業・新技術について知る
10月27日。昨日と打って変わり、気持ちのいい秋空が広がっている。
ツアー最終日は、新産業・新技術をテーマにしたツアー「Tech Shima(テクシマ)」を取材した。
午前9時。まず向かったのは、再生可能エネルギーを利用した世界最大級の水素製造施設「福島水素エネルギー研究フィールド(以下、FH2R)」だ。
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(以下、NEDO)らが建設したFH2Rでは、主に太陽光発電の電力を用いて水の電気分解をおこない、水素を製造。クリーンで低コストな水素製造技術の確立を目指しているという。
参加者たちは、電気分解による水素製造技術などについて解説された展示物に興味津々で見入っている。一通り展示を見終えると、NEDO職員・高橋さんの案内で水素製造をおこなう施設を見学する。
「すごい……」
実際に水素製造装置を目の当たりにした参加者たちは、思わず感嘆の声をあげる。そして、高橋さんの説明に対して、水素エネルギーのリスクや社会実装に向けた課題などの質問を投げかける。
高橋さんは、参加者に対して次のように答えた。
「ご指摘のとおり、水素エネルギーには爆発や火災などのリスクがあります。我々としては、高性能の検知システムを整備するなどの対応をおこなっています。
また、水の電気分解によって水素を製造したうえで発電するため、コスト面での課題もあります。
しかし、水素エネルギーは貯めることができ、さらに運搬することもできる。したがって、時間や場所に制限されずに電気を使うことができます。これは大きなメリットです。
社会実装に向けて課題もありますが、前向きに進めていきたい」
FH2Rの見学を終え、向かう先は双葉町だ。
双葉町は大熊町と同じく、震災と津波、原発事故による複合災害によって甚大な被害を受けたエリア。帰還困難区域に指定され、住民はいなくなっていた。
2022年に11年ぶりに定住可能となり、復興の只中にある双葉町の様子を見学した。
昼食を軽くはさみ、次に見学するのは「東京電力廃炉資料館」だ。
福島におけるオフサイトでの環境再生で重要なのが「除去土壌(※)」である一方、オンサイトでは「燃料デブリ(※)」の取り出しが課題になっている。
※2045年3月までに、放射性物質を取り除く除染に伴い発生した「除去土壌」を福島県外で最終処分することが法律で定められている
※燃料デブリとは、原発事故によって溶けた核燃料等が冷えて固まったもの
福島第一原発の1から3号機では、津波によって海水ポンプ等が破壊され、原子炉の冷却機能が喪失(※)。炉心(※)を損傷する事故にいたった。
※原子炉では核燃料から発生し続ける熱を取り除く必要がある。このため、注水や減圧、除熱をおこなう設備が備えられている
※炉心とは、原子炉の中心部分。核燃料を装荷し核分裂が活発におこなわれる
原子炉が停止した後、各号機ともに核燃料を格納している容器への注水ができなくなり、容器内の水が枯渇した。核燃料の温度が異常に上昇し、核燃料が溶け、容器が損傷。原子炉建屋へ放射性物質が放出されてしまった。
また、高温の核燃料が水蒸気と反応したことによって、水素も大量に発生。原子炉建屋内に水素が蓄積した1、3号機では水素爆発にいたった。
こうして溶解した核燃料とそれを覆っていた金属の被覆管などが再び固まった「燃料デブリ」が1から3号機にあり、今も冷却され続けている。
燃料デブリは、その放射線量が非常に高い。さらなる事故により放射性物質が環境中に放出されるなどのリスクを下げるため、その取り出し作業を進め、段階的に規模を拡大していく予定だ。
福島第一原発には、約880トンの燃料デブリがあると推計されていて、国と東京電力は2051年までの廃炉完了を目標にしている。
「復興ってなんでしょう?」地元住民からの問い
ツアーの全行程を終えた参加者たちは、バスに戻り、熱心に感想を言い合っている。
福島駅まで帰ってくると、ツアーの締めくくりとして座談会を実施。参加者たちが「いま私たちが福島について伝えたいこと」をテーマに議論を交わし、発表するグループワークがおこなわれた。
ツアー企画から携わったメンバーの1人である蛸島さんは、座談会で次のように語った。
「ツアーに参加する前は、福島はスタートアップに対する支援も手厚く、起業するのに良さそうだと単純に考えていた。
けれど、実際に現地の人と話をしてみると、事業と地元の人との関係性が大切なことに気付かされた。
福島でやるべきことってなんだろう。利益を出すことのみに終始してよいのか。やっぱり、福島の風土や文化、伝統を生かしたうえで、事業をやるべきではないのかな」
*
ツアー2日目の夜におこなわれた地元住民との交流会で、福島に生まれ今も大熊町に住む昆憲英(こん・かずひで)さんは参加者たちにこう尋ねていた。
「復興ってなんでしょう?」
ただ復元するのか。別のものをつくるのか。それとも、元ある資源を生かしてつくりかえるのか――。そのあり方について、私たちは常に考え続ける必要があるのではないか。そう考えさせられる2日間のツアーだった。
本ツアーに参加した若者たちが、今後の生活のなかで福島の過去と現在、そして未来について考えたり、発信したりしていくことで前向きな変化が起こるのではないか。そんな期待を寄せずにはいられない。
写真:tomohiro takeshita
取材・文:大橋翠
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