東京電力福島第一原子力発電所の事故から7年以上の歳月が経った。
筆者は被災地から遠く離れた都会で暮らしているが、そうした都会の市民の間では原発事故の風化が加速度的に進んでいる。
筆者は風化に抗うためにも、被災地ゆかりの抵抗者たちの軌跡を掘り起こす必要性を痛感して、今年2月に『フクシマ 抵抗者たちの近現代史:平田良衛・岩本忠夫・半谷清寿・鈴木安蔵』(彩流社)を上梓するに至った。
筆者は、拙著を執筆する過程で、被災者や被災地について理解を深めようと努めてきた。
しかし今日に至っても、深く理解できたかと問われると、甚だ心許ないと告白せざるを得ない。
そうした筆者にとって、本書は被災者や被災地について理解を深める上で絶好の一冊となった。
本書の構成は以下のようである。
プロローグ:わが故郷 飯館村/第1章:同級生たち/第2章:凶作と移民の歴史/第3章:帰郷・2017年/第4章:原発事故、私はこう思う/哲学者・高橋哲哉氏に聞く/おわりに:2020年・東京五輪、鎮魂の旅
本書の魅力①
本書の魅力は、飯館村の人々が仲間にだけに語り得る心の声を伝えていることだと言えよう。
著者の佐藤昌明氏は1955年生まれ、飯館村の出身であり、宮城県の地方紙・河北新報の記者である。
氏が飯館村で暮らしたのは中学校を卒業するまでだが、飯館村からさほど離れていない仙台市に、長年にわたって居を構えていたことから、その後も同村に残った親族のみならず、中学校時代の同級生などとのつながりをも密に保つことができたようである。
本書の第1・3・4章は、飯館村の元同級生や知人への取材記録である。
取材記録といっても、氏は新聞記者としてではなく、親密な仲間の一人として、彼らの心の声に耳を傾け、書き留めようとしている。
一例を挙げることにしよう。
氏の元同級生の一人は中学校時代、物知りで「学者」というあだ名をつけられるほどであったが、高校に進学することなく、建設作業員や自衛官になり、30歳近くになって飯舘村にUターンして、原発作業員になった。
原発事故当時は、福島第一原発の4号機で作業中であった。
事故後、すでに両親を亡くし、なおも「花嫁募集中」であったことから、一人で仮設住宅に入居することとなった。
元同級生の近況について、氏は以下のように書き記している。
避難生活を送る中でのストレス解消法は、趣味の植木とサウナに入ること、近辺をドライブすることだ。
そして部屋に籠って瞑想した。
「俺は一匹オオカミ。いつも一人で楽しいことや新しいことを考えようと心掛けている。友達付き合いは、貸し借りができるからしない。煩わしい」と言う。
そう言う割には、同級会だけはいつも一番先に来る。
学校時代の同級生だけは別格のようだ。
元同級生は原発事故以前から、経済的貧困のみならず、社会的孤立をも余儀なくされてきた。
しかし元同級生を単なる憐れむべき被災者と見るべきではない。
なんと元同級生は、国や東電が不可能であったと主張している津波による原発事故の可能性を予見していたというのである。
氏は以下のように元同級生の言葉を書き留めている。
波が高い日は、太平洋の海水のしぶきが港の防潮堤を超えて来た。
俺はそれを何度も見た。
巨大な津波が来れば、波が原発まで来るのは当たり前だ。
原発の建物は、海に面した断崖をわざわざ20メートル削って下げた所に造ったんだ。
海水をくみ上げるコストを下げるために原発の建屋を低く、海面に近いところにした。
日本の国情を考えず、アメリカの言われるままに造ったからああなったのさ。
氏によれば、飯館村の人々は元来「物言わぬ農民」であるが、元同級生のような境遇の者ならば、なおのこと原発事故を機に接触してきた他郷出身のジャーナリスト相手に重い口を開くことなどあり得ないだろう。
本書の魅力②
本書のもう一つの魅力は、第2章で歴史的な視点を取り入れていることだと言えよう。
江戸時代に天明の飢饉などによって、飯館村の人口が激減したことと、昨今、原発事故によって、同村の人口が激減したこととを重ね合わせているのである。
そして氏は、飯館村の人々の数世代前の祖先によって取り組まれた新しい村づくりのための復興策から、教訓を引き出そうとする。
その教訓とは以下のようなものである。
①未来を託す子供たちを大事に育てようとした。
②大人には自立できる働く場の提供、環境づくりに努めた。
③門戸を開放し、弱い立場にある人々を移民として積極的に招き入れた。
無論のこと、氏も上記の三つの教訓を今日でもそのまま実行できるとは考えていない。
「最後には『放射能』という大きな壁にぶつかる」からである。
なお、上記の教訓の③とは、北陸や越後から密かに移民を受け入れたことを指している。
氏自身も越後からの移民の子孫であるという。
移民は藩の庇護にもかかわらず、様々な苦労を重ねた。
移民の多くは、耕作条件の悪い土地への入植を余儀なくされただけでなく、浄土真宗の門徒として「火葬」を習慣としていたことから、「土葬」を習慣とする土着民から反発を受けるなどしたのである。
今日、飯館村の人々の過半は、すでに帰村を諦めて、経済的困窮や言われなき差別に耐えながら、避難先に根を下ろして生きようとしている。
そうした人々は、かつて北陸や越後から飯館村に移住して、厳しい土地環境や土着民からの反発に負けることなく、黙々と田畑を切り拓いてきた祖先に思いを馳せているのだろうか?
本書を一読すると、自ずとそのようなことも想像されるのである。