マクロン氏、フランス大統領選に勝利 しかし残る「敗北の後味」

ルペン氏は敗北した。このことは、レイシズムや排外主義が根本的に我々フランス人の「共和国精神」に反していると考える全ての人にとって、もちろん勝利と言える。しかし…

現地時間5月7日に行われたフランス大統領選ではエマニュエル・マクロン氏が選ばれ、マリーヌ・ルペン氏と彼女が率いた国民戦線(FN)は敗北した。このことは、レイシズムや排外主義が根本的に我々フランス人の「共和国精神」に反していると考える、私を含む全ての人にとって、もちろん勝利と言える。しかし、そこには敗北の後味が残る。

敗北の後味が残る第1の理由は、FNの得票率が、第1回投票に比べて第2回投票(決選投票)で大きく伸びたことだ。

マリーヌ氏の父であるジャンマリー・ルペン氏が2002年に立候補したときは、第1回と第2回の得票率に大きな差はなかった。つまり、第1回投票で他の候補者を支援していた有権者がルペン氏支持に回る一方、第1回投票でルペン氏を支持した層の一部は対抗馬だったジャック・シラク氏に流出していたことを示す。

第2回投票でのFNの得票率が伸びたことは、2017年のいま、FN支持者とそれ以外の人との間にある壁がより強固なものになっていることを示す。

また、このことは、排外主義を支持する右翼、既存システムを強く憎む中間層のほか、極左と呼ばれる人の一部までもが、ルペン氏を選んだことも示唆する。

第2の理由は、大統領選の第1回投票で主に4つの勢力が並立したことから考えると、6月に行われる国民議会選挙ではFNの議席増が予想されることだ。

第3の理由は、2002年と異なり、(排外主義などに対抗して)共和国の団結を目指すいかなるデモも、エリート層による呼びかけもなかったことだ。予兆はみられたが、小さなものに過ぎなかったし、怒りの声を上げる人々もいるにはいたが、彼らの声はあまりに小さく、声を上げたタイミングはあまりに遅く、そして彼らの反ファシズムの声は、5年間惰眠をむさぼったあとの眠たげなものでしかなかった。

第4の理由は、公開討論が何の盛り上がりも見せなかったことだ。候補者は互いに敬意を払い、お互いを説得して自らの支持を促す討論ではあった。ただ、それはあまりに静かで、白紙や棄権といった投票行動を検討していた人の背中を押す結果になってしまった。

さらに悪いことには、多くのジャーナリストや主要メディアは、FNの存在を5年のあいだ無批判にみとめ、その後、結果的に共和党への投票を促すような報道を行った。

第5の理由は、マクロン氏の「実質上の支持率」の低さだ。2002年にジャック・シラク元大統領が行ったように、彼は当選することを見越してすでに組閣プランを練っているとされる。しかし、世論調査の結果によれば、マクロン氏が第1回投票で得た票の半分は、他の候補者の支持者による「戦略投票」だった。ルペン氏を打ち負かすことができそうなマクロン氏を決選投票に進ませるために投じたものだということだ。このことはつまり、第2回投票でマクロン氏が得た票の半分以上が、彼のもともとの支持者ではないことをも示す。

彼の支持基盤は非常に脆弱だ。実質的な支持率は約15%に過ぎない。マクロン氏に対する敵意や憤りが向こう5年で蓄積されていくことは、容易に予見可能だ。

そして第6の理由は、社会経済的な文脈による。私が「不幸せなグローバリゼーション」と呼ぶ状況のなかで、フランス人の半数以上がプレカリアート(非正規雇用、もしくは失業者)になろうとしている。このような状況のなかで、既存システムに反感を強める有権者が増えていくこともまた、容易に予見できる。このようなフランスの状況下では、現在は共和主義者の枠内に収まっているジャンリュック・メランション氏すら、FNに合流する可能性があるかもしれない。

ハフポスト・フランス版より翻訳・加筆しました。

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