国が法律で国民を縛るような社会ではなく、個人や企業が最も自由に活動できる社会を目指します
できるだけ自由な社会を
私は、法律は最低限のものだけあればいいと思っています。もちろん、社会にルールは必要です。ただ、必ずしもそのルールを全て法律が決める必要はないと思っています。最近、公共の平穏や公序良俗の維持を目的とした自由を制限する「社会法益」の法律が多く成立していることには危機感を抱いています。
憲法21条では「表現の自由」と「通信の秘密」がうたわれています。ただ、例えば自民党の憲法草案では、表現の自由が公益や公の秩序を害することが目的の場合にはそれを認めないとしています。公益や公の秩序を害するのは、一見良くないように見えるかも知れません。でも、何が公益で何が公益を害するかという判断は政府や警察が決めるものではありません。
今、私はマンガやアニメ・ゲームの表現の自由を守る活動に力を入れています。こういったエンタメ分野ではさまざまな表現についての規制が進んでいるのが現状です。毎年コミックマーケット(1日数十万人以上が集まる日本最大の同人イベント)で演説して、こういった表現の自由の重要性について訴えています。
社会法益の法律は自由を制約する
ある表現が犯罪を引き起こす可能性があるという人もいるかも知れませんが、今、マンガやアニメ・ゲームが原因で性犯罪や殺人事件がすごくおきて、みんなが困っているという世の中ではないと思っています。
マンガやアニメ・ゲームを規制するということは、それらの表現が気に入らない大人たちの論理です。規制を強化すれば、今まで普通にマンガやアニメ・ゲームを楽しんでいた人たちの権利を大幅に奪うことになります。このことは世代間闘争になってはいけないし、「社会法益」の立法は他の人の権利や自由を侵害することもあるのだと注意しなければなりません。バランスが大切なのです。
この問題について、国会でも総理や大臣から多くの答弁を取ってきました。総理も各大臣も、国会で私の顔を見れば、表現の自由を主張すると思っているようです。表現の自由にこだわる議員と国会で影響を与えていると自負しています。
(2015年11月13日 太郎ちゃんねる「表現で寛容な社会と表現の自由【第66回山田太郎ボイス】」より転載)