皇后陛下が皇太子妃だったときに英国から献上されたことで知られる薔薇の「プリンセス・ミチコ」。この薔薇から東京農業大学が分離に成功した「花酵母」を使って日本酒をつくるプロジェクトが進んでいる。醸造するのは、東京農大卒業生が率いる七つの蔵元。南部美人・一ノ蔵・出羽桜・秘幻・蓬莱泉・石鎚・東洋美人と、熱心なファンがいる銘柄の蔵元ばかりだ。「平成最後の祝い酒」をつくるため、4月5日までクラウドファンディングで支援を募っている。
「清酒の発酵に使う酵母は、自然界のいろんな場所から取れるんですが、ただ取れるだけでは面白くない。花なら『花言葉』もあるし、いいイメージを出せる。そんな考えでした」
講師の時代から「花酵母」の研究を続けてきた穂坂賢・東京農大教授はこう語る。
東京農大の花酵母は1990年代、中田久保名誉教授が花からの分離に成功したことに始まる。96年ごろから応用研究が進み、98年にはナデシコ、日々草、ツルバラから分離した酵母でお酒が作られた。
「最初に、あまりにも凄い酵母が取れちゃったんです。清酒もろみでよく発酵して、香りがいい。当時は吟醸のつくりをしないと香りが立たなかったんですが、吟醸づくりでなくても香りが立つ。『製造に神経を使わなくてもいい酒がつくれちゃうね』と感じたほど酵母の持っているポテンシャルが高かった。今まで分かっていない酵母が、まだまだたくさんいるんじゃないかと思うようになりました」
その後も、華やかで清楚な香り高いお酒を造ることができる花酵母が、次々と見出された。現在では30を超える酒造メーカーが農大の花酵母を使用した製品をつくっている。
「ヨーロッパに行くと、『テロワール』という言葉がありますよね。ワインづくりで地域のブドウを原料に使うといったように、地域のものを使って、地域内の要素を取り入れて作ろうという考え方です。地域にある微生物を活用してつくるということや、地域を代表する花から『花酵母』をとってお酒をつくるということもあっていいと思うんです」
日本酒はたびたびブームが喧伝されることがあるが、長期的なトレンドを見れば、低落傾向が続く。1970年代に4000以上あったと言われる酒蔵は、21世紀の初めにはほぼ半分の2000前後に。その後も減り続け、ここ最近では1500程度まで落ち込んでいる。
東京農大が昨年7月に「株式会社農大サポート」という100%出資の事業会社を設立した狙いの一つには、こうした酒造業界の苦境に一石を投じることがあった。その最初の取り組みとなるのが、今回の「プリンセス・ミチコ」のプロジェクトだ。試験醸造では、リンゴやメロンなどの果物を思わせる香りを持ち、爽快な酸味があるお酒ができているという。
実際にお酒をつくるのは、南部美人(岩手)、出羽桜酒造(山形)、一ノ蔵(宮城)、浅間酒造(群馬)、関谷醸造(愛知)、石鎚酒造(愛媛)、澄川酒造場(山口)の7社。いずれも農大の卒業生で優れた経営者に贈られる「東京農業大学経営者大賞」を受賞している蔵元だ。「プリンセス・ミチコ」の花酵母以外は、各蔵元がそれぞれ独自の酒造りを進めるため、どんなお酒ができるかは未知数だ。
「まず水が違いますし、温度のコントロールや米の種類、精米歩合によって、お酒の味は大きく変わってきます。濃醇旨口か淡麗辛口か、米の味を出すか、香りを生かすか、会社が目指す酒もそれぞれ違いますが、どれも甲乙つけがたいお酒をつくってくると思っています」(穂坂教授)
A-portのプロジェクトページでは、各蔵元が酒造りの様子を報告している。
いずれの蔵も地元や被災地でつくられた酒米を使うなど原料の選定からこだわり、純米吟醸クラスでつくっているようだ。「『果実様』というより『花様』という印象の、これまで体験したことのないとても力強く美しい香り」(一ノ蔵)▽「華やかな香りになめらかな味わいが調和」(石鎚酒造)――などと、左党(※)に期待を抱かせる報告が寄せられている。
農大サポートの取締役にも名を連ねる穂坂教授は、今回の取り組みをきっかけに、酒造業界を支援する活動を広げていきたいと考えている。
「日本で唯一醸造を冠にした学科を開設してから65年を迎えて、いまや全国酒造メーカーの半数を農大の卒業生が占めるようになりました。卒業生の蔵が発信できる機会をつくり、業界の発展のために何か少しでも寄与できればなと思っています」
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「プリンセス・ミチコ」の花酵母でつくる日本酒のクラウドファンディングは、4月5日まで。支援者へのリターンは、7蔵の酒7本が1セットになっている。収益は、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震など災害被災地の支援に充てる予定。
(伊勢剛)