男性はなぜ、サウナで裸になると「心の内側」を語れるのか。サウナ映画を撮った監督に聞いた

ロウリュの向こうに垣間見える、フィンランドの男性とサウナの特別な関係とは?

裸になるということは鎧を脱ぐようなもの。地位とか名誉といったものを全部脱ぎ捨てた時に、上下関係も、隠すものもなくなる――。 

フィンランドの男性にとって、サウナはそういう場所なのだと、映画『サウナのあるところ』を撮ったミカ・ホタカイネン監督は話す。   

©2010 Oktober Oy.

『サウナのあるところ』は、サウナに入るフィンランドの男性たちを追ったドキュメンタリー映画だ。

サウナが生まれた国だけあって、フィンランドの人たちのサウナ愛は半端ない。日本にもあるような街の公衆サウナだけではなく、DIYのキャンピングカー型サウナや、電話ボックス型サウナまで登場する。 

日本ではお目にかかれない、電話ボックス型サウナ
©2010 Oktober Oy.
日本ではお目にかかれない、電話ボックス型サウナ

そのサウナの内側で、フィンランドの男性たちは普段とは違う姿を見せている、とホタカイネン監督は話す。

それは「心の内側を語る」こと。そしてそれこそが、世界幸福度ランキング1位の国フィンランドの男性にとって、今必要なことなのだと監督は言う。

それは、なぜなのか。ロウリュ(サウナの蒸気)の向こうに垣間見える、フィンランドの男性とサウナの特別な関係をホタカイネン監督に聞いた。  

ミカ・ホタカイネン監督
satoko yasuda / Huffpost Japan
ミカ・ホタカイネン監督

アイディアは、サウナで生まれた

サウナの映画を作ろうと思ったきっかけは、タッグを組んだヨーナス・バリヘル監督が、男性たちがサウナでプライベートな打ち明け話をしているのを目にしたことだったという。

「その頃、定期的にサウナに通っていたヨーナスが、男性たちがサウナでとてもプライベートな打ち明け話をしているのを見て驚いたんです」

1928年創業、市内最古の公衆サウナ「コティハリュ・サウナ」
©2010 Oktober Oy.
1928年創業、市内最古の公衆サウナ「コティハリュ・サウナ」

普段はどちらかといえば寡黙なフィンランドの男性たち。そんな彼らが、サウナで心の内を語る姿を見て、『フィンランドの男性はサウナでは心を開くんだ』と、バリヘル監督は気が付いた。

バリヘル監督自身は当時、かなり落ち込むことがありうつ病を抱えていた。恋人から病院に行くよう勧められたが、ホタカイネン監督曰く「典型的なフィンランドの男性は病院に行かずに我慢する」。バリヘル監督もご多分にもれず、病院には行かないタイプだった。

そんな彼だが、サウナから帰ってきた後は気分が良さそうだね、と恋人に言われたことから、サウナに通うことにした。

サウナには人を元気にさせ、男性の心を開かせる何かがある。サウナを出たバリヘル監督はホタカイネン監督に電話をして「次の作品のテーマが決まった!」と伝えた。

フィンランドの人たちにとってサウナとは

フィンランドの人たちにとって、サウナはとても身近な存在だ。約540万人の人口に対して2‐300万個ものサウナがあり、大統領専用サウナや首相専用のサウナまであるという。

フィンランドのサウナには、日本のサウナのような水風呂はなく、火照った体はベランダで涼んだり、冷たいシャワーを浴びたり、時には湖で泳いだりしてクールダウンする。

路上でクールダウンすることも
©2010 Oktober Oy.
路上でクールダウンすることも

汗をかいた後に、体を冷やし、またサウナに戻る。それを繰り返して何時間も過ごすという。

サウナはフィンランドの人にとって、ただ身近であるだけではなく特別な場所でもある。

ホタカイネン監督は「体の汚れと一緒に心の汚れも落とす、精神も綺麗にする効果があるんですよ」と、文字通り身も心も洗い流すサウナの効果を強調する。

社交の場でもあり、「誰かと話をしたい」と感じた時に、サウナに誘うこともあるという。

さらにかつては、サウナが人生のスタートと終わりを迎える場所でもあったと監督は話す。

「昔はサウナで出産し、サウナで亡くなった人の体を洗っていました。フィンランド人にとって、サウナっていうのはそれくらい特別な場所なんです。その感覚が今も、遺伝子のどこかに残っているのかもしれません」

男性は強くなければ、という考えがまだ残っている 

サウナは、フィンランドの女性にとっても男性にとっても特別な場所。それでも、ホタカイネン監督とバリヘル監督が、男性だけを追ったことには理由がある。

フィンランドは、世界幸福度ランキングが2年続けて1位ジェンダーギャップ指数も4位だ。男女格差が小さく、生きやすい社会を実現させてきた。

しかし、男性が弱さを見せるのが許されないような古い価値観が、まだ残っているとホタカイネン監督は話す。

「フィンランドは昔、とても男性的な社会でした。女性たちはその社会を変えるために女性運動を起こし、自分たちの権利を主張して平等を手に入れました。そうやって、フィンランドは女性が強さも弱さも見せられる社会になったんです」

「一方で、男性的な社会にあった『男性は強くなければいけない』とか『弱音を吐いちゃいけない』といった価値観が今でも残っていて、男性たちは自分の中にある繊細な部分を隠して生きているようなところがあります」

誰にでも話せることではないことを、話せる場所

サウナは、そんな強さを求められてきた男性たちが弱さを出せる場所としての役割を担っていると監督は話す。

『サウナのあるところ』では、実の母親に娘の親権を取られたという男性、服役していた過去のある男性など、様々な男性たちが、時に涙を流しながら自らのストーリーを語る。

自分の過去を語った後、サウナの外でビールを楽しむ男性たち
©2010 Oktober Oy.
自分の過去を語った後、サウナの外でビールを楽しむ男性たち
脱獄しようとした過去を語った男性。今は息子たちとサウナに入る
©2010 Oktober Oy.
脱獄しようとした過去を語った男性。今は息子たちとサウナに入る
この男性が一緒にサウナに入った相手は、人間ではなかった
©2010 Oktober Oy.
この男性が一緒にサウナに入った相手は、人間ではなかった

温かなロウリュの立ち込めるサウナで、汗と涙を流す男性たち。彼らがサウナで、弱い部分や繊細な部分を出せる理由は、強くなければいけないという“鎧”を脱ぎ捨てられるからではないかと監督は言う。

「フィンランドの男性にとって、裸になるということは鎧を脱ぐような感じなんです。地位とか名誉といったものを全部脱ぎ捨て、色々な意味で裸の状態になれる」

「そうなった時に、上下関係も隠すものもなくなる。素の状態になり、オープンになれるのです」

ホタカイネン監督の記憶には、幼い頃に祖父の家で見たある風景が残っている。

「我々の祖父は戦争に行った世代なんですが、戦争で一緒に戦った仲間が、週末に祖父の家に集まって、ずっとサウナ小屋で自分たちだけの時間を過ごしていたのを覚えています」

「彼らは、心のどこかに戦争で傷を負っていたんじゃないかなと思います。ただ当時はカウンセリングや精神科などもなく、あったとしてもそういうところには行くものではないという考えがありました」

「祖父たちは、戦争を体験したもの同士でサウナに入り、戦争を話すことで、その傷を癒していたのではないでしょうか。サウナというのは昔から、ただ正直になれるだけではなく、誰にでも話せることではないことを話せる場所なんでしょう」

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映画で伝えたかった、次は「男性の番」

『サウナのあるところ』のフィンランド語のタイトルは「男性の番」。このタイトルには、二つの意味が込められているホタカイネン監督は話す。

一つは、男性がサウナに入る順番を意味する「男性の番」を撮影しているという意味だ。サマーハウスなど、サウナが一つだけしかない場所では、男性と女性がそれぞれ時間を分けて入り、その時に男性が入る時間を「男性の番」、女性が入る時間を「女性の番」と呼ぶ。

その「男性の番」を撮影しているという意味、そしてもう一つは「今度は男性が心を開く番」いうメッセージが込められている。

「男性たちはまだ、“強くなければいけない”という考えに縛られています。だから私たちはこの映画を通して、今度は男性が心を開いていいんだというメッセージを伝えたかった」

「男性たちが変われるきっかけを作りたかったんです」

日本の男性も、サウナで語る?

日本でもサウナがブームだが、日本の男性も、サウナで心の内を語るのだろうか。

週に2〜3回サウナに行く男性に聞くと、自分のルールやペースがあるので、人と一緒には行かない、そのためあまり会話はしないと話してくれた。周りの男性たちも、ほとんど会話はしていないそうだ。

日本のサウナは比較的高温・ドライなため、人と話しにくいというのもあるし、多くサウナにテレビがあるのも話さない一因ではと男性は言う。

男性は、フィンランド式のサウナを体験したこともあるという。低温多湿で熱波の伝わりがとてもやわらかく、いつまでもそこにいられるような感覚だったと振り返る。

フィンランドと日本、サウナはそれぞれの場所でそれぞれの入り方があるのも面白い。

サウナが生まれた国フィンランドで男性たちがどんな時間を過ごしているのか、のぞいて見るのもいいかもしれない。

『サウナのあるところ』はアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺、新宿シネマカリテほか全国順次公開