「指紋」を読み解く人々

17 世紀、イギリスの科学者ニュートンは、太陽光がプリズムを通過すると、様々な色をもつ光に分解される現象(分光)を見出したと言われています。太陽の光には、いくつもの種類の光が折り重なって地上に届いているのです。ただ辺りを照らすだけにみえる光も、熟練の専門家からしてみれば、極上の研究素材を与えてくれるメッセージとなります。

■ 古都にかかる虹の架け橋

師走の昼下がり、筆者は所用があり、今出川通りを西進し、御所の方へと自転車をこいでおりました。鴨川にかかる橋の上で、みぞれ混じりの寒空のもと、人々がおもむろにカメラを北に向けている。

「なるほど、虹がかかっているのか」

古都の東端から西端にかけて、北山を背景にして大きな円弧を描くような、美しい虹が目に飛び込んできました。観光客や子供たちだけでなく、道行くビジネスパーソンまでもが立ち止り、カメラを構えている。中には、車を止めて記念撮影をとらせる呑気な御一行も。景色と裏腹の、何とも言い難い騒然とした橋の光景を横目に流しつつ、筆者は心の中で、静かにシャッターを切りました。いったい彼らのうちの何人が、あの虹のことを覚えているのでしょう。

大気中の水滴がプリズムのごとく機能し、地上に降り注ぐ陽の光は、色鮮やかな光のカーテンへと変化します(Cannon サイエンスラボで、虹のできるしくみを解説する movie があります)。17 世紀、イギリスの科学者ニュートンは、太陽光がプリズムを通過すると、様々な色をもつ光に分解される現象(分光)を見出したと言われています。太陽の光には、いくつもの種類の光が折り重なって地上に届いているのです。ただ辺りを照らすだけにみえる光も、熟練の専門家からしてみれば、極上の研究素材を与えてくれるメッセージとなります。

■ 光の指紋を紐といて

ドイツの物理学者フラウンホーファー(1787-1826)は、光を分光させてできる色の帯(スペクトル)に着目する分光学のパイオニアでした。彼は、観測結果を注意深く解析し、スペクトルに黒い線(暗線)が現れることを見出しました。博士の名前を取って、フラウンホーファー線と呼ばれています。この暗線ができるしくみを解明したのが、これまたドイツの物理学者キルヒホフ(1824-1887)でした。

太陽から放射される光が太陽表面の気体の層を通過するとき、その層に含まれる原子が特定の波長の光を吸収することが原因でした。キルヒホフは、太陽光のスペクトルに見出される暗線の一つが、ナトリウムを熱して得られる光と同じ位置に出現することを明らかにし、分光によって太陽を構成する元素を同定できることを明らかにしました(図 1 参照)。この暗線は、まさに「光の指紋」だといっていい。

ここで専門家である、国立天文台の青木和光博士による説明に耳を傾けてみましょう。

地球から遠く離れた星がどんな物質からできているのか―それを知ることは不可能なことのひとつ、と考えられた時代もありました。しかし、スペクトル観測は星の表面にどんな元素があるのかを調べ、その組成をかなりの精度で測定することを可能にしています。星の中心でつくられたエネルギーは光として放射され、表面から宇宙空間に出ていくときに表層大気中にある原子や分子(もちろん気体の状態)によって、固有の波長の光が吸収されます。星の光を波長に分けて、そこに見える吸収線を丁寧に測ればよいのです(分光宇宙アルバム#1 より引用)。

地球から遠く離れた星たちから届くメッセージを、スペクトルに転換して読み解くことで、星を構成する元素や温度などを解析することが可能になったのでした。私達の住む地球や、生命を成り立たせる元素が、どのようにして誕生してきたのかを考える上で、分光学的な手法は威力を発揮しているようです(注)。

■ ルーツを追い求める人々

自分たちの先祖の辿ってきた道のりに、少なからぬ関心を寄せる人は多いのではないでしょうか。科学者の場合、「自分たち」をより深く、または違った角度から探求するので、対象が「地球」や、「生命」になるのでしょう。

宇宙誕生後まもなく誕生した、化石のような恒星は、どのようなものだったか。天文学者たちは、満天の夜空に輝く無数の星の中を探索します。「古い恒星ならば、その星を構成する元素の種類も少ないはずだ」と考え、光の指紋がほとんどない天体が探索されたのでした(図1参照)。宇宙を研究することは、自らを知ることにつながる、とも考える彼らのスタンスは、太陽の下でも星空の下でも研究室にこもり、実験材料と格闘する生命科学者のスタンスと、似通っているところが大いにあるのではないか。注目する天体現象がいつ捕捉されるかは知る由もなく、膨大な観測データの海の中で格闘するのは、気が遠くなる作業でしょうし、分野が異なる筆者には想像できません。

私達人類は、どのような進化をたどってきたのか、という問題は実に興味深く、生物学者の関心を強く寄せる問題の一つとでしょう。宇宙を知るために天文学者が「光の指紋」を手がかりにするように、生物学者は「 DNA の指紋」を手がかりにします。実験材料となるのは、旅人などにたまたま発見される人骨です。彼らは長い年月をかけて、時空を超えて地球に到達する星々の光のように、何千年、何万年という長い時間を旅し続け、私達に、ボロ雑巾になりながら「小さな痕跡」を送り届けてくれるのです。

■ 肌が黒く、目が青かった先史時代のヨーロッパ人

2006 年にスペインのある洞窟で、7000 年前のものと鑑定された人骨 2 体が発見されました。そのうちの 1 体の 1 本の歯から、分析に使用できるほどの保存状態のいいゲノム DNA が抽出されました。洞窟が標高 1500 m の高地にあり、一年を通じて冷温な気候であったこと、そんな天然の「冷蔵庫」で命を落とした先人が、今日まで手付かずの状態で残っていたことは、研究者にとって幸運なポイントでした。

論文の中で、ゲノム情報を現在のヨーロッパ人やアジア人のものと比較すると、かなり異なっていることが明らかにされています。洞窟で見つかった人間は、ヨーロッパの中では、比較的北欧(フィンランドやイギリス)の人々に近いと位置付けられたようです。

写真を見る限りただの人骨で、肌や目の色といった、生きていたころの姿を推測するのは難しい。では、なぜそういった表現型が記述できたのでしょうか。根拠になったのは、やはり DNA 情報でした。旧石器時代から現代にいたるまでのゲノム情報がデータベース化されており、例えば、一部の特定の遺伝子の配列情報から、肌や目の色を推測することが可能になっています。また現代人と比較して、デンプンを分解する消化酵素をコードする遺伝子、アミラーゼの染色体上のコピー数が少ないことが見出されました。

これらの分析結果を総合して、研究グループは「狩猟採集民で肌が黒く、目が青かった」と結論付けたのでした。人種に対する偏見が強い土壌を、少なくともかつては持っていた、肌が白く目が青い人が多い、現代ヨーロッパにルーツを持つ人々に、この論文は少なからず衝撃を与えたように見えます。最近のニュースでも取り扱われていたので、インパクトのある顔のスケッチを覚えている読者も、いらっしゃるのではないかしら。

アフリカから移動を開始した人類は、現在見られるような様々な人種に枝分かれしていきました。例えば、「肌が白くなった時期と目が青くなった時期はいつなのだろう?」という素朴な疑問には、この論文は一つの答えを用意してくれています。ただし、たった 1 体の情報によるものですので、他にも大勢いたであろう当時のヨーロッパに生きた人々が、どのような姿形をしていたのか、ということを知るには、残念なことに情報量が不足している。

もう一つ、興味深かったのが、次の点です。スペインで発見された人骨と、シベリアのバイカル湖付近で発見された旧石器人(1-3 万年前)とが、遺伝的に共通の祖先をもつことが示唆されていたことです。地理的に両者はかなり離れているにもかかわらず、つながりが見出された。このことは遠い昔に、人類が長い年月をかけて辿った痕跡に触れる機会を私達に与えてくれます。

地球上には、まだ知らないところで先史時代の人骨が眠っているに違いない。彼らには迷惑な話かもしれませんが、少しだけ眠りから覚めていただき、私達が辿ってきた道のりを、少しだけ垣間見せてくれないものかなぁ。

(注)ご興味のある方は、ぜひ国立天文台ホームページの「分光宇宙アルバム」を訪れてみて下さい。

【参考資料・参考文献】

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