生まれてから一度も、自然に生理と排卵がない私。
16歳の頃に訪れた産婦人科で「産めるか産めないかわからない」と言われて以来、「いつか、母になれるのだろうか」という思いが心の奥底に染みついていた。多くの女性に毎月のようにくる生理がまったくない自分の身体に“欠陥”を感じ、胸がひりひりすることもあった。
自分の身体の事情に反して、歳を重ねるほどに、「子どもを産み育てたい」という思いは募っていく。
18歳になっても初潮がない「原発性無月経」であること以外、具体的な疾患名も効果的な治療法もよくわからないまま、10年以上、注射や飲み薬(ピル等)でホルモンを投与し続けてきた。
「子どもを産みたくて結婚するわけじゃないから、別に気にしないよ」という夫と出会い、結婚。不妊治療が前提となる私たちは、夫婦ふたりの家族のかたちのほかにも、里親や特別養子縁組など「産まずに、育てる」選択肢も真剣に考えていた。
排卵誘発剤を打って排卵期を確認しタイミングを合わせる初期の不妊治療を続けて2年が経つ頃、体外受精をしようと不妊治療専門の病院を訪ねた日、まさかの妊娠が発覚。奇跡が起きた。
自分とは「違う」境遇にある人に心を寄せること
それまで隠すでもなく声高に言うでもなく、いろんな葛藤を経て、自分の中では“あたり前”になりつつあった「生理がない」こと。
ハフポストの特集「Ladies be Open」に自身の身体の事情と妊娠について投稿をしたところ、思いがけず多くの人に読んでいただき、友人知人・知らない方からもメッセージが届いた。
“生理がないから、女性性を否定して、恋人をつくることにも躊躇してしまい、普通じゃない私は、家族をつくることも難しいだろうと思っていた”
”子どもを持つことは誰かに勝つことではないのに、周囲と比較してしまい精神的に疲れてしまう”
“不妊治療中、気持ちが滅入ってしまう妻を支えたい。どうやったら少しでも気持ちを楽にすることができるのだろう”
特に、私と同じように原発性無月経である方、不妊治療中の方からの言葉は胸に残った。
私自身にも、自分が育ってきた環境や周りの「普通」や「正しさ」と比較して、「産めないかもしれない」ことに心がとらわれてしまっていた時期があった。産むこと、母になること、家族をつくることをつなげて考えていたから、それらができないかもしれないことに心はざわついた。
結婚する際に、夫があまりに自然に受け止めてくれたことも大きいけれど、身体の疾患を知って10年以上の月日が経つなかで、いつしか「産めないかもしれない」ことを私自身が受け入れられるようになっていた。
そして何より、私の身近には、自分の心と身体と向き合いながら、ままならないことも受け止めて、自分の選択を重ね、家族を築いている人たちがいた。彼ら彼女たちの存在が、私の「普通」や「正しさ」を少しずつときほぐしてくれたのだ。
16歳で予期せぬ妊娠をして母になった友人、
17歳で亡くなった恋人を今でも大切に想う友人、
身体の事情を受け止めて産まない人生を選んだ先輩、
夫婦間の臓器移植を経てふたりの仲を深めた友人、
トランスジェンダーで性転換を経て男となり結婚した友人、
5年弱の不妊治療を経て特別養子縁組で母になった知人、
特別養子縁組で娘になったことを大学生の頃に知った後輩、
里親として10人以上の子どもたちを家庭に迎え入れてきた先輩。
彼女たちは、どんなふうに自分の人生を選択し、家族を築いているんだろう?
私は妊娠中、そんな自分の身近にいる人たちに、人生と家族の話を、改めてじっくり聞いた。そして、自身の妊娠・出産・子育てで揺れ動く気持ちも交えて、1冊の本にまとめた。
結婚、出産、不妊、生と死、離婚、里親、特別養子縁組、性転換……。
「人生の選択や家族のかたち」といった普遍的なテーマにおいて、記号的な言葉の内側にある、たった一人のささやかで小さな物語。
私を含めこの本のなかで取り上げている人たちは、著名人でもなければ、時代の先をいくような斬新な選択をしているわけでもない。それでも、誰一人「同じ」ではなく、他の誰とも「違う」人生と家族のかたちを築いている。
私自身、すべてに共感ができるわけではないし、すべてを理解することは難しい。
それでも自分とは違う境遇にあって、違う選択をしている人たちの断片的な物語を知ることは、目の前の自分の事情にとらわれてしまいがちな私の視野を広げてくれる。
選択を積み重ね、「わたしの家族」をつくっていく
自然に生理と排卵が起きることがなく、何度も「産まない人生」を思い描いてきた私。それでも、母になった。
「産まずに、育てる」選択も探りつつも、母になる選択肢は、必ずしも「選べる」ものではなかった。ままならないことが多い人生には、思いがけない奇跡も起きる。
家族ってなんだろう? 母になるって?
大きな問いを持って、身近な人に話を聞いて1冊の本を書いたけれど、今でもその答え、のようなものは正直わからない。正解がないからこそ、自分が置かれた境遇や相手との関係性の中で、その時々の選択を重ねていくしかないのだと思う。
私は今、夫と娘と、自分たちの家族のかたちを模索しながら、一緒に暮らす日々を積み重ねている。共働きで実家が遠い核家族での子育てに音を上げそうになる時もあるけれど、ふとした瞬間に、娘が生まれてきた奇跡を感じ、存在そのものがものすごく愛おしい。
とはいえ、娘と私は生まれた時から別の道を歩んでいる。分かり合えない日もくるだろう。
子育ての「正解」や親としての「正しさ」にとらわれずに、一人の人間として「私とあなた」の関係性を築いていきたいと思う。私自身の「普通」や「幸せ」を娘に押し付けないようにしたい。
この本のなかにはすぐに役立つ解のようなものはない。
書かれているのは未熟な、妻である私、母である私、子どもである私、そして、一人の人間である私の視点にもとづいた、友人知人たちの人生の選択と家族のかたちである。きっと私の考え方も、彼女たちの家族のかたちも、現在進行形でこれから変わっていくだろう。
本で紹介した主人公たちは主に女性であるけれど、彼女たちを支える男性も多く登場する。だから、女性だけでなく、男性をはじめ、婚姻や子どもの存在にかかわらず、いろんな人たちに手に取ってもらえたらとても嬉しい。自分とは違う境遇にある人に心を寄せて、「わたしの選択と家族のかたち」に思いを馳せてもらえたら。
さまざまなセクシュアリティ。産む、産めない、産まない。血や法律のつながりの有無。この世界にはきっと、まだまだたくさんの人生の選択や家族のかたちがある。
私はこれからも、「家族」や「母」といった普遍的なテーマの、大きな言葉の内側に隠れた小さな物語、今を生きる「たった一人」の言葉に耳を傾けて、書いていきたいと思っている。
》ハフポスト特集「家族のかたち」
(編集:笹川かおり)