不十分との指摘だけではなく、十分な点の評価も大切ですよね

何らかの不十分な点を改善しようとするなら、不十分な点だけに目を奪われず、十分な点に目を向けること。

こんにちは、木曜日担当のPlus Action for Children 高畑です。

受験生真っ只中の長男坊。

日々、リビングのテーブルで勉強しています。

数学の特定の項目が苦手で、悪戦苦闘しています。

「なんでこうなるの?」

と私に尋ねてくることもあります。

その項目は数少ない私の得意分野で、私は得意げに(大人気ない!)、

「こうこうこうだから、こうなってあーなって、こうなるんだよ」

等と話したりします。

長男の受験勉強の様子を見ていたり、そしてその成果としての模擬試験の結果等を受けとったときなど、ついつい

「○○がまだできていない」

という事柄を指摘してしまいます。

「本番で○○が出たらやばいぞ」

等と言う事もあります。

長男も重々承知していることなのに、なんとくどいことか。

そんな時、往々にして、できていないことだけを指摘し、できていることを褒めることを忘れてしまうことがあり、反省しています。

100点満点のテストで90点を取ったら、90点分はできているんですよね(当たり前ですが)。

それなのに、真先にできなかった10点分を指摘して駄目出しで終わってしまう。

まずは90点の結果とそれに繋がった努力を評価すべきなんですよね。

できなかった10点分も、できた90点分の努力の延長線上にあるわけで、できなかった10点分をできるようにするためには、90点分の努力を認めることが必要です。

できたこと、できなかったことは、同じ努力から生じた結果なのですから、できなかった事柄だけに目を向けては努力全体を適切に評価することはできませんし、努力そのものへの適切な評価がなされなければできなかったことの改善も望めません。

勉強に限らず、スポーツでも仕事でも家事でも、それこそ行政の施策であっても、同じことが言えるのでしょう。

何らかの不十分な点を改善しようとするなら、不十分な点だけに目を奪われず、十分な点に目を向けること。

これが改善を実現するための前提なのだと思います。

できたこともできなかったことも両方に目を向け、全体を視野に入れて評価する姿勢を忘れずにいたいと思う今日この頃です。

(2016年8月26日「ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」より転載)

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