平昌オリンピックのフィギュアスケート団体戦で2月、カナダ代表が金メダルに輝いた。団体戦にペアで出場したエリック・ラドフォード選手は、ゲイをカミングアウトしている選手として初めて、冬季五輪の優勝者となった。
そのラドフォード選手が、ハフポスト・カナダ版に寄稿した。いじめられていた子供時代。「世界中でゲイは、自分だけかもしれない」と思っていた青年時代を過ごした後、どのようにオリンピック選手として成功を収めたのか。ふるさとの町、レッドレイクへの思いとともに、半生を振り返った。(ハフポスト日本版編集部)
フィギュアは「女の子のスポーツ」扱いだった
私は、カナダ・オンタリオ州北西部の小さな町、レッドレイクで育った。栄えた街に行きたい時は、車で5時間半かけて隣州まで行かないといけないくらい、何もない町だった。
それでも、レッドレイクは本当に良い場所で、そこで素晴らしい幼少期を過ごした。やりたいスポーツはなんでもできたし、湖でたくさんのゆったりした時間を過ごすことだってできたから。
8歳の時、あることがきっかけとなって人生が動き出す。テレビで見たフィギュアスケートに感動して、実際に始めたのだ。でも、当時のレッドレイクで男の子に人気のスポーツはアイスホッケー。フィギュアスケートは「女の子のスポーツ」扱いだった。レッドレイクでフィギュアスケートをしていた男の子は私だけで、それが理由でいじめられることもあった。大好きなスポーツに打ち込んでいるだけなのに、なんでいじめられないといけないのだろう。まだ子どもだった私には、理解できなかった。
「世界中でゲイは、自分だけ...?」
フィギュアスケート人生には良いこともたくさんあったけど、ケガやいじめだったり、嫌なことだってあった。それでも、ゴールを達成するために乗り越えるべきことだと思って頑張ってきた。競争心や粘り強さ、そして何よりも「いつか絶対に世界で一番になる」という強い思いがいつでも自分を支えてくれた。
13歳になると、私はフィギュアスケートにさらに打ち込むためにレッドレイクの家を離れた。それからの4年間、いくつもの町と学校を移った。もちろん大変だったけれど、毎回変わる環境で新しい自分に出会える気がして、とてもワクワクした。
その間でフィギュアスケートも上達して、大会でも段々と上位に食い込めるようになった。そして、その頃から「自分はゲイである」ということを受け入れ始めた。
小さな町の出身だったから、「世界中でゲイは、自分だけかもしれない」と思うことがあった。でも、15歳の時、人生で初めて自分以外のゲイに出会った。コーチであるポール・ウォルツだ。彼に出会ったおかげで、ゲイであることは恥ずかしいことではないと気づくことができた。
変わりはじめた故郷
故郷であるレッドレイクにはたまに帰っていたが、その度になんとも言えない気持ちになった。いじめられた思い出が蘇って、町を歩くのさえ慎重になることもあった。
でも、レッドレイクが変わりつつあることは感じていた。時間が経つに連れて、小さな町でもLBGTQのコミュニティはどんどん進化していた。子ども時代に経験したようなLGBTQに対するネガティブな感情は、段々と消えていたのだ。私に対する応援の声も出始めていて、昔のクラスメイトたちが私に謝ってきたこともあった。
2014年、私はパートナーのメーガン・デュハメルと共にソチオリンピック(フィギュアスケート・ペア)に出場し、オリンピック選手となった。町には応援ポスターが貼られたり、故郷は私にたくさんの声援を届けてくれた。オリンピック後にレッドレイクに帰ると、どれだけ私を応援してくれたかをさらに実感することができて、心がとてもあたたかくなった。その時のことは一生忘れないだろう。
故郷の「誇り」
ソチからの4年間、メーガンと私はたくさんのことを経験した。その中の1年間は、金メダルを取り続けた無敗のシーズンもあった。世界選手権のタイトルも手にして、本当に素晴らしい時を過ごしてきた。
2018年、平昌オリンピック。「レッドレイクの人々がみんな応援しているよ」と、私の両親はいつも伝えてくれた。メーガンと私にとって、これがたぶん最後の試合になることをみんな知っていたんだろうと思う。団体戦ではカナダ代表の一員として金メダルを手にしたが、個人戦は銅メダル。最高の結果とはならなかった。
平昌オリンピックから数ヶ月後にレッドレイクに戻ると、とても嬉しいことがあった。育った家がある道が、私の名前「Eric Radford Way」と命名されたのだ。さらに、レッドレイクのプライドパレード(LGBTQのパレード)の一員にもなることができた。
10代でフィギュアスケートのためにレッドレイクを離れた時、故郷がこんな風になるなんて想像すらできなかった。今は、町からのサポートをたくさん感じるし、ゲイをアイデンティティとする一人の人間として、きちんと認められている。
これまでも、これからも、小さな町・レッドレイクは私の「故郷」だ。
(ハフポスト・カナダ版の記事を翻訳・編集しました)