マイケル・ムーアの新作『華氏119』が公開された。ムーアの今回の標的はトランプだ。現職大統領を題材にするのは、2004年の『華氏911』に続いてこれが2本目だが、今回の作品は前作と同じようでいてかなり異なる。
2004年の『華氏911』は、9.11に端を発するアメリカ政府の迷走と戦争責任はブッシュにあるとする内容だった。アメリカはおかしなり必要のない戦争に邁進した、その原因は国民を欺いたブッシュにあるとするスタンスの作品だった。
対して、今回の『華氏119』は同じように現職大統領に対して攻撃的な内容ではあるが、トランプ政権を原因として捉えていない。ムーアは、トランプ大統領の誕生は長年に渡り進行してきた社会の分断化の「結果」に過ぎないと描いている。
『ロジャー&ミー』とトランプ
トランプという結果がなぜ生まれたかの過程を、ムーアは故郷のフリントの惨状を通して見せる。
ミシガン州のフリントはかつてGM(ジェネラル・モータース)の企業城下町として栄えたが、GMは工場のメキシコ移転を機に大量解雇を実施。人口15万人のうち3万人がGM関連の職に就いていたこの町は、失業者が大量に溢れ、治安はみるみる悪化し、町はゴーストタウンと化した。
マイケル・ムーアの映画デビュー作『ロジャー&ミー』は、そんな町の危機を知った彼がGMの会長を探し出し町の現状を知ってもらおうと奮闘する映画だ。GM本社にアポなしで突撃し、ゴルフの予定をかぎつけゴルフ場に侵入し、株主総会に潜り込み質問を試みる。
メキシコの自動車工場といえば、トランプが語気荒く製造業の国内工場を取り戻すと公約していたことを思い出すだろう。実際に、トランプは企業に圧力をかけて公約を実現しようとしている(参照)。民主党やリベラルエスタブリッシュメントは、こうした主張を一笑に付したが、ムーアの映画を観れば、その訴えがフリントのような町に住む人々にいかに切実に響くかがよくわかる。
民主党支持者の著名人や、NYTなどのメディアを含め、荒唐無稽だと嘲笑っていたトランプの主張が、貧困に苦しむ人々には福音のように聞こえるだろうことは、ムーアにはわかっていたのだろう。彼が見続けてきた人々は、今回の大統領選でトランプが支持基盤と見込んだ層の一部でもある。ムーアとトランプは同じ人々を見ていたのだ。
ちなみにフリントのあるミシガン州は、トランプが勝利するまでは6期連続で民主党が大統領選を制していた「青い州」である。
共和党も民主党も30年間フリントを救わなかった
『ロジャー&ミー』は1989年の作品で、すでに当時フリントの町は相当悲惨な状態だったが、『華氏119』ではさらにひどくなった町の様子が映されている。水道水が高濃度の鉛で汚染され、非常事態宣言が出されているのだ。
この汚染の直接の要因は、フリントの財政破綻により五大湖の1つ、ヒューロン湖から水を調達することが不可能になったため、代わりにフリント川を水源にしたことにある。この川の水質が非常に悪いため、老朽化していた水道パイプの鉛が溶け出すという事態になった(参照)。映画の中で、ムーア自身もこの問題に対するデモに参加し、共和党のリック・スナイダー州知事を逮捕せよと叫んでいる。
たしかにこの事態を招いた知事の責任は重いが、だからと言って民主党がこの問題を解決したかというとそんなことはない。映画は水質汚染問題におけるオバマの残念な姿を捉えているが、結局のところ共和党も民主党もフリントで苦しむ人々からすれば、同じ穴のムジナでしかない。
そもそも、『ロジャー&ミー』の時代から30年が経とうとしている。その間、フリントの財政が向上することはなく、失業問題には手を付けられず、町の状況は悪化の一途をたどった。政治家たちは何をしていたのか。ムーアはこの惨状に対して本気が怒っている。その怒りの矛先は、トランプの友人、スナイダー州知事だけではなく、民主党にも向けられている。
ムーアの怒りはオハイオでのトークショーを収めた「トランプランド」で端的に表明されている。こちらにトークショーの一部が紹介されている。本作の理解の一助になるので是非観てほしい。
スティーブ・バノンはムーアに学んだ
トランプの戦略は、わかりやすい敵を仕立て上げ、(外国人移民、既存メディア、中国など)、敵愾心を煽る。そのアジテーションは過剰に感情的で、自分に都合の悪い情報はフェイクニュースだと罵りシャットアウトする。彼はそんな手法をどこで学んだのだろうか。
トランプ本人についてはわからないが、選挙戦でトランプ陣営の選対本部長を務めたスティーブ・バノンは、映画の中で興味深い発言をしている。映画の中で、彼はマイケル・ムーアを尊敬しており、彼の手法を大いに学んだと語っている。それはおそらくリップ・サービスや皮肉ではなく本心だろう。仮想敵を見立てて、感情のフックで波風を立て、相手からみっともないふるまいを引き出す。信じたいものしか信じない支持者の望む情報を提供し、結果として結束は強固になり、相手への敵対心はますます燃え上がる。彼らのアジテーションは、ムーアのそれと確かによく似ている。
2004年の『華氏911』は、同年のカンヌ国際映画祭で初披露され、審査員長だったタランティーノの「純粋に作品が素晴らしいから選んだ。政治的な理由ではない」という最高に政治的なコメントとともにパルム・ドールを受賞。その後全米で公開され、ドキュメンタリー映画としては異例の興行収入ランキング1位を獲得。ドキュメンタリー映画としては歴代1位の興行記録を打ち立てた。
反ブッシュを掲げて、ブッシュ再選を阻止するために緊急で製作されたこの映画の大ヒットを受けてその年の11月、ブッシュは「何事もなかったように」再選を果たした。
トランプは過激な物言いと差別的発言で、社会を分断しているとよく批判される。しかし、アメリカ社会の分断は今に始まったことではないだろう。少なくとも2004年の時点で社会の分断はかなり進行していたのではないか。『華氏911』でムーアが仕掛けたアジテーションは結局のところ、民主党サイドの人間にしか届かなかったのではないか。分断社会の困難さは、本当にメッセージを届けなければいけない相手にメッセージが届かないことにある。
新しい「草の根」は希望足り得るか
共和党はもとより、民主党にも失望した寄る辺のないムーアが希望を見出したのは、サンダースとその若い支持者たちだ。今はほんの小さな「草の根」に過ぎないが、銃規制を訴えワシントンの通りを埋め尽くした彼ら/彼女らのパワーにムーアは一縷の希望を感じている。トランプが撒き散らす問題は本来なら今すぐ何とかすべき喫緊の課題だが、現状は特効薬も対抗馬もない。だから、若者たちの小さな胎動に希望を託すしかない。
だが、それは今までの彼のどの主張よりも「真っ当」なのではないか。長年に渡って貯め続けた問題を一気に解決できる銀の弾丸はないのだ。ブッシュさえ引きずり降ろせれば、という態度で作られた『華氏911』よりはるかに本作は優れた作品だ。少なくとも大統領1人の首を挿げ替えたところで解決できないほどに、アメリカの問題の根は深いということに気づけているからだ。
アメリカをおかしくしたのは、トランプとその支持者ではない。むしろアメリカがおかしくなったから、彼らが活躍できるようになったのだ。ではだれがアメリカをおかしくしたのか。
この映画はアメリカでも興行成績がいまいちパッとしないようだ。かつて『華氏911』を絶賛したであろうリベラルな人々からすれば、もっと強烈な反トランプのプロパガンダを期待していたかもしれない。だが、そんなプロパガンダの応酬こそ社会の分断を促してしまうのではないか。それでは結局のところ、トランプがやっていることと大差ないのだ。