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台湾生まれの両親のもと、台湾人として時には窮屈な思いも経験しながら日本で育った楊氏は、いつしか色々な人種が集まるロンドンやニューヨークで暮らしたいと思うようになった。音大にて作曲を学んでいた彼女は卒業後、ロンドンに移り6年の滞在期間中にジャズピアノを学び、ホテルなどで演奏も行っていたことから、今でも音楽に対する情熱は健在だという。学生ビザが切れて日本に戻った段階で、自分の音楽のキャリアをどのように築きあげていけばいいのか壁にぶつかったが、若干27歳で「えん」を設立した兄からの一言で後の人生の軌道が大きく変わり、同レストランのニューヨーク支店を開店することになる。映画界やファッション界などのセレブが毎夜宴を繰り広げる「えん」は、先月でオープン9周年を迎えた。この魅力溢れるEN Japanese Brasserieのオーナー、楊麗華(よう・れいか)氏にARTINFO JAPANが直撃インタビューを行った。
――日本にチェーンを十数店舗も構える「えん」ですが、ニューヨークで開店することになったきっかけは何ですか?
「ロンドンから日本に帰国した後、鬱で部屋から出られない日もあった私に、兄が新店舗のオープニングパーティーに来ないか、って呼んでくれて行きました。帰り道に酔っぱらった兄が、ニューヨークに行ってレストランを開店しないか、って冗談半分で言ってきて」これを口実に音楽シーンをチェックしようと、2000年6月いざニューヨークへ。「下見に行ってくるわって兄には言ったけど、実は開けるつもりはなかったんです(笑)」しかし、ニューヨークの日本食店をまわって、寿司か天ぷらしか提供していないことにショックを覚えた。 音楽を目的に渡米したが、「ニューヨークで本場の日本食を伝えたい、教えてあげたい、って逆にそこに情熱を見出しました 」と語る楊氏。
―― マーサ・スチュワート・ショーに二度出演されていますが、どういう経緯で出演することになったのでしょうか?
「マーサさんは何度か店に来店して下さっていたんですが(その時のコメントはここから)、お店にいきなり電話がきて、ゲスト出演して豆腐のつくりかたをショーで見せてくれないか、て依頼を受けて。その当時家にテレビがなかったからどんなショーかわからなかったんです。どれだけインフルエンシャルな人物か把握していませんでした。当日、風邪ひいてて声が出なくて、シンプソンズのお母さんみたいな声でした(笑)」と当時をコミカルに振り返る。
「2度目の出演は、4月下旬に行われる毎年恒例のえんの桜祭りを取材したいとマーサさんのチームから連絡がきました。店いっぱいに桜を満開にさせて、さくらの懐石メニューを用意して。その中から1品だけレシピを紹介し、その時は夫兼共同経営者ジェシー・アレキサンダーが出演しました。」
――先述のマーサさんをはじめ、役者、アーティスト、デザイナー、ファッション界大物など名だたる著名人が実に多く来店されますが、最も印象的だったエピソードがあれば教えてください。
「本当に著名な俳優さんや映画監督さんがいっぱいで、どれか一つを選ぶのは難しいのですが、一番印象的だったのはやはり東北関東大震災の後に、Love For Japanというチャリティーイベントをしたときですね。とにかくセレブの名前でお金が集まるというのが実際正直あるので、恥知らずの状態でセレブのお客樣方に電話をかけました。そしたら気前良くもちろん良いよ!とたくさんの方がドネーションをしてくれました。本当に有り難かったし、うちの店だけでなくて日本に対する愛情も感じました。マーサさんにもホストとしてスピーチをしてもらったり、マドンナ、ジュリアン・シュナーベル、オノ・ヨーコさん、ジョージ・クルーニーなど、本当にたくさんの方たちが寄付やオークションに物品をドネーションしてくれて」その中にはマドンナが履いていたルイビトンのヒールにサインが施されたものも。「マイケル・スタイプが購入したんですけどね(笑)」
「自分がレストランをやっていることを利用して、あのイベントができたことは、本当に嬉しかったです」数ヶ月に渡り店内でもドネーションを募り、チャリティーも含めて寄付金はなんと総額12万ドルにまで達した。「震災直後テレビの前で流した涙が、イベントを通してありがとうの涙に変わりました。 とにかくお客さんの力です」
――Love For Japanでウィントン・マルサレスさんもパフォーマンスをされましたよね?
「はい。マルサレスとは旧友で、えんでパフォーマンスしたいから企画しようよ、て前から言ってくれていたんですが、津波のあとにマルサレスに電話して、「見た?あの津波」て聞いたら、「うん、僕たちで何かしよう」て言ってくれて。彼のプッシュがなければできなかったと思います」
――カール・ラガーフェルド×メリッサのリリースパーティーやアレキサンダー・ワンが「えん」でパーティーを開催して話題になりましたが、今後どういった展開を望んでいますか?
「自分もファッションが好きだし、デザインという要素でデザイナーにも喜んでもらえるような内装だと思います。アレキサンダー・ワンは、今年のニューヨークファッションウィークの打ち上げでうちに来てくださいました。箱の大きさもパーティーができるぐらいのキャパがあるので、今後もそういうイベントができたらいいなと思っています」
――えんは活気に溢れ、子供連れにもフレンドリーです。とにかく何を食べても美味しいと評判ですが、経営にあたって最も大事にしていることは何ですか?
「大きい店だけど、大きいからこそ、アットホームな雰囲気を大切にしていくように心がけています。気分的には親しみやすい「とうちゃん・かあちゃんの店」で、スタッフ同士も家族のように仲良いし、常連さんが多いから大きなファミリーになりつつあり、そこを大事にしていきたいと思っています。スタッフともお客さんとも深い絆を築いていきたいです」
日本のえんとニューヨークの「えん」は姉妹店として お互い良い刺激を与えあう存在。月1回の電話コンファレンスは、日本の流行をいち早く理解するという目的も兼ねている。「時代によって食べ物も内装も皿のセレクションも変わるので、リアルタイムで流行をキャッチするのも大事な経営アスペクトだと思っています」、と語る楊氏。
――「えん」はシックで季節に合わせたデコールと落ち着いた雰囲気を演出していますが、店内のデザインについて教えてください。
「店のデザインは、明治・大正をイメージしています。明治時代というと、ちょうど西洋文化が日本に溶けこんで定着し始めたころです。それをある意味逆にしたくて、日本の文化がニューヨークで定着してほしいという願いを込めて、インテリアにも同時代に作られた欄間(らんま)を使用するなどこだわり抜いています。天井もそうです。個室のデザインも日本の家をイメージしてアットホームさを出しています。 個室の椅子に日本の生地を使うなど、微妙なニュアンスを通して明治・大正を再現しています」
――カール・ラガーフェルドが自身のツイッターで、「えん」はニューヨーク一の日本食だとつぶやきましたが、他の日本食店と違う点やこだわりは何ですか?
「妥協しない全うな日本食を紹介しているところですね。アメリカ人に特別こびるわけではなく、ありのままを見せたい。当たり前のことしかしてないんですよね、食べ物的にも。 東京によく出張に行く方などは本当の日本食をご存知ですから、えんに来ると居心地が良いとよく言われます」
――新しいメニューが頻繁に提供されますが、それは全てシェフが考えるのですか?
メニューに関しては安陪弘樹料理長と一緒につくりあげています。つくりあげるのはもちろんシェフですが、コンセプト的なことは自分から提案することが多いです。彼の場合、日本食にだけ興味がある料理人ではなく、すごくオープンな考え方でメニューをつくるため、日本食の世界だけで出来上がったものではありません」
――えんの人気メニューにはフライドチキン、ガーリックフライドライス、西京みそブラックコッドなどが挙げられますが、これはニューヨーク独自のメニューですか?
「いえ、日本のアイテムです。日本とニューヨークでは食材も違うし、こちらでしか入手できない野菜も多く、同じ野菜でも味が違うので、こちらの食材で頭を柔らかくしないとやって行けません。ニューヨークだからこそできる料理を提供したいと思っています。コスト面もありますが、それ抜きにしてもロングアイランドのホタテもすごく美味しいし、わざわざ日本から持ってくることはないと思っています。あと、ヴィーガンのお客様が多いので最近ヴィーガンの懐石を始めました」
――「えん」をワンセンテンスで表すと?
「東京にディナーをしに小旅行しませんか?」
――ニューヨーカーに日本の味を知ってもらう上で、苦労したことなどありますか?
「一番最初に苦労したのは、シェアしてくれないことです(笑)。これが私の豆腐で、これが私のコッドという風に食べられる方が特にオープン当初は多くて。 メニューがみんなで分けられるようになっているのに、一人一品という感覚なんですね。 あと、一番難しいのは日本とアメリカの文化をどのようなバランスで保つか。全て日本のやりかたでやってしまうと、ニューヨーカーをターゲットにしている店としてやっていけないのです」
しかし夫ジェシーがアメリカ人独特の発想を提供し、彼のヘルプでバランスも良くなったと言う。
「ニューヨーカーに受け入れてもらえるようなバランスを今でも模索し続けています。日本の美しい部分を曲げてまでニューヨーカーの舌に合わせようとは思っていません 」
――今後の展望や、プロジェクトなどあれば教えて下さい。
「アイディアはいくらでもあって。他の都市も考えてますし、もっとカジュアルな店や学生さんでも来られるようなコンセプトも考えています。惜しまれながら10月に亡くなられたルー・リードさんに、以前特別1ヶ月間だけ毎日食を提供したんですが、その短期間で血糖値が半分に下がったんですね。その後も引き続きルーには定期的に食を用意しました。(ニューヨークタイムズ紙による、えんとルー・リードの食を通しての友情関係を綴った記事はこちらから)ニューヨーカーに健康になってほしいという思いがあるので、食を通して良い変化を与えたいと思っています」
ニューヨークの日本食レストランの多くは、現地の人々の味覚に多少合わせるせいかフュージョン料理が多い中、えんは純粋に日本の居酒屋で食べられる味を提供し続けている。高品質の食材を使って純粋な日本食を楽しんでほしいという姿勢が揺るぎない人気の秘訣、そして魅力なのかもしれない。
(※この記事は2013年11月13日のBLOUIN ARTINFO「インタビュー:ニューヨークのセレブが集うEN Japanese Brasserieの若き女性オーナー、楊麗華氏」から転載しました)
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