イギリスのエリザベス女王が日本時間9月9日未明、96歳で亡くなりました。イギリス王室と日本の皇室の関係は深く、強い絆で結ばれています。上皇陛下が当時「実に温かく、フレンドリーな方と思いました」と女王陛下について語るに至った、知られざるエピソードを紹介しましょう。
■「敗戦国代表の悲哀が身に染みた」。戴冠式では日本に冷たかったイギリス王室
エリザベス女王の戴冠式は27歳のときです。即位の翌年にあたる1953年6月2日、ウェストミンスター寺院で開かれました。父・昭和天皇の名代として、現在の上皇陛下が参加していました。当時は皇太子になったばかりの19歳。「明仁親王殿下」と呼ばれていた上皇陛下の初めての外遊でした。
第二次大戦の集結のわずか8年後。イギリス国内では依然として砂糖と肉が配給制。国民が不満を漏らしており、都市の至る所に爆撃の跡が残っていました。第二次大戦で敵対した敗戦国「日本」に対するイギリス王室の視線は冷たかったそうです。
上皇陛下の学友だった橋本明さんが書いた「知られざる天皇明仁」(講談社)によると、戴冠式での上皇陛下の席次は17番と冷遇。各国代表を回った新女王のあいさつでも、他の国の皇太子と同室のまま3時間も待たされた挙げ句、女王は握手はしてくれたものの視線を合わせなかったそうです。
このときの欧米14カ国訪問について「敗戦国代表の悲哀が身に染みた」と上皇陛下は帰国後に友人に語っていたそうです。
■使者からの思いがけない言葉「よろしかったら女王のスタンドで第二レースを」
しかし訪英中の上皇陛下を喜ばせたエピソードが伝わっています。エリザベス女王と並んで競馬観戦をしたのです。
当時の写真を見ると、サングラスをかけた若きエリザベス女王の隣にいるスーツ姿の上皇陛下は、ニッコリと笑って楽しそうです。戴冠式から4日後の6月6日、ロンドン近郊エプソム競馬場での出来事でした。
もともと上皇陛下は別のスタンドで観戦していましたが、途中で「よろしかったら女王のスタンドで第二レースを」と、女王の使者からお誘いがあったそうです。前述の「知られざる天皇明仁」には、次のように書かれています。
<六月六日エプソム競馬場でダービーを観戦した親王はモーニングコ ートにグレーのトップハットを着装し、第三レースのダービーステークスの馬券を買った 。隣のスタンドに英王室ご一行が陣取っている。第一レースが終わったところで 、女王のお使いが親王を訪れた。「よろしかったら女王のスタンドで第二レースを … … 」と誘いの言葉 。親王は素直にこの招待を受けた 。>
上皇陛下はこのとき、エリザベス女王との会話を楽しんだようです。帰国後の同年10月16日の記者会見で女王の印象を問われた際に、以下のように答えてます。
「エリザベス女王とは、公式会見と競馬場で二回ゆっくり話したが、実に温かく、フレンドリーな方と思いました」
(高橋紘・鈴木邦彦『陛下、お尋ね申し仕上げます』現代史出版会より)
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