総選挙を前にした野党の混乱──希望の党の事実上の左派切りとも言える"排除の論理"には様々な見方があるものの、北朝鮮のミサイル問題で国の防衛に対する関心が今まで以上に高まる中で、一連の動きにより政治が「わかりやすくなった」と率直に感じた。
これまでが「おかしかった」のである。本来なら、選挙の直前ではなく安保法案の議論が活発化した時点で、左右分裂の動きがあってしかるべきだった。国民の生命をいかに守るかという重要な議論がなされる際に、同一政党内に賛成と反対と両者の立場が混在する方がおかしい。自分の経験で言えば、かつて、みんなの党が分裂、結いの党が誕生した際、表面的には権力争いがクローズアップされながらも、その根底には特定秘密保護法をめぐる路線対立、左右の考え方の隔たりがあった。
今回、安保法案に反対する立場から希望の党に合流しない民進党のメンバーが、立憲民主党を設立したが、これは国民に対して選択肢をわかりやすく提示することを意味する。防衛を真剣に議論しなければならない現在、これまでの左右勢力が混在する民進党では、「わかりにくかった」からだ。選挙制度が複数の候補者から選ぶ中選挙区であれば、同じ民進党でも有権者は候補者の左右いずれかの立場を基準とした選別も可能になるが、小選挙区ではそれができない。
希望の党による"排除の論理"は、選挙互助会をなくすと言ったら言い過ぎだろうか。しかし、重要な議論において賛成と反対が混在するということは、何のための政党なのか存在意義を疑ってしまう。北朝鮮問題が深刻化する中で、色分けを鮮明にした一連の動きは意味が大きいと筆者は考える。
ところで、排除したはいいが、今度は希望の党に「補完勢力ではないか」という批判が出始めた。補完勢力、結構なことではないか。
なぜ、そう思うかというと、今回の総選挙においては、防衛に議論の重きが置かれているものの、国の行く末を考える上での議論はそれだけではない。経済的な視点で論ずることも重要なのだ。
筆者はこれまで、経済政策を成長重視か分配重視か、はっきり分けて議論すべきと述べてきたが、民進党の事実上の解体だけで、経済的視点における色分けがなされたとは思えない。それは自民党内もそうだが、成長重視と分配重視いずれの立場が混在した状態が続いている。少子高齢化の進展により、経済のあり方を真剣に議論しなければならない現在、この状態は不幸と言えないだろうか。
これまでは、自民党内の"疑似政権交代"によって、成長と分配、どちらに力点を置くか、時々の状況に応じ方向性が示されてきたものの、防衛と同じで明確な選択肢があってしかるべきだと考える。ただ、現行の小選挙区制では、それはままならない。
防衛と経済、大きな対立軸が2つある中で、選択肢は「安保法案賛成、成長重視」、「安保法案賛成、分配重視」、「安保法案反対、成長重視」、「安保法案反対、分配重視」の4つ示されるべきだろう。現在のイメージとして「安保法案賛成、成長重視」、「安保法案反対、分配重視」の2つが、これまでの選挙でメニューとして提示されてきた感があるが、それでは多様性に対応できないのだ。
理想としては、いずれの対立軸が重視されるか局面ごとにおいて、4つの勢力が補完し合えばいい。これは選挙制度に関わらず、仮に、中選挙区になっても同じこと。補完勢力の存在というのは、政治の多様性を考える上では、大切と思えてならないのである。立憲民主党に共産党の補完勢力との見方が出ることも考えられるため、おそらく、保守、リベラル双方で「補完勢力がけしからん」という批判が繰り広げられそうだが、補完勢力の何が悪いと言いたい。
いずれにしても、民進党の事実上の解党によって、防衛における色分けがはっきりした。そして、経済政策を重視する身として、今度は、成長と分配の色分けがきちっとなされて欲しいと願うばかりである。