総選挙の争点は「『信』は誰にあるのか」。ゲーム理論が教える「信」の重要性

「信なき社会」で未来に明るい展望を描くことは、到底できません。
中妻 じょうた

まあ、絵心ゼロの私の絵ですのでご容赦を...。

何が言いたいかは、おわかりいただけるのではないかなぁと思います^^;

握手の後ろ手に、ナイフを隠し持っています。

握手の瞬間は、実は最高の「殺りどき」です。

しかし、相手も後ろ手を隠しています。

もしどちらかが裏切ったとき、最後の結果はどういうことになるか...。

現在、猫の目のように変わる政局において、私たちは何を基準に投票行動をとるべきか。

この総選挙で問われるのは、「信」です。

非常に情けない話ですが、今回の選挙では、個々の政策は争点にはなり得ません。

「信」がなければ「かけるゼロ」。

どれほどすばらしいことを言っても、かけるゼロで、答えはゼロです。

この総選挙の争点は、「『信』は誰にあるのか」。

この一点に絞られました。

各党の党首のみならず、各選挙区の候補者をよくチェックしていただいて、本当に信頼できる候補者に投票していただければと思います。

*

私たちの社会は「信」で成り立っています。

社会に「信」がなければ、すべてを法と契約と処罰によって縛らなければならなくなります。

これは、すさまじいコスト高とおそるべき非効率性、何より、深刻な精神の荒廃を生みます。

「信なき社会」で未来に明るい展望を描くことは、到底できません。

「信」とは、目に見えない心意気のことを言うわけではありません。

なぜ「信」が重要なのかは、「ゲーム理論」が教えてくれます。

代表的なゲーム理論のモデルが「囚人のジレンマ」と呼ばれるものです。

自分と相手が【信じる】カードと【裏切る】カードをそれぞれ持っている。

そして、これらを2人同時に出す。

その結果を見て、上記の表に従ってそれぞれ得点を得る。

これを繰り返して、どれだけ得点することができるか...という、単純なゲームです。

このゲームの肝は、

「何回繰り返すか」

「何人でプレーするか」

の2点です。

ゲームの参加者が2人だけで、回数が1回だけの場合。

これは、【裏切る】カードを出したほうが有効です。

自分が【信じる】カードを出した場合の得点は、2点または0点。この平均値は1点です。

自分が【裏切る】カードを出した場合の得点は、3点または1点。この平均値は2点です。

つまり平均値を考えれば、【裏切る】カードを出したほうがトクだと考えられるわけです。

しかし、ゲームの回数が1回だけではなく、延々と繰り返される。

さらに、ゲームの参加者が大勢いて、対戦相手を自由に選んでよいとする。

加えて、それぞれのプレイヤーが毎回ごとに【信じる】を出したか【裏切る】を出したかの履歴が残っていて、誰でも参照可能となっている。

このようなゲームルールになっていると、事情はまったく異なってきます。

【裏切る】カードを出した履歴が残っているプレイヤーは、また裏切るかもしれない。

そういう相手に対して、【信じる】カードを出すプレイヤーはまずいないでしょう。

対戦を極力避けるか、もし対戦せざるを得なくなったとしたら、【裏切る】しか出さないでしょう。

逆に、【信じる】しか出したことのないプレイヤーは、人気が出ます。

自分もきちんと【信じる】を出せば、確実に2点が取れるからです。

【裏切る】ありのプレイヤーは、最初こそ3点ゲットする機会もあるでしょうが、その履歴が積み重なるほど、1点しか取れなくなります。

【信じる】しか出さないプレイヤーは、確実に2点を積み重ねます。

回数が繰り返されるほど、また参加人数が多くなるほど、【信じる】のみのプレイヤーと【裏切る】ありのプレイヤーの差は開いていくのです。

さらに言えば、「プレイヤー全体の合計点」、いうなれば「社会全体の合計点」はさらに圧倒的な差がつきます。

裏切り者ばかりの社会と、信じ合う社会。

社会がずっと続いていくならば、どちらの社会が発展するか、答えは明らかです。

*

これは単純なモデルですが、重要な示唆を与えています。

つまり、

「どれくらい先のことまで考えているか」

「何人の人間を見ているか」

で、人の行動は変わってくるということです。

この総選挙に勝つことしか考えてないのか?

それとも、10年後、50年後、100年後の日本社会のことを考えているのか?

また、「お友達」や「悪だくみの相手」のことしか考えてないのか?

1億2千万人の国民のことを考えているのか?

皆様、ぜひよく候補者に問うて、しっかりお考えいただいて、何卒投票に行っていただきたいと思います。

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