人生に効果的な句読点。「禅」がもたらしてくれるもの

「生きるとは何か?」「存在とは何か?」「幸せとは何か?」質問されたとしたら、あなたは何と答えるだろう。

「生きるとは何か?」「存在とは何か?」「幸せとは何か?」

質問されたとしたら、あなたは何と答えるだろう。

人生のベースに横たわる大テーマでありながら、その根源的な問いに対する答えは、漠然としてなかなか明瞭にならない。

根源的な問いを抱くのと同時に、わたしたちは日々の生活のなかに大小の悩みや迷いもかかえこむ。心身を乱したり悩ませたりする心の働きを仏教で"煩悩"と呼ぶのだが、次々と沸き起こる煩悩とわたしたちとのせめぎ合いは、さながらロールプレイングゲームのようだ。

思想の解説書がAmazonのビジネス実用本ベストセラー1位をかざり、自己啓発や一般的にスピリチュアルと呼ばれるジャンル、今や大手企業の研修にも取り入れられるマインドフルネスや瞑想、一部のヨーガなどなど......心のあり方にアプローチするそれらのワークショップ・セミナーにも人気が集まっていると聞く。

誤解を恐れずに言うならば、それだけ多くの人々が、これまで自身が持っていた世界や自分への認識を変える "新しい視点"を求めていると言えないだろうか?

いくつもの経験を経て、わたしたちは"視点"の転換が"煩悩"の解消につながることを知っている。視点の転換をひとつの"テクニック"だと認識している人も、少なくはないだろう。

しかし、手持ちの視点だけではクリア出来ないような"煩悩"も、人生には出現してくる。"手ごわい煩悩"に出くわすたびに、わたしたちは新たな方法を求めて"視点探し"の旅に出るのだ。

◆「視点」をどこに探すのか

なるほど!と思えるような数々の"視点"に触れながらも、わたしたちの模索が続いてしまうのはなぜなのか。

昨年の寺社フェス【向源】で坐禅のワークショップを指導された野沢龍雲寺(臨済宗妙心寺派・大澤山龍雲寺)のご住職、細川晋輔さんはこんな風にお話しくださった。

細川住職:「人は、自分自身で答えを出さない限り、また似たような事象に悩まされることになるんです。他の人から教えられた解決方法だけでは、心の底から腑に落ちる"結着"には至らないからです」

問題が解消したように思えても、それが自身の"結着"とは限らない......。"結着"していないから、違うかたちで煩悩があらわれる。思わず自分のこれまでを振り返ってしまった。確かに、と思える出来事がいくつも思い浮かんでくる。

細川住職:「どれだけ心を鍛えても、ストレスや苦しみ自体はなくなりません。それを生の前提と捉えるのが、仏教の基本。けれども人は、ネガティブに感じた出来事を良いきっかけだったと捉えなおすことも出来ますよね。そんな視点を自身で見つけられたら、人生はもっと豊かで幸せなものになるはず」

起きている出来事を、どんな風に解釈するのか。思いが揺れ動いているからこそ、自分の外にヒントを探してしまう。しかしそれが"結着"に近づくことではないのだとしたら・・・。わたしたちの視点探しの旅は、童話『青い鳥』のチルチルミチルが青い鳥を探す姿に似ているのかもしれない。

◆心の柱に据える「中心」

「五重塔は柱を揺らして建物を守る。心も揺れていい。"中心"に戻る手段を持つことが大切」とお話される細川住職。

何があっても揺らがない心の原点として、細川住職がご自身の心に据えている"中心"とは、どんなものだろう。

細川住職:「わたしにとっての"中心"は、"生ききる"ことです。生まれたからには、必ず誰もが平等に、死を迎えるのですから。わたしの"中心"にあるのは、ひとつひとつのことに一生懸命生きること。日常の食事や出会い、もちろん遊びや休息も含めてです。皆さんにも、自分の心の柱は何か、ぜひ考えてみていただきたい」

感情が揺れて心の柱を見失いがちなときには、"中心に戻る手段"として、坐禅が有効だと細川住職はおっしゃる。

細川住職:「己事究明、自身の在りかたを究明していくことこそが、坐禅の目的ですから」

■すべてを手放してみる時間

【向源】では、いくつかの坐禅ワークショップが開催される。昨年わたしが体験したワークショップのひとつでは、心の中に"一つのこと"を置き、それを風船のように内側から膨らませることで"無心"を目指した。

細川住職:「坐禅における"無心"とは、何も考えていない状態を指すのではありません。"一つのこと"で心中が満たされた状態、つまり集中しきった心境を指すんです」

心に置いた風船が膨らんでも、風船の中身について考えを発展させることはしない。静けさの中、大きく膨らんだ風船は、とらわれていたはずの"想い"まで心の中から押し出していった。

細川住職:「昨日まであった会社での嫌なこと、ストレスや将来への不安。そして、それと同じくらいの、楽しかった思い出や素晴らしい成功体験、未来への希望。わたしも含めて人の心の中には、たくさんの"想い"が点在しますよね。坐禅では、それらを全て手放していく」

「嫌なことだけではなく、良いことも手放してみることに大きな意味があるんです。空腹のとき何を食べても美味しく感じられるように、とらわれやこだわりを離れた心は、出来事を新鮮に味わう視点を与えてくれる。目の前のひとつひとつに、ウグイスの初音を聞くような新鮮な感動をおぼえながら生きていけたら、どれだけ素敵でしょうか」

◆自分に合う坐禅を見つけよう

ひとくちに坐禅といえども、お題について考え続ける禅、呼吸を数え続ける禅、歩いて行う禅、横になって行う禅 etc.etc... 宗派によって様々なかたちがある。

野沢龍雲寺をはじめ、各地の禅宗寺院が坐禅会を開催しているが(英語の坐禅会もある)、いくつかの坐禅を試してみるのならば、宗派を超えて開催される寺社フェス【向源】のワークショップもおすすめだ。

細川住職:「法事やお葬式も大事ですが、お釈迦さまは葬儀や法事のために仏教を説かれたのではありません。悩み苦しむ人々が、少しでも幸せに生きられるようにと願ったがゆえに説かれたはず。仏教にはたくさんの"幸せに生きるためのヒント"が込められているんです」

「句読点の打ち方が文章の良し悪しを左右してしまうのと同じで、人生という文章も、句読点の打ち方が肝要です。禅を、人生に効果的な句読点を打つような機会にしてもらえたら」

遠い場所に行かなくとも、坐れば自分への旅は始まる。

次の"煩悩"があらわれる前に、坐禅にでかけてみたい。

知らなかった自分にも、出会うことができそうだ。

(大槻令奈)

【向源からのお知らせ】

本コラムは、日本最大級の寺社フェス!「向源」のスタッフより執筆されています。寺社フェス「向源」は、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントです。

■ボランティアスタッフ募集

向源は企業が主催し、イベント会社が運営する一般的なフェスとは違い、ボランティアで運営されているフェスです。普段なかなか触れる事の無い伝統文化を学びたい、体験したい、感じたいと思ってきてくださる来場者様と、伝えたい思いと伝統を携えたお坊さん、日本文化の伝統の後継者を繋げるのが私たち含めボランティアスタッフの仕事です。

そんな【向源】を成功させるため、一緒にお手伝いをしてくれるボランティアスタッフの募集にあたり、説明会を開催します。

◆日時:4月2日(土)16:00~

    4月9日(土)16:00~(いずれかの日にご参加ください)

◆場所:浅草神社

◇詳細はこちら!http://kohgen.org/staff

説明会参加できないという方、大丈夫です!その旨お知らせいただければ、個別でご相談させていただきます。