虐待事件に尾木ママ「保身のために共犯」 DV被害の母親への非難は真っ当?背景を医師に聞いた

生死の間際に立たされたとき、愛情や人との関わりを考えられるものなのか
写真はDVのイメージ画像です
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Kittisak Jirasittichai / EyeEm via Getty Images

千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん(10)が自宅浴室で死亡した事件。この事件では、暴力をふるった疑いのある父親の勇一郎容疑者(41)以外にも、父親の暴力を黙認したり同調したりした疑いで、千葉県警は共犯として母親のなぎさ容疑者(31)も傷害容疑で逮捕した。

一方で、県警は積極的な関与はなかったとみていると報じられた。一連の虐待行為を知っていたにもかかわらず、警察への通報や父親を制止するなどの対策を取らなかったことが共謀にあたるとしている。

母親の逮捕を機に、SNSなどでは「(父親を)殴り返しても子供を守るべきだった」「母親おかしい」「母親なら死んでも守るべき」などといった非難のコメントがあふれかえった。

これまで転居前に住んでいた沖縄県糸満市では、母親のなぎさ容疑者の親戚から「妻が夫から暴力を受けている。子ども(心愛さん)も恫喝されている」などとDV(ドメスティック・バイオレンス)について行政に相談があったことが分かっている。

こうした状況について教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんも2月4日のブログで「母親も父親から暴力受けていただけでなく 自分も娘守るどころか 虐待していたとは?」とし「なんという酷いこと!!」と怒りをあらわにした。

また、同日の別のブログ記事では「お母さん 父親への恐怖心・暴力から 保身の為に見るだけで止められず共犯になってしまったのでしょうか?」と苦言を呈した。

ただ、DVに遭っていても「母親なら守れたはず」といった指摘どおりに、人間は動くことができるのだろうか。

DVと虐待、これまでも繰り返されてきた

「子どもを守るのが親の責任」と責める声もある反面、こうした夫から妻へのDVと虐待死が絡む事件はこれまでにも枚挙にいとまがない。

有名な事件では、1997年11月、北海道釧路市で内縁の夫が当時3歳の次男に暴行を加えて虐待死させた事件だ。母親は釧路地裁判決では無罪だったものの、2000年3月の札幌高裁判決で「直ちに夫を制止する措置をとるべきであり、制止すれば容易に子どもを守れたのに放置」したことが、傷害致死のほう助になったとして執行猶予付きの有罪判決を受けている。

この事件でも、判決文などによると、この母親は内縁の夫の暴力に追い詰められて、自殺を図っていた。自殺未遂に夫が気がつくと、かみそりを取上げ、手拳や平手で被告人の顔面や肩を殴打するなどした。その際、何ら抵抗することなく暴行を受け入れ、ひたすら殴られるままになっていたという。

虐待を把握していたものの、転居先の目黒区で亡くなった船戸結愛ちゃん(5)の事件でも、転居前の香川県では、養父による実母へのDV疑惑があると関係機関は分析、担当者は両者に支配的な関係があると感じていた

暴力の支配下に置かれている人間はなぜ逃げだしたり、暴力に抵抗したりすることが難しいのだろうか。

「暴力の支配下」では正常な判断は不可能

性の問題や、依存症のプライマリーケアなどにも取り組むヘルスプロモーション推進センター代表であり、厚木市立病院泌尿器科の岩室紳也医師は、夫からのDVを受ける妻が、子どもの虐待を止めずに黙認する背景について、「夫に依存してしまう背景には、そのほかの依存先、つまり頼れる先がなくて孤立している状況がある。薬やお酒に依存してしまう人もそうだが、依存するものが限られていることが問題」と指摘する。

また、我が子に対し、虐待を黙認するメカニズムとして「子どもへの愛情があるから守れるとか、虐待を黙認するとは最低だという叱責や指摘は、こうした状況に置かれた人には、見当違いと言っていい」と話す。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した人間における5段階の「ニーズ」を段階的に示すと、最下層にあるのは生命を維持するために必要な「睡眠」や「食事」などだ。岩室さんは「日本では『欲求』と誤訳されているが、『~したい』という欲求ではなく『必要とすること』。最下層のニーズは生物として生死に関わる最低限必要なもの」と解説する。

Maslow's hierarchy of needs, a scalable vector illustration on white background
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Getty Commercial

その上に、衣や住など安全な環境に身を置くためのニーズが続く。ただ、DVや虐待を受けている人間は、安全に暮らせる場所がなく、さらには食事が取れなかったり、生命の危険と隣り合わせの状況に置かれたりする。

すると、それよりも上のニーズである、人とのつながりを求めたり愛情を形成したりといった気持ちを醸成することが難しくなる。殺される危険性があるほどの暴力の支配の恐ろしさは、そうした思考を奪うことにある。

なぜ黙認せざるを得ないのか。解決策は「依存先を一つだけでなくたくさん作ること」

岩室さんは、ライオンの群れ(プライド)における子殺しの構造を指摘する。

オスライオンが群れを乗っ取ると、最初に子殺しをする。それは子どもがいるとメスが発情しないためだが「メスは子どもを守れるかと言えば、子どもを守っても自分が殺されてしまう。他に所属先もなく、このプライドの中でしか生きていけないから、子どもが殺されても動物として生き残るために黙認せざるを得ない」という。

人間は、そうした動物とは学習ができるという点で一線を画しているが、岩室さんは「人間の学習は、経験であったり、集団にいて身に着いたりするもの。孤立して、その中でしか生きていけないと考えてしまうようになれば、逃げることは難しく、本能で身を守るために動いてしまう」と話す。

人が人らしく生き、虐待やDVから救い出す状況を作るためには「こうした孤立を許してしまう社会、または孤立を促進してしまう社会構造がDVに陥る背景になる。いかにコミュニケーションを取るか、仲間を作れるかが重要になってくる」という。

岩室さんは「結果のみを見て話すのではなく、問題の根底を考える必要がある。依存を促進する背景には、自己肯定感や居場所のなさ、周りとの関係性の希薄さにある。『自分とは関係ない』と隣の人を見ないのではなく、何かあった時に『隣の岩室さんに聞いてきて』なんて言える環境があるといい。それは依存やDVのほかにも、教育環境としても重要になる」と語る。

また「『自立とは、自分が頼れる依存先をたくさん持つこと』という熊谷晋一郎先生のことばがあります。依存先が一つしかなければそこに依存するしかなくなるが、依存できる先を増やすことができれば、こうした状況から抜け出すことができる」と話している。

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