「ドーハの悲劇」で日本のワールドカップ初出場を逃したサッカー選手は、29年後に同じ地で奇跡を成し遂げた。日本代表監督の森保一(もりやす・はじめ)さんのことだ。
11月23日のカタールW杯で、日本代表はドイツ代表に2-1の逆転勝利を収めた。試合会場のハリファ国際競技場は、カタールの首都ドーハにある。
森保監督が現役時代に「ドーハの悲劇」でW杯出場を逃したスタジアムと同じ都市だ。SNS上では、今回の快挙を「ドーハの奇跡」「ドーハの歓喜」と喜ぶ声であふれている。
■語り継がれる「ドーハの悲劇」とは?
1993年10月28日、アメリカW杯のアジア地区最終予選がドーハのアルアリ・スタジアムで開かれていた。日本は初戦でサウジアラビアに引き分け、2戦目でイランに敗れるも、北朝鮮、韓国に連勝していた。
この日のイラク戦に勝利すれば、悲願のW杯出場がかなうはずだった。試合は2対1でリードしたまま、後半ロスタイムに突入。誰もが日本の勝利を確信しつつあったそのとき、イラクが同点ゴールを決めて引き分けに終わる。
日本代表のワールドカップ初出場は幻となった。この日本サッカー史に残る敗北が、開催地の名前を取って「ドーハの悲劇」と言われ、語り継がれている。
この試合でボランチを務めていたのが、当時25歳の森保監督だった。サッカーキングに掲載された2005年当時のインタビューでは、次のように無念さを滲ませていた。
「あの時、カズさんがショートコーナーに対応したんです。でも、問題はたった1人で行ったこと。2人じゃないといけない。僕が行かないといけなかった。1人で行くのなら、僕が行くべきだった。カズさんは相手にプレスをかけたんだけどかわされ、縦に走られた。自分は出遅れていたから、何もできない。結局、僕の頭上にクロスを通された。失点。ゴール前に人数もいたのに、みんなボールを見てしまった」
■「あの経験があったからこそ、すべてをポジティブに考えられる」
あの瞬間のことを「自分は最後に気持ちが守りに入ってしまった」という悔しさを胸に秘め、2022年のワールドカップ開催で再びドーハの地に戻ってきた森保監督。
「ドーハの悲劇」について「あの経験があったからこそ、すべてをポジティブに考えられる」として、「選手たちにはアグレッシブに、挑む気持ちを持ってプレーしてほしい」と語っていたと11月23日に産経新聞が報じていた。