医師不足が言われて久しい。産科、小児科の不足は報道などでも大きく取り扱われている。外科や麻酔科不足も深刻な問題として認識されている。そんななか、あまり報道もされず、あまり顧みられない医師不足がある。病理医不足だ。
かつて私は「医療再生フォーラム」のなかで、病理医不足を題材にプレゼンテーションしたことがあるが、業界紙には私の発表が「会場に衝撃を与えた」と報じられた1)。そこまで病理医不足が知られていないのか、と私のほうが強い衝撃を受けた。
本稿では、病理医の不足の現状と、これが医療に与える影響について概説し、その対策を考えてみたい。
◆病理医とは何者か?
医学生や医療関係者なら病理学を基礎医学の一分野として学ぶだろう。病理学は基礎医学と臨床医学をつなぐ科目でもあり、医学生がはじめて病気を学ぶ機会でもある。
Wikipeidaによると、病理学とは「病気の原因、発生機序の解明や病気の診断を確定するのを目的とする、医学の一分野」とされている2)。この定義には、病気の病態解明のための研究も含まれており、病理医が基礎研究をしていると混同される原因にもなっている。
しかし、多くの病理医が行っているのは、研究ではなく病理診断だ。同じくWikipediaによると、病理診断とは、「人体から採取された材料について顕微鏡で観察し、病理学の知識や手法を用いて病変の有無や病変の種類について診断すること」とされる3)。病理診断でするべきことは、確定診断、断端切除の適格性の有無、腫瘍の広がりの確認などだ。これらは患者さんに的確な医療を受けていただくために必要な情報だ。病理診断とは、あくまで患者さんありきの行為なのだ。そして、こうした行為は医行為とされており、これを行うのが病理医だ。
病理医の仕事は、生検診断、手術で摘出された臓器、組織の診断、細胞診、迅速診断、剖検に分けられる。剖検を除けば、年々病理医が診断すべき検体の数は増えている。2005年と2012年の比較では、病理診断件数は1.7倍、術中迅速件数は3倍にも増えたという。4)乳癌や肺腺癌に代表されるように、分子の発現により効果的な治療法が確立されつつあり、腫瘍のタイプの確定といった新たな役割も担うようになってきているのも、検体数が増加している原因だ。これからますます病理医に対するニーズが高まることが予想される。
このように医療において重要な役割を果たす病理医だが、一般の方で病理医の存在を知っている人は限られている。普段患者さんの前に出ることはないからだろうか。病理外来が開設されている病院もあるが、まだ少数だ。このためか、病理医と名乗っても「料理医?」と聞き返されることは日常茶飯事だ。
◆深刻化する病理医不足
病理医の仕事は増加している。しかし、仕事量の増加に病理医の数が追い付いていない。2012年に行われた「医師・歯科医師・薬剤師調査」では、主に病理診断に従事する病理医は1605人。医師全体の0.6パーセントにすぎない。単純な数の比較はできないものの、不足していると言われる小児科医16340人、婦人科医10412人よりはるかに少ない。人口比に換算すると、アメリカの1/5程度しか病理医がいないことになる。
日本には病院が8,565あることを考えると、いかに病理医不在の病院が多いか分かる。実際、がん診療拠点病院の実に13パーセントに常勤病理医がいない(2009年の厚生労働省の調査)。
地域格差も大きい。同調査によれば、東京には1605名中261名の病理医がいるが、徳島県と佐賀県には5名しかいない。このほか、山梨県と福井県が8名、鳥取県が9名と、病理医が一桁しかいない県が5県もある。県内格差も大きく、兵庫県の病理専門医は姫路から尼崎までの瀬戸内海沿岸の病院に勤務している者が大半を占め、県内北部(但馬や丹波)、西部(西播磨)、淡路島などには常勤病理専門医がいない。他の診療科も概ね同様の傾向を示すが、病理医は極端な形で偏在があわらわれる。
こうした中、各病院が病理医確保に頭を悩ませている。やや古いデータだが、2008年に日本医師会が行った調査では、最低医師数必要倍率(医師の有効求人倍率)は病理診断科が3.77倍と、各診療科のなかで最も高かった5)。一人病理医が移籍すれば、玉突き的に病理不足が広がるという状況であり、ある大学では、病理部門の教授募集に応募者がいなかったという。出世したいなら病理へ、と言いたいくらいだが、それはさておき、病理医不足はかくも深刻だ。
◆一人病理医の苦境
地域がん診療連携拠点病院の指定要件に「専従の病理診断に携わる常勤の医師を1人以上配置すること」、「術中迅速病理診断が可能な体制を確保すること。なお、当該体制は遠隔病理診断でも可とする」とあり、また、地域がん診療病院の要件も「専任の病理診断に携わる医師を1人以上配置することが望ましい」とされている6)。このため、病理医の多く(30%程度と言われる7))が要件を最低限みたす、その病院に勤務する唯一の常勤病理医、いわゆる一人病理医となっている。
私も、兵庫県西部、西播磨の赤穂市にある赤穂市民病院で一人病理医の経験がある。播磨地区は上昌広先生の著書「日本の医療格差は9倍 医師不足の真実」 (光文社新書)などに書かれているとおり、厳しい医師不足にあえいでいる地区の一つだ。とくに西播磨は姫路や加古川などがある東播磨よりも更に厳しい状況に置かれており、同病院も医師や看護師がなかなか定着しない状況が長く続いてきた。がん診療連携拠点病院であったが、常勤病理医が不在の時期が長く、がん診療などに支障をきたしていた。こうしたなか、私に白羽の矢が立ったのだ。まだ病理専門医ではなかったため、神戸大学医学部附属病院病理診断科の全面支援のもと、2年間の約束で赤穂市民病院の常勤病理医となった。
赤穂は風光明媚で人も優しく、大変素晴らしい土地だった。牡蠣など食べ物も美味しく、ずっと住んでもいいなあと思った。とはいえ、一人病理医の勤務は決して楽なものではなかった。いつ起こるか分からない病理解剖のために、24時間、365日待機せざるを得ず、まとまった休日がとれない、学会や帰省など遠出が難しいといった悩みをかかえていた。また、勤務中に何度か急な発熱や体調不良に陥ったことがあったが、術中迅速診断を急遽とりやめることはできず、顕微鏡の横に寝袋を敷いて待機し、標本が来た時だけなんとか起き上がって診断したこともある。
私の経験などまだましなほうだ。大学の支援を得ることができず、全てをたった一人でこなさざるを得ない「真の」一人病理医は、更に過酷な状況におかれることになる。バックアップがないため、何かがあれば、その病院の、ひいてはその地区の診療体制が崩壊するからだ。スキルアップのための勉強に行くことも難しく、他の病理医からのチェックを受けることもできないため、次第に診断基準がスタンダードからずれていく病理医もいる。ケアレスミスも一人ではチェックしきれない。
全国各地で、医師としての使命感を拠り所にした一人病理医たちが、体調不良でも、あるいは私生活を犠牲にしてでも、必死で医療を支えている。もし、病院唯一の病理医が、事故や病気など突然何らかの原因で仕事ができなくなってしまえばどうなるか…現代の医療は、かくも危うい状態にあるのだ。
◆病理医不足が引き起こすこと
病理医不足がさらに加速すると、いったいどういうことが起こるだろう。
病理組織診断や細胞診の診断が出るまでの時間(ターンオーバータイム)が延長し、適切な医療ができなくなる。術中迅速診断も制限され、手術数が減少するか、あるいは術中迅速診断を行わない手術が増える。患者は適切な時期に適切な治療を受けることができなくなるだろう。
また、これから団塊の世代の高齢化を控え、多死時代を迎えようとしている。死因を究明し、治療や診断が適切であったかをチェックするなどの役割を果たす病理解剖の役割やますます増すだろう。また、新しい医療事故調査制度は、病理解剖(もしくはAi(死亡時画像診断))を行うことを要求している8)。しかし、病理医数が増えなければ、とてもこうした状況に対応できないだろう。海堂尊氏がいう「死因不明社会」がますます加速することになる。
また、病理医の仕事量の増大や、一人病理医の増加により、診断のばらつきがひどくなり、誤診が生じる可能性も高まる。病理診断は集中力を要する行為であり、疲弊した状態では精度の高い診断はできないのだ。
このまま無策を続ければ、病理医不足により日本の医療は重大な事態を迎えるだろう。しかし、このことに気がついている者はまだ少ない。
◆どうすればいいか
こうした状況に対し、病理医たちも手をこまねいているわけではない。日本病理学会は、夏のサマーセミナーやパンフレットなどを通して、病理診断の魅力をアピールしている。元病理医の作家海堂尊氏は、小説の中に病理医を登場させているし、北海道の病理医ヤンデル氏は、ツイッターなどを通じて活発に発言している。私も一般向けの本を書き、バラエティ番組に出演するなど、病理医のアピールに努めている。病理医が主人公の漫画(月刊アフタヌーン連載中の「フラジャイル」)も登場しており、病理医の認知度は多少高まったのかもしれない。
しかし、遅きに失した感もある。厚生労働省の調査では、2年間の臨床研修終了後、病理医になった者はわずか0.7パーセント(医師・歯科医師・薬剤師調査2012)。日医総研の調査では、医学生の病理医志望者はわずか0.2パーセントしかいない9)。必死のアピールにもかかわらず、たいして増えていないのだ。私も医学生たちに病理診断の魅力を伝え、病理医を一人でも多く増やしたいと思い、大学に移籍したが、いまだ新人を迎えることができていない。現在私は、43歳にして最年少病理医だ。
病理専門医の平均年齢は約52.4歳。今後5年以内に現在の病理専門医の約5 分の1 にあたる約400 名超が定年で保険医療機関の常勤職を離れる可能性があるという4)。病理医が独り立ちするまでに最低5年、可能なら10年はトレーニングを積む必要があるから、今から病理志望者を増やしても間に合わないかも知れない。また、現状の医師数のままで各科がアピール合戦をすれば、志望者の取り合いとなってしまう。病理医になる医師の割合が変わらないならば、医師の絶対数の増加も不可欠だ。
病理医を増やす以外の取り組みも行われている。病理標本を高解像度の画像データとしてコンピュータに取り込み、遠隔地からでも診断ができるネットワークが各地で誕生している。こうしたネットワーク網が充実すれば、病理医不在の病院や、一人病理医の病院でも、クオリティを落とすことなく、安定した精度で診断ができるようになるだろう。一人病理医のデメリットを解消するため、医療圏内で病理医を集約化するといった動きもある。
しかし、こうした対策も、既成概念にとらわれすぎているかもしれない。今病理診断にはイノベーションが必要だと言えるだろう。アメリカでは、人工知能の機械学習システムにより、病理を介さず精度の高い病理診断を行うことが可能になりつつあるという10)。海堂尊氏が提唱したAi(死亡時画像診断)や、病理診断の一部を行うことのできる「パソロジーアシスタント」なども含めて、病理医が病理診断を行う、という概念を超越した解決策が必要な時期に来ているといえるだろう。それは従来の病理医の仕事を奪うことにもつながるが、縄張り争いしている場合ではない。
◆皆さんにお願いしたいこと
病理医不足の問題は、病理医だけで解決することはできない。また、病理医だけが問題を考えると、現在の仕事の形態を維持することに固執するかもしれない。だからこそ、病理診断、病理医をめぐる状況を、ぜひ多くの人たちに知ってもらい、一人ひとりが関心を持ち、それぞれの立場で声をあげて行動してほしい。この問題はどんな人も無縁ではいられない問題なのだ。
それは他科の医師も例外ではない。「病理医は当直もしないから楽でいいよね」、「病理医って剖検しかしなくていいんだよね」、果てには「病理って医者がやるものなの?」といった臨床医の無神経な発言は、病理医を苦しめている。また、病理部門は不採算部門であるという誤った認識もいまだ根強く、病院内で立場が弱い病理医も少なくない。
逆に病理医が臨床医の立場や抱える問題や悩みを知らないこともあるだろう。だからこそ、お互いコミュニケーションを密にしていくことが必要だと思う。そして、医師、医療関係者、病院関係者、患者、地域住民、行政などが立場をこえて、既得権益をこえて、より良い医療のための対話を行い、行動していくことが何より求められている。病理医不足を解決することは、日本の医療がかかえる矛盾を解決することにもつながる試金石だと言えるだろう。
1)Japan medicine 2010年10月1日号
4)一般社団法人日本病理学会 国民のためのよりよい病理診断に向けた行動指針2015
5)医師確保のための実態調査 定例記者会見 2008年12月3日 社団法人 日本医師会
6)「がん診療連携拠点病院等の整備について」(厚生労働省健康局長通知)(平成26年1月10日)
7)病理医の現状調査とバーチャルスライドによるコンサルテーションネットワークの構築 豊田 祐一、江田 英雄 日本プライマリ・ケア連合学会誌 Vol. 37 (2014) No. 3 p. 244-248
8)厚生労働省令第百号
9)日医総研 日医総研ワーキングペーパー No.337
医学生のキャリア意識に関する調査 坂口一樹
(2015年7月13日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)