「女装して逮捕されたことも」軍事政権を生き抜いた“異性装”のディーバ、その美しき人生。

映画『ディヴァイン・ディーバ』の出演者が語ったこと

1960年代のブラジル、軍事独裁政権下でドラァグクイーン(クロスドレッサー:異性装)としてパフォーマンスを続けたディーバたちがいた。

UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017

彼女たちが、デビュー50周年を記念してショーを開催。9月1日からヒューマントラストシネマ渋谷他で公開されるブラジル映画『ディヴァイン・ディーバ』は、その姿を追ったドキュメンタリーだ。

年を重ね、すでに老齢の域に達したディーバたち。しかし、リハーサルに挑む彼女たちは明るくパワフルで、その顔に刻まれたしわも美しく見える。

そして、息苦しい軍事独裁政権時代をマイノリティとして生き抜いた彼女たちの話は、観る者の心に重く響く。

公開を前に来日した出演者の一人、ディヴィーナ・ヴァレリアさんは、ヨーロッパに渡りエンターテインメントの世界で成功。歌手としてアルバムを発表し、映画にも出演するなどの活躍している。

ヴァレリアさんに、パフォーマーとしての波瀾万丈の人生を聞いた。

Kaori Sasagawa

※映画に登場する8人のディーバのセクシュアリティが多様なので、本記事ではクロスドレッサー(異性装)と表記することにする。

軍事独裁政権を生き抜いたセクシュアル・マイノリティ

−−映画を観て、圧政下で力強く生きた皆さんの言葉に感銘を受けました。多くのセクシュアル・マイノリティが勇気付けられると思います。女装をしているだけで逮捕されることもあったという話がありましたが、厳しい状況下でクロスドレッサーとしてショーをお続けになられたのはなぜでしょう?

私たちはショーをしていたこともあり、自分のアイデンティティを隠すことはせず、そのため圧政の矢面に立つことになりました。ショーウィンドウに立っているようなものですから風当たりも強かったですね。

もちろん隠れている人たちもいたでしょう。私は自分の理想を追い求めていました。なにがあっても諦めるつもりはまったくなかったのです。

ありのままの自分であることを諦めず、何よりもアーティストであり続けることを、誰が何と言おうと、何があろうと、これだけは絶対に諦めない、という姿勢で続けてきました。

−−軍事政権下の暮らしで一番つらかったのはどのようなことですか?

そうですねえ......。よく、大変だったでしょうと聞かれるのですが、私自身はそんなに大変だったと思っていないのです。

たしかに私は女装をしていて逮捕されたこともある。でも一晩、牢屋に入れられるだけで翌朝には解放されます。そして、また翌日も女装して、また捕まって、というような日々でした。

私たちは政治活動をしていたわけではないので政治犯に対するような弾圧はありませんでした。ひどい暴力を受けたり、長期間拘留されたりということもなかったのです。

拘留中に警官とふざけたやりとりをすることもありました。一晩、拘留されて釈放されると、家に帰る前に、私たちの仲間が集まる広場に行ったものでした。仲間にこんなことがあったと報告して笑い話にしたのです。大変な状況を大変と思わずに楽しむようにしていました。

パリのナイトクラブで経験したショーの黄金時代

Kaori Sasagawa

−−ヴァレリアさんはヨーロッパに渡って成功されています。当時、ブラジルのアーティストの中にはパリに亡命する人もいましたが、ヴァレリアさんは政治的な理由ではないのですね。

私の場合は政治的な理由ではありません。ブラジルでショーをしていて「ヨーロッパに行けばきっと成功する」と勧められていたのです。

渡欧の直接のきっかけとなったのは、失恋でした。あるウルグアイの男性と2年間に渡る大恋愛をしたのち破局したのです。

彼には一生のうちで最も深い愛情を抱いていました。その失恋の痛手から立ち直るために遠くへ行こう、そしてこれからはひたすら自分のキャリアに打ち込もうと思ったのです。

−−ヨーロッパの印象はいかがでしたか?

セクシュアル・マイノリティの暮らしやすさという点で、ブラジルのはるか先を行っていました。当時のクロスドレッサーのショーの世界的な中心地といえるのがフランスの「カルーセル・ド・パリ」というナイトクラブだったのです。

私はそこに所属し、世界中をツアーで周ることができました。1970年代当時のショーは、今とはレベルが違う豪華さでした。そういうゴールデン・イヤーを経験できたのは、本当に幸せなことだったと思います。

−−その頃、ツアーで日本にもいらっしゃっていますね。

1971年に日本に来て、東京では赤坂の「ニュー・ラテン・クォーター」で興行をしました。当時の東京もパリに負けず劣らず華やかなナイトクラブがたくさんあり、ショーも豪華でした。

みなさんにとても喜んでいただいて、大成功のうちのツアーを終えたのです。とても素晴らしいショーの世界がありました。

日本のことで印象に残っていることがあります。(千代田区)三番町にあった宿泊先のホテルからタクシーで赤坂に向かう途中、ある通りで大勢のクロスドレッサーが立っていたのです。

おそらく売春をしていたのだと思います。ツアーメンバーと「自分たちと同じような人がいる」と言い合ったのを覚えています。

いつでも自分らしくあることこそ素晴らしい

UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017

−−ブラジルでは2013年から同性婚が可能になり、サンパウロでは毎年、世界最大規模のプライド・パレードが開催されます。一方で、多くのセクシュアル・マイノリティがヘイトクライムの被害に遭うこともあります。日本でもLGBTQについての周知は進みつつあるものの、杉田水脈議員がLGBTQには「生産性」がないと差別発言をするなど反動もあります。こういった時代の変化についてどう思われますか?

たしかにセクシュアル・マイノリティにヘイトが向けられることがあるのは事実です。しかし、今やブラジルではクロスドレッサーが、国や公的機関から実績を評価され勲章を授与されるようになっています。

先日も映画に登場するディーバの1人、ジャネ・ディ・カストロが賞をもらいました。昔では考えられなかったことです。数十年前に比べてセクシュアル・マイノリティが受け入れられつつあることは確かだと思います。

−−映画の中でヴァレリアさんが「マイ・ウェイ」を歌うとても感動的なシーンがあります。その歌詞に出てくる「今まで思った通りに生きてきた」という言葉は、今のヴァレリアさんのお気持ちと同じなのでしょうか。

まさにその通りです。

もし私が、社会が求める、あるいは押し付けてくる枠にはまって生きていたら不幸になっていたと思います。私は自分のやり方で、自分の道を歩んできました。だから私は幸せです。

(取材・文 宇田川しい 編集:笹川かおり)