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年間8000件以上の負傷事故が発生し、重傷事故も相次ぐ組体操。「安全なのか危険なのか」、「実施か中止か」の二者択一の議論ではなく、これから先に議論すべき論点について、名古屋大学准教授の内田良氏、首都大学東京教授の木村草太氏と共に考える。2016年04月01日放送TBSラジオ荻上チキ・Session-22「ココが変だよ日本の学校/第二弾・危険性が認知されはじめた組体操 この先、必要な議論とは?」より抄録。(構成/大谷佳名)
■ 荻上チキ・Session22とは
TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/
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組体操の事故率
荻上 今日のゲストをご紹介します。これまで組体操のリスクを指摘し続けてきた、学校リスク研究所主宰の名古屋大学准教授・内田良さんです。
内田 よろしくお願いします。
荻上 そして、学校での憲法問題にも関心を寄せる、首都大学東京教授の木村草太さんです。よろしくお願いします。
木村 よろしくお願いします。
荻上 内田さんがこの問題に注目され始めたのはいつごろからですか?
内田 2014年5月です。Twitterで何人かに方から組体操が危険だという連絡が来て、関心を持ち始めました。
そして、日本スポーツ振興センターが公表する、学校管理下におけるさまざまな事故のデータから独自に分析し、実際に組体操で多くの事故が起きていることを明らかにしました。
荻上 スポーツ振興センターのデータとはどのようなものだったのですか?
内田 たとえば体育の時間に骨折が何件ありました、図工の時間に怪我が何件ありましたとか、ただ数字が並んでいるだけです。4年ほど前から、組体操という項目も作られました。おそらく事故ケースが増えたからだと思います。この調査自体は随分前から行われています。というのも、保険業務を行っているからです。学校で骨折や怪我をした場合には、治療費がセンターの方から各家庭に戻ってきます。
荻上 組体操の問題を指摘しはじめて反響はいかがですか?
内田 マスコミのみなさんが啓発を続けてくださったおかげで、だいぶ居心地はよくなってきました(笑)。最初は批判ばかりで、教員の友達から「みんな内田の悪口を言っているよ」と聞かされることもありました。
荻上 組体操で年間8000件以上の事故が起きています。それだけ怪我をしている子どもがいるというのは大変な問題ですよね。
内田 はい。小学校では跳び箱やバスケに次いで怪我が多いです。しかも、組体操は学習指導要領に書かれていないので、わざわざ実施する必要もありません。
荻上 地域差もあるのでしょうか。
内田 関西や九州で、わりと巨大な組み方が多い気がします。ちなみに、そもそも組体操を実施していない学校や自治体も多くあります。組体操を行わない学校もあるなかで事故件数が非常に多いというのは、事故が起こる確率を考えるとかなり危険だと考えられます。
荻上 また、組体操をするのは小学校では5、6年生の児童だけだったりしますよね。
内田 そうです。跳び箱など他のスポーツはいろいろな学年でやっていて、組体操はそれよりも少ないのに事故件数は3番目にきているわけです。その意味でも、組体操の事故率は高いと推測されます。
木村 重たい事故の数も多いわけですよね。
内田 はい。高いところから落ちる、あるいは下敷きになるといった重大事故がたくさん起きています。
荻上 タワーやピラミッドを組むときに先生が横で補助しているから安全だという意見もあるようですが、下敷きになる子は助けられないですよね。
内田 その通りで、タワーもピラミッドもしばしば内側に崩れます。しかし、保護者の方が学校に問い合わせても、「去年より補助の先生を増やしました」と言われてしまう。保護者の方も詳しいことは分かりませんから、それなら仕方ないかなと引き下がるわけです。巨大組体操に対する批判が高まってきたにもかかわらず、学校は「安全だ」として巨大なものを続けてきました。だから文科省や自治体が上から動かざるを得なくなったのです。
「昔は怪我しなかった」?
荻上 リスナーから、こんなメールがきています。
「私が住む市でも組体操の三段タワーでの事故が多発し、市民が集まっているSNSのコミュニティーでも話題になりました。コミュニティーでは意外にも組体操中止に対する反発が多く、『昔はこんなので怪我をしなかった』、『中止する方向にだけ話を進めるのではなく、子どもたちの体力の問題を改善して、組体操を継続させる方向でも検討すべき』という意見がありました。」
「昔はこんな事故はなかった」という反発、これについていかがですか?
内田 そもそも、この10年でピラミッドやタワーを中心に組体操が巨大化してきたという背景があります。ピラミッドでいうと、最高で中学校だと10段、高校で11段、小学校でも9段で、小学校の場合、一番流行っているのは6、7段です。巨大化、あるいは低年齢化という点を踏まえなければいけません。もちろん、昔の組体操も危険なものはありました。今と昔の組み方って結構違っていて、昔は俵型といって四つん這いの上に重なっていく、おにぎりのような形が主流でした。それで4、5段を組んでいました。
荻上 私のころはそれでした。
内田 一方で今は、四つん這いになった子の後ろにまず立って、前の人の背中に手をのせる形で、単に上に高くなるだけでなくて後ろに大きくなっていく。より立体的に、本物のピラミッドに近い形になっています。
荻上 なるほど。さきほどのお話ですと、そもそも昔の組体操の事故のデータはないということでしたので、比較しようがないはずですよね。本当に「昔は怪我しなかった」と言えるのでしょうか。
内田 データについてはスポーツ振興センターが過去に集計した個別表をちゃんと残しておけば遡ることが可能ですが、僕たちが独自に調べることはできないです。ただ、過去がどうであっても今の時点で十分事故が起きていますので、過去のことを抜きにしても安全対策は必要です。
荻上 増えていようが減っていようが、怪我をした子にとってはただの痛みですからね。
内田 そうです。また、もう一つ「子ども体力の低下が問題だ」という議論もありますが、仮に低下しているのであればそれに合わせた競技をやるべきです。事故が多発しているのに、「体力の低下」と子どものせいにして問題に蓋をするのはよくないと思います。
荻上 子どもの体力に合わせてプログラムを変えるのではなくて、なんとしてもプログラムを実行するために体力をつけてもらおうというのは、子どもより組体操が大事だと言っているように聞こえますね。
木村 今のメールでもそうですが、組体操の危険性について指摘した場合に、こうすれば安全だという反論はされていない。「昔からやっているから」とか「感動するから」とか別のことを言い出して、危険を無視しようとするものが非常に多いです。安全にやる方法について議論されることは少ないですよね。
荻上 そうですね。メールには続きがありまして、「昔、上半身裸でやらされたのが恥ずかしかった」という意見も出たそうです。裸だとより怪我をしやすい状態になってしまいますよね。
内田 怪我の問題を抜きにしても、裸になるのはやめてもらいたいですね。
荻上 別の方からもこんなメールが届いています。
「中学生のとき上半身裸で組体操をやりました。私は下から二段目だったのですが、下になった生徒の背中が汗でかなり滑りやすく、何度やっても崩れてしまい、上級生から辛辣なブーイングを受けました。結局、先生からもダメ出しされてしまい、他の人に代わるように言われ、私は一段上になることで事なきを得ました。そもそもなぜ裸でやらなくてはいけないのか、最後まで疑問でした。ちゃんと体操着を着ていれば他人の汗だくの背中の上で耐える必要もなかったのに......。」
内田 そもそもなぜ裸なのかという点が大事ですよね。実は体操服を着ることによるリスクもあります。体操服の襟元に足がひっかかったり、落ちるときに他の人の服をつかんで一緒に崩れてしまったり。でも、本来ならば体操服を着て安全にやるにはどうすれば良いかを考えなくてはいけませんよね。なのに、まず裸が前提になってしまっている。
荻上 「裸でやるのが伝統だから」とか、合理的な説明がないままに対応がなされてきたケースも多いでしょうね。
なぜ「ピラミッド」や「タワー」にこだわるのか
荻上 つづけて、二通目のメールです。
「千葉県内の幾つかの自治体で組体操が中止になりましたが、私が住んでいる地域の公立学校が組体操についてどのような対応をとろうとしているのか、市のホームページを見ても分かりません。組体操だけでなく他のスポーツでも重大事故が起きているようなので、体育科目全般においてどのような指導が適切なのか議論が必要と感じます。」
内田 最近、文科省や自治体が状況の改善に動いているという報道が増えました。でも具体的に動いている自治体は、一握りだけです。ほとんどの自治体が動いていません。ということは、各学校に教育委員会から通知が来るわけでもなく、学校現場に安全意識がない場合は例年通りのことを続けることになります。もちろん、独自の安全対策を行っている学校もありますが。
荻上 そもそも、なぜ組体操でなければいけないのでしょうか。協調性を育むことが目的なのであれば、僕はダンスやよさこい、演武などでも良いと思います。組体操の中でも一段の扇型など、より安全なものもあると思うのですが、なぜそれがダメなのか説明が出てこないですよね。
内田 どうしても巨大なものにこだわっている人が多いんですね。そんな中で今ようやく、他の種目に変える、あるいは低い段数のものを丁寧に組むという議論が出てきたところです。低い段数のものでもいい加減にやれば怪我が起きます。低い段数でも事故が多いことは文科省が出した通知文のデータでも示されています。
つまり、今まではおそらく巨大なものを目指して低い段数のものはササッと済まそうとしていたので、事故が起きていたのだと考えられます。でも今後は低いものを目標にして、一つ一つ時間をかけて丁寧に安全指導をしていく。いかに安全を最優先にして組体操をやるか、あるいは他の競技に変えるかということがいま最も重要な議論となっています。
荻上 なるほど。手間をしっかりかけていくことが必要になるわけですね。先生方にとってはダンスやよさこいは指導に手間がかかる印象がある一方、組体操の指導は楽そうな印象もあるかと思います。
内田 そうですね。ただ組体操って、たとえ低い段数のものでも体のどの部分に負荷がかかるかで全然痛みが違うんです。僕も最近はじめて体験したのですが、二段の組体操で四つん這いになった上に人が乗るとして、腰や腕の付け根など、軸になっているところに負荷がかかるとそれほど痛くないですが、軸のない背中の部分に乗られるとすごく痛いんです。たった二段でも、痛さを含めてきちんと指導していくことで安全は改善されますし、そこで学ぶことは非常に多いです。
荻上 安全指導と必ずセットでなければいけないことは確認しておきたいですね。
内田氏
専門性のない指導のもとに
荻上 木村さんは過去の判例の中から組体操の事例を調べていらっしゃるということですが、組体操をめぐってはどのような裁判が行われてきたのでしょうか。
木村 組体操による事故は、学校事故の一種です。学校側は、大切な児童・生徒を預かっているのですから、彼らの安全に配慮すべき義務、「安全配慮義務」を負っています。学校での活動によって怪我をした、あるいは怪我の障害が残ってしまったという場合には、学校側が十分に安全に配慮しなかったのではないか、と責任が問われることになります。組体操による事故についても、安全配慮義務違反を主張して、損害賠償を請求する訴訟になります。
判例に共通して指摘されているのは、怪我が起きないような対策をきちんととっていたのかということです。組体操をする場合に、安全配慮義務を果たしたといえるためには、たとえば土台がぐらついたとき倒れないように掴まる何かが必要です。当たり前だと思うのですが、2メートルの高さのぐらつく土台に乗れと言われたら、手すりがないと嫌ですよね。でも組体操では手すりがない。では、どこに掴まるように準備していたのかと裁判所は問うているのですが、中には「首に掴まれと指導していた」と学校側が反論するケースもありました。
荻上 首に掴まると下の子を殺すことになりますよね。
木村 下の子にさっとしがみつけと指導するようですが、そんなことで十分に安全が確保されているとは言えません。安全配慮義務を果たすためには、足場を作らなければピラミッドを組めない、という結論になるかと思いますが、安全のことを本気で考えるなら当たり前ですよね。バスケットやサッカーなどの競技では、2メートルの高さから落ちることはまず考えられませんが、組体操では平気で起こります。それほどリスクのある競技なので、当然、校長や教育委員会がきちんと対策をとらなければ、安全配慮義務違反とされ、数百万円単位の賠償を請求されることもありえます。
荻上 訴えることができるのは怪我をした本人とその保護者でしょうか。
木村 一般的にはそうですが、理論的には差し止め訴訟もできると思います。このやり方は危険だからやらないでくれと、仮処分などさまざまな方法で簡易裁判所あるいは地方裁判所に訴えることは可能です。
もう一つ、判例を読んでいて気がついたことは、タワーやピラミッドなど高層化したものに注目が集まっていますが、低い段数のものでも大きな怪我人が出ています。たとえば、人の上に立って逆立ちしてくる人の足を掴むという組体操で倒れてしまい、女の子が前歯を全部折ってしまったという事故が起きています。組体操は、ピラミッドやタワーでなければ安全というものではありません。肩車をするだけでも相当危険です。
その判例が認定した事実関係によると、指導をした先生は、組体操の教則本を読んで、安易に異なる技を組み合わせたものをやらせてしまった。つまり、逆立ちしてくる子の足を受け止めるという技と、人の背中に乗って扇のように広がるという技を組み合わせて、人の背中の上に乗って逆立ちを受け止めるという技を考えてしまったと。ところが組み合わせたものはそれぞれの技よりもはるかに危険なものになっていて、そのことに先生が十分に気づけなかったと指摘されています。
荻上 それは雑技団の人がやっているやつですよね。
木村 この話から分かるのは、現場の先生の一人一人が組体操を安全に指導する技術や見識を持っているわけではないということです。組体操の議論をするときは伝統だなんだと言う前に、なぜそのやり方が安全だと言えるのかを問うていくべきだと思います。
荻上 部活動の議論でも同じことが言えますね。日本の部活動はなぜか義務扱いされる傾向が強いですが、指導する先生は嫌々ながら顧問になっているケースも多いですよね。組体操でも担任だから仕方なく指導している場合も多いと思います。スポーツが苦手な先生もたくさんいらっしゃるので、この構造そのものに問題がある気がしますよね。
内田 先生が素人であるのは悪いことではないのですが、市販されている本で、組体操の指導書ってたくさん出ているんですね。楽しそうな本が。その本を買ってきて、これならできるなと思ってやってしまうわけです。実際にこれまで出版されてきた本が安全のためにページを割いているかというと全然違います。さまざまな技を紹介していって、最後には巨大な技が待っているというものです。
何も専門性がない上に、そういったマニュアルを見て安易に巨大なものをやらせてしまう。低い段数のものなんて本当にサラっとやってしまって、そこでまた事故が起きるということが続いてきたわけです。ですから、先生の専門性という点も考えなければいけません。
国の主導するガイドラインを
荻上 これまで組体操について議論されてきましたが、今ようやく国や自治体が動こうとしています。なぜこのタイミングで動き出しているのでしょうか。
内田 やはり、教育委員会や文科省などの教育行政が学習指導要領に記載もない、運動会の一種目にすぎない組体操に対して口を出していたら、体操服の色を決めるようなもので、そんなことに口を出して良いのかという問題があります。ですから、本当は現場の判断で安全な方向に変えていかなければいけませんでした。
しかし2014年5月に僕が巨大組体操を批判する記事を書いて、教育界ではそれなりにこの問題が知られるようになり、さらにときには保護者からの批判もあるにも関わらず、学校はそれでも巨大な組体操を続けてきました。いよいよこれは体操服の色の問題とは違って子どもの安全が関わっている問題だと、教育行政が痺れを切らして安全最優先を打ち出してきたのだと思います。
木村 文科省が組体操について指示することは、権限上は可能だと思います。教育の細かい内容を指導しているわけではなくて、子どもたちの安全面を見ているわけです。安全であれば組体操でもなんでも学校の自治でやって良いのですが、学校の安全を管理する責任は文科省にもあるはずです。
荻上 地方や学校それぞれの自治は当然あるわけですが、自治だけではなかなか改善しない議論もありますよね。体罰はやめなさいと文科省がいうのと同じように、実際に人権を侵害するようなケースが起きてしまっている場合には、国が主導して動くことも仕方がないことになるわけですか。
内田 私もそう考えています。体罰に関して文科省は積極的に動きました。ガイドラインではかなり細かいところまで、これは体罰に当たる、これは当たらないと例示しています。そこまで踏み込んでいるので、組体操に関しても細かい指示をしてほしいです。
荻上 3月25日、文部科学省が全国の学校に対し「タワーやピラミッドなどの大きな事故につながる可能性がある技について、確実に安全な状態で実施できるかを確認し、できないと判断される場合は実施を見合わせること」という通知を出しました。この通知を出した日に行われた馳文部科学大臣の会見の一部をお聞きください。
「各学校において児童生徒の安全を確保するため、必要な措置を講ずることが求められているところであります。とくに組体操については年間8000件を超える負傷者が発生し、社会的な関心を集めているところであり、事故防止に向けた措置をしっかりと講じていただく必要があると考えています。このため、文科省としては本日、各都道府県教育委員会に対し、組体操などによる事故防止の徹底を求める文書を発出したところであります。
一律に禁止をというものではもちろんありませんが、十分な配慮のもとに行われるべきです。組体操は一人ではできません。したがって、クラスなど一定の集団において協力しあうことを教育効果として求めていると思われます。同時に、ピラミッドなどの場合には、土台になる人には筋力が必要ですし、上に乗る人にはバランス感覚が必要です。万が一のために支える人にとっては注意力が必要であります。
こういった全体の調和も、相手のことを思いやるために自分を犠牲にする、そういう教育的効果もあると思われます。その上で、こういった教育効果を発揮するために運動会の種目とするということについては非常に高い教育的価値は求められると高く評価したいと思っています。
が、実態は先輩らに申し上げている通り、年間8000件を超える事故の報告があり、2000件を超える骨折という報告があり、その中には頚椎とか、肘や膝や腰、重大なお子さんの日常生活にも差し障るような事案も見受けられます。したがって、安全、確実ということは重要なキーワードだと思っています。より一層の緊張感をもって取り組んでいただかないと、子どもたちに対してもそうですが、安心して預けていただいている保護者に対して、万が一のことが起きたときにあなた自身はどう責任をとれるのですかと私は申し上げたいと思います。」
木村さん、この会見の印象はいかがでしょうか。
木村 全体を通して非常に抽象的という印象を受けました。馳大臣の言葉を要約すると「安全に組体操をやらなければいけない」ということですが、別に危険なことをしようと思ってやっている学校は一校もありませんよね。指導をするなら、ピラミッドやタワーを作るときにどのような補助を付ければ安全にできて、どのようなことが危険と認定されるのか、より具体的に指摘しなければ現場は変わりません。
内田 それは非常に大事ですね。これまで安全だと言い張って巨大な組体操をやってきた学校が、今回の通知を受けて、「教育的意義も馳大臣が言っていたことと合っているし、安全にも配慮している」と言って開き直るのは怖いなと思います。だからこそ、より具体的な議論が必要です。一段の扇型でもいかに安全にできるよう指導するか。低い段数の技でも丁寧にやれば、バランス感覚や協調性など勉強できることはたくさんあります。
荻上 なるほど。さきほどの馳さんの議論の仕方は、半分はバランスをとるために配慮した発言だったと思います。というのも、文部科学省の中でも副大臣をはじめ組体操擁護派は結構います。そうした人たちに対して、「あなたたちのおっしゃっていることは分かりますよ」と。でも、万が一のことがあったときに責任がとれるのかということは問わなくてはいけないので、「現場にはより注意をしてもらいましょう」という言い方になった。
結果としては玉虫色の発言になっているので、現場の人たちに「事故を起こさない範囲でよろしくね」と丸投げしている格好になってしまっているのが苦しいところかなという気がします。たとえば、具体的なガイドラインを国が主導して作り、それを現場と一緒に更新していきましょうという呼びかけだったら、それはそれで筋が通ったやり方だと思いますが。
木村 組体操に意義があるかどうかと、組体操を安全に実施できるかは、はっきりと分けて議論しなければなりません。まず安全にできるかどうかをしっかりと判断しなければならない。安全にできないのであれば、それは安全配慮義務違反になるのですから、組体操にどれだけ意義があろうと、やってはいけないわけです。同じ次元で語ってはいけないことを並べてしまって、優先しなければならない価値を相対化してしまっている。これが一番の問題だと思います。
荻上 なかにはリスクがあるからこそ意義があるとおっしゃる方もいますよね。
木村 それは何の効果があるのでしょうか。20面のサイコロで「1」が出たら死ぬとして、そのサイコロをあなたは振るのかという話です。
安全最優先で体育的な意義は生まれる
荻上 こんな意見も届いています。
「私は長年、学校の行事にボランティアとして参加してきました。私が一番違和感を持つことは、組体操は危険だとして一律に排除しようとする動きです。私個人は組体操という競技が大好きです。運動会の花の一つであり、練習から見てきたこともあり、成功した際にはこれまで幾度となく感動・感銘してきました。だから組体操を一律に排除する方向に議論を導くのではなく、どれだけの人数や体格の子供がいればピラミッドやタワーが成りたつのかという冷静な分析、対策をまずは行い、それにそぐわない場合は学校の判断で中止にすればよいのだと思います。」
木村 この指摘が非常に自分勝手なのは、やはり崩れたときにどうすれば良いのかを書いていない。安全配慮義務の判断では、体格を検討したくらいでは、義務を果たしたとは認められない。崩れたときに掴まる手段を用意していなければならないと裁判所は言っているのですから、そんなことができるのか、これがピラミッドやタワーの最大の論点です。
木村氏
荻上 この方は練習から見てきたということもあり、観客側のスタンスとしてのコメントになるのでしょうね。ただ一方で、どうすればより安全なのかという中身の話をするのも重要だと思われます。
今日はたくさんメールを頂いていますので、一つ一つ紹介していきます。
「痩せている私は、組体操のピラミッドやタワーは決まって上の方に割り当てられていました。よく上の方の人は楽だなんて言われますが、『早くしろ!』、『痛い!』という叫び声に似た声を出す土台の人たちの体の上を、不安定で落ちそうになりながら登るのは本当に苦痛でした。」
上の人は転落、下の人は押しつぶされるという危険がそれぞれある。また下の人はずっと地面と向き合ってプルプル震えながら耐えていなければいけないし、上の人は下から「苦しいよ〜」という呻き声が聞こえる中、地獄を登りつめていくようなイメージで、それぞれの苦痛があるわけですね。
続いて、こちらは組体操の指導をされていたという方から。
「今は特別支援学級に勤務しているので組体操とは無縁ですが、以前は小学校に勤めており、5年前から3年連続で指導していました。内田先生のホームページを見て、今は本当に怪我人が出なくてよかったと思っています。教員としては毎年同じとはいかないので、本屋で関連本や教育誌、YouTubeで見ることのできる大阪の学校の組体操映像を参考に指導していました。すみません。専門性はなかったと思います。娘が通っている学校ではタワーなどはない組体操とソーラン節の組み合わせ、それはそれで見栄えの良いものでした。もし小学校に戻ることがあったら組体操はしたくないです。」
木村 素晴らしいですね。先生方にとって、学校で行われていることは自分たちがやってきたことなので、どんなに危険性や違法性を指摘されても素直に反省できないパターンが非常に多い気がします。そんな中で素直に反省されて、これからは改めようと思われるのは非常に優秀な先生だなと思います。
荻上 そうですね。また、こんな質問も来ています。
「組体操の危険性について知りたいことですが、組体操の種類によって危険度の大小は区別されているのでしょうか。たとえば、ある程度十分な練習時間をとれば安全にできるが、現在の学校の授業時間では十分に時間がとれないため結果的に危険性が高くなるものと、どんなに練習しても危険性が高いものとに分かれるのでしょうか。」
どこまでが安全でどこからが危険だというラインはあるのかということですが、内田さん、いかがお感じになりますか。
内田 いま一番大事な議論です。さきほど木村さんがおっしゃったように教育的な意義はいったん置いておいて、まずは安全最優先で何ができるのか、ですね。
荻上 中には今も組体操をやりたいという声が止まらないところもあります。そうした学校に対して、こうした方がより安全になると提示することが必要になるわけですね。
内田 そうですね。あえて組体操の原点のようなことを言ってしまえば、子どもを抱っこするのだって組体操なんです。相手のことを思いやってしっかり胸元で抱える。肩を組むのも同じで、自分がだらーっと寄りかかってしまうと相手に負担がかかるので、自分は軸をきちんと立てなければいけません。人と人とのバランス関係を学ぶ意味で組体操は大変重要です。
そう考えれば、巨大化の必要もないし、幼い子どもに無理をさせる必要もない。安全最優先で指導すればバランス感覚を学ぶことはできる。お互いに支え合うことも学べる。そこに体育的な意義は出てくると思います。
木村 一律禁止の必要はないのではとよく言われますが、そうおっしゃる方は、裁判所が義務を果たしたと認定するぐらいまで、子どもたちに繊細な指導を行う覚悟があるのだろうかと疑問に思います。
荻上 みんなが組体操エリートになることは非現実的ですが、しっかりと指導する自信があり、努力に時間を惜しまない人が自分でプレゼンして説得していかなければ状況は変えられないということですね。
木村 組体操で現に重大事故が多数発生していることを考えると、現状では、安全な組体操は困難でしょう。一律禁止をした上で、組体操の内容や指導者の能力に応じて、例外的に解除するという対応が一番適切だと思います。
教育の現場では正当化されてしまう
荻上 今後、学校現場ではどのような試みが必要になってくるでしょうか。
内田 まず現場の前に国が動いて欲しいと思います。そこで初めて先生が、自分が何ができるのか考えることができる。そうした丁寧なプロセスが必要だと思います。
木村 また、精神論の前に法律論を考えてほしいです。私は今年1月に現代ビジネスの『これは何かの冗談ですか?』(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47434)という記事で、広島県の道徳教材を扱いました。ここでは、主人公のつよしくんがピラミッドの練習中に転落して骨折してしまいます。そしてお母さんに「一番つらい思いをしているのはあなたではなくて、バランスを崩してしまった子の方だ。許してあげなさい。」と言われ、つよしくんはその子を許してあげる。素晴らしい道徳ですねというお話なのです。
荻上 何言っているの?という話ですね。
木村 こんなことを道徳で教えるくらいなら、「つよし君が骨折で何を失ったのかみんなで考えてみましょう」という授業の方がよほど大事ですよね。この記事は記録的なアクセスがあったようで、精神論への不信感は相当あるのだと感じました。法律論として、まずは安全配慮義務を果たしているのかが問題です。果たしていなければ何があってもアウトです。そのような思考を学校に取り入れていかなければ、こうした問題はなかなか解決しないと思います。
荻上 市民社会ではありえないようなことを、教育現場ではやらせる場合も多かったりしますよね。なかには、リスクの高いことを子どものうちに経験して慣れておいた方が良いとおっしゃる方もいます。これは議論を混合してしまっていて、成長した結果リスクに耐える力を身につけさせることはやればいいと思いますが、単に同じようなリスクを与え続ければいいという話ではないですよね。社会に出て理不尽な思いをするのであれば、社会を変えるような人材にすべきなのであって、理不尽に従順に従う人間になることをゴールとするような教育は問題だと思います。
内田 体罰もそうですが、市民社会では許されないことが教育の現場では正当化されてしまうんですね。2メートル以上の高さで囲いのないところに登る、これは建築現場でもまずあり得ないですよね。教育だからと正当化されてリスクが見えなくなる。これは教育が抱える大きな問題だと思います。
荻上 内田さん、木村さん、今日はありがとうございました。
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荻上チキ(おぎうえ・ちき)評論家 / シノドス編集長
1981年生まれ。シノドス編集長。評論家・編集者。著書に『ネットいじめ』(PHP新書)、『社会的な身体』(講談社現代新書)、『いじめの直し方』(共著、朝日新聞出版)、『ダメ情報の見分け方』(共著、生活人新書)、『セックスメディア30年史』(ちくま新書)、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)、『彼女たちの売春』(扶桑社)、『夜の経済学』(扶桑社 飯田泰之との共著)、『未来をつくる権利』(NHK出版)、編著に『日本を変える「知」』『経済成長って何で必要なんだろう?』『日本思想という病』(以上、光文社SYNODOS READINGS)、『日本経済復活 一番かんたんな方法』(光文社新書)など。
木村草太(きむら・そうた)憲法学者
1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。近刊に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)がある。
荻上チキ Session-22(おぎうえちき・せっしょん22)TBS RADIO 954kHz
毎週月~金 22時~24時55分(金曜日は23時55分まで)放送。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」など柔軟に形式を変化させながら、番組を制作。
教育社会学
名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授。博士(教育学)。学校生活で子どもや教師が出遭うさまざまなリスクについて調査研究ならびに啓発活動をおこなっている。これまで、柔道事故、組体操事故、2分の1成人式、部活動顧問の負担など、多くの問題の火付け役として、ヤフーニュース個人の「リスク・リポート」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/)を拠点に情報を発信してきた。ウェブサイト「学校リスク研究所」(http://www.dadala.net/)、「部活動リスク研究所」(http://www.rirex.org/)を主宰。主な著作に、『「児童虐待」へのまなざし』(世界思想社)、『柔道事故』(河出書房新社)、『教育という病―子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(光文社新書)など。
(2016年6月8日「SYNODOS」より転載)