昨年12月、厚労省は2029年に歯科医師が1万4000人過剰だという試算を出した。その抑制策として政府は歯科医師国家試験の基準のさらなる引き上げを検討しているという。歯科医師過剰問題は1980年代から言われており、過去に政府は1982年に人口10万人あたりの歯科医師50人を目標とすることを閣議決定している。対応策として国立の歯学部の定員を減らしたが、大して効果は上がらず、2000年頃より国家試験の合格基準を上げ調整を計ってきた。今回はさらなる引き上げを検討しているという。
筆者はこの削減案に反対する。
その理由として、一つの都市について注目すると分かりやすい。
神奈川県相模原市は神奈川県北部にあり、東京都町田市や八王子市に隣接する政令指定都市である。古くは製糸業として発展し、甲州街道沿いは宿場町として栄えてきた。東京都心の新宿駅まで電車で35分、また新横浜駅まで30分とアクセスが良く、現在はベットタウンとして発展している。
市の人口は平成18年には62万人、平成27年には72万人と加速度的に増加しており、平成22年には政令指定都市となっている。神奈川県では横浜市、川崎市に次ぐ人口数であり、住民の平均年齢は43.1才と全国1956市区町村中246位であり、若年層が多い将来有望な都市だ。
そんな相模原市が日本で今後初めて大都市でありながら歯科治療の受診が困難になる地域になろうとしている。現時点ではさほど問題はないが、政府が新たに打ち出した歯科医師削減政策を推し進めれば、相模原市の歯科医師数は予想以上に減少する。
政府の指標通り人口10万人あたり50人に到達した場合、現状の38%の歯科医師削減が必要となる。単純計算でいくと相模原市の場合人口10万人あたり36.7人となってしまう。これは昭和45年と同水準だ。現在の高度化した歯科医療技術では患者一人あたりに対する治療時間が長く、その当時と同数の患者を見ることは出来ない。
また、歯科医師の年齢層も懸念すべき事項だ。継続的な歯科医師抑制政策により、歯科医師の全体数は増加しているが、若年層は減っている。日本全国では40才未満の若手、中堅歯科医師は全体の25.8%しかおらず、そのうち30才未満は6.9 %と少ない。
相模原市の場合それぞれ40歳未満は26.4%、30歳未満は4.8%であり、より若手が顕著に少ない。65才以上の高齢歯科医師の労働力は中堅、若手より17.2%低く(歯科医療従事者の歯科診療に関する実態調査より)、このまま行けば今の中堅歯科医師が高齢化した場合、若手がより過酷な診療体制の中で働ければならなく、充分な治療が患者一人一人に出来なくなる。
結果、地域住民全体の口腔内環境が悪化する。また、相模原市の住民の平均年齢は45.5歳(平成27年)であり、全国的に見ても若い都市である。ちょうどこの年齢層が歯科を受診するピークとなる60代半ばになる頃と歯科医師の労働力低下は重なってしまう。
なぜ相模原市の歯科医師数が問題なのか?それは大都市でありながら歯科医師が減り続けるからだ。世界の共通項として歯科医師は人口が多く、経済、文化の中心地域に集中する傾向がある。相模原市のような人口70万人以上ある大都市の歯科医師が減少するのは、その地域自体に何か大きな問題があるか、日本の歯科医師総数が減少していると考えるのが妥当だ。しかし現状を見るとそのどちらも当てはまらない。減少の原因は歯科医師が一極集中していることしか考えられない。
客観的な指標としてジニ計数がある。ジニ計数は所得分配に対する不平等さに使われる指標であり、範囲は0〜1となっており、1に近いほど不平等になる。
これを都道府県単位にし、地域住民がどれだけ歯科に受診し易いかに置き換えると、いかに東京に集中しているのかがわかる。首都である東京のジニ計数は0.178であり、47都道府県中断トツの1位だ。最下位の愛媛県は0.369であり4.8倍の差があり、相模原市がある神奈川県とは2.3倍の差がある。
歯科医師数からみても東京都の人口10万人あたりの歯科医師数は126人と高く、隣接しているにもかかわらず相模原市の2倍以上の差がある。このことからわかることは相模原市の歯科医師は隣接する東京地区の強力な求心力のせいで空洞化が起きたのだろう。
同様の傾向は他の都市でも起きている。相模原市と同じ神奈川県の川崎市や埼玉県の川口市、千葉県の市川市がそうである。いずれも東京のベットタウン的な役割がある人口が多い市だ。
また歯科医師の男女の性差も考慮が必要だ。女性歯科医師は男性歯科医師より勤務日数、時間共に短い傾向がある。特に女性歯科医師は30〜39歳からこの傾向が顕著に現れ、その後の勤務時間はさらに減少していく。歯科の特徴として一度臨床の現場から離れると復帰が難しい。
だが、女性歯科医師のための復職支援の制度などは皆無だ。各大学の入学者の女性の割合は増加している。昭和56〜60年の女性の入学者率は18.6%だったが、平成26年には41.6%と年々増加し、それに伴い女性歯科医師も年々増加している。現在はおよそ4人に1人が女性歯科医師だ。女性歯科医師に対する復業支援策を打ち出さなければ、働くことが出来ない女性歯科医師が増え、実際に働く歯科医師は減少する。
以上により、筆者はこれ以上の歯科医師数抑制に反対である。まずすべきことは遍在の解消だ。特に東京への歯科医師の流入を防がなければ全体が変わらない。でないと都心では経済的に困窮した歯科医師の過剰医療が蔓延し、地方では患者が溢れ杜撰な治療になってしまう。いずれにしても一番被害を被るのは国民だ。
そうならないための参考として、福島県南相馬市の例がある。南相馬市は元々医師不足地域だったが震災後さらに減少した。同市立総合病院などでは、12人いた常勤医はたったの4人になってしまった。だが昨年はその8倍の32人もの医師が勤務医として働いている。
これは自然にそうなったのではない。震災後の報道により注目を集めたことや、震災による調査項目が増えたこともあるが、何よりも官民挙げて医師を積極的に受け入れる体制を築いたことによるところが大きい。市立病院で勤務している森田知宏医師は20代の新進気鋭な内科医だ。彼は震災後の課題が多いにもかかわらず、人材が少ないので一人ひとりの活躍できる場があり、やりがいを感じると言う。
また同じく市立病院で研修医をしている山本佳奈医師はこの方策の結果、若手医師への教育が強化され、魅力ある職場環境やキャリアアップの機会が増えたと言う。これらは医師の話であるが歯科医師も参考にすべきだ。
都心に歯科医が集まっているのは地方都市に歯科医を受け入れる体制が整っていないためだ。歯科医師の分散には歯科医師にとって魅力ある地域づくりが必要となる。引いてはそれが住民の口腔の健康にもつながる。幸い日本には地方色豊かな地域が多く残っている。各地方自治体は積極的な歯科医師支援策を打ち出すことが遍在解消の第一歩である。歯科医師削減はそれからでも遅くはない。
(2016年1月16日「MRIC by 医療ガバナンス」より転載)