年末も残り少なくなり、1年をふりかえってみたい時期となりました。政治の世界では、激しい乱気流が渦巻きました。年明けの予算委員会では「共謀罪」をめぐる議論に何ひとつ明確に答えられない金田勝年法務大臣の「迷答弁」がクローズアップされ、森友学園・加計学園問題と安倍首相の関係が繰り返し問われました。通常国会の最終版は、「議論封じ」とばかり強行採決を続け、国会での議論の「強制終了」をはかりました。7月、内閣支持率が下降局面に入る中で行われた東京都議会議員選挙で小池百合子東京都知事が率いる「都民ファーストの会」は圧勝して都議会第一党となり、自民党の議席を改選前の半分以下に削りました。
野党の準備が整わないと見て、2017年の9月、安倍首相は「抜き打ち解散」に打って出ました。小池都知事が自ら記者会見して「希望の党」の旗揚げをし、直後に前原誠司民進党代表の「合流宣言」と続き、気の早いメディアは「今回の総選挙は安倍か小池かという政権選択選挙となった」等とはやしたてたものの、民進党議員の選別を公言した小池代表の「排除宣言」で大きく潮の目は変わりました。渦中で書いたブログは、波紋を広げました。
この記事を書いた日、「立憲民主党」を旗揚げするとの記者会見を枝野幸男氏がひとりで行ないました。希望の党は失速、にわか仕立ての立憲民主党は急速に支持を伸ばし、1100万もの比例区の得票を集め、「50議席台」とはいえ野党第一党にまで躍進しました。投開票日の翌日、私は次のように書きました。
「自民圧勝」10月総選挙で、「希望失速」と「立憲躍進」は何を物語るのか(2017年10月23日)
土壇場で立憲民主党が出来上がり、演説会場はどこも多くの観衆を集めました。その期待値は想像以上に大きかったといえます。わずか78人の立候補にもかかわらず、短期間のうちに支持率は急伸して、50議席台とはいえ野党第一党となった同党の役割と責任も極めて重いと思います。枝野幸男代表が街頭で聴衆を前にして、「ボトムアップの政治」を呼びかけていたのが印象的でした。アメリカの大統領選挙予備選挙で先頭を走っていたヒラリー・クリントンに対して、バーニー・サンダースが猛追したことに、これからの政治の可能性へのヒントを感じます。
立憲民主党の登場は、この10月の総選挙が見せた大きな「未来への兆し」だったと考えています。確かに、結果として自民党は「一強」を維持し、公明党が議席を減らしたものの「与党多数」の国会であることは、選挙前と変化はありません。特別国会が終わりましたが、参議院では民進党、衆議院では立憲民主党、希望の党、無所属と分かれたままとなっています。メディアからは「民進系で院内会派だけでも統一を」という声も聞かれますが、立憲民主党は今のところ慎重です。
10月2日、たったひとりで立憲民主党の記者会見に臨んだ枝野幸男代表の言葉の中に、「草の根からの民主主義のボトムアップ」がありました。私は、この7年あまり地域での「市民参加型政策形成」「民主主義のバージョンアップ」に心を砕いてきました。この言葉が耳に残り、だからこそ、注目したのです。
立憲民主党:結党会見詳報(5)「私たちは草の根に立つ」 - 毎日新聞 2017年10月2日
私は、上からの民主主義、上からのリーダーシップ、あるいは強いものからの経済政策......。こうしたあり方自体がもう限界を迎えている。あまりにも弊害が大きくなっている。
草の根からの民主主義でなければいけない。経済や社会は、下支えして押し上げるものでなければならない。ボトムアップ型の社会にしていかなければならない。
私は、ボトムアップ型のリーダーシップ、民主主義、社会経済のあり方というものが、立憲民主党の明確な立ち位置であり、この選挙を通じて、他の政党との違いとして国民に訴え、理解してもらいたい。
枝野氏の記者会見以降、選挙期間中の街頭演説も、「草の根からの民主主義」「ボトムアップ型のリーダーシップ」という言葉と価値観が基本となっていたと感じます。非日常である国政選挙の期間中は、草の根もボトムアップもつくりやすい、「選挙と選挙の間」、つまり日常的な政党や政治のあり方を「草の根から」「ボトムアップ型で」どうつくるのかが問題で、ここが試されます。
9月、朝日新聞政治面に次のような記事が掲載されました。私が、首長をつとめる政治家として開催する『保坂展人政策フォーラム・せたがやD.I.Y道場』は、巷にある「政治家促成栽培」の政治塾ではなく、じっくり政策に向き合うトレーニングの場です。政策形成を「着想・気づき」から行って、「企画・立案」を進め、「制度設計」に押し上げるプロセスを共有するプログラムで、参加者は20代から40代半ばが中心です。この2年間、参加者募集はSNSと口コミで広げてきました。記事はこの場を取材してのものでした。
「NO」頼みやめ、前向き議論を 元社民の世田谷区長「抗議するだけでは先細り」:朝日新聞デジタル2017年9月20日
区の長期ビジョン策定の際は、有権者名簿から無作為抽出した千人を招待。これまで政治から遠かった人も巻き込もうとの「試み」に88人が応じ、7時間のワークショップに参加した。建設的な提案が次々と飛び出した。ツイッターで問題提起するフォロワー集会も重ね、その議論が条例改正につながった例もある。(中略)
保坂氏には苦い思い出がある。いまでこそ子育てママや高齢者の支援を目的に地域で広がる「コミュニティカフェ」だが、それを党組織の拠点とする改革案を約20年前に出した時は、党から相手にされなかった。
「大企業や官公庁に勤める組合員らをアフター5に動員し、『NO』と抗議の声をあげる政治スタイルに頼っては先細りする」
世田谷区で無作為抽出方式で「区民ワークショップ」を開催したのは、2013年9月策定の「世田谷区基本構想」に向けた準備を進めるためでした。18歳から77歳まで88人の区民が集まり、テーマごとに席を移動して語り合うワールドカフェ方式で話し合いを進めました。和気あいあいと活発な討論が5時間をこえて続きました。
目を見張ったのは、20グループの発表の時間でした。1グループ2分、質疑1分で次々と「環境」「緑」「自然エネルギー」「人間中心の交通環境」「教育」等、積極的な提案があり、とてもコンパクトに場の意見をまとめていて、持ち時間をはみ出すことなく整然としたプレゼンが続きました。
「行政」が市民・区民の上部構造に位置していて、幅広く豊富な知見に裏打ちされて「指導的役割」を果たしているというのは、大いなる錯覚でした。むしろ逆ではないか、と考え始めました。私も含めて「行政」の側は、ひとりひとりの区民・市民が直面している現実から距離があり、明らかに何歩も遅れたところにいると実感しました。今日の「行政」は、平常時は高い位置から降りて、区民・市民と共に知恵を出し、力を出し合う協働の関係を創り出す役割を果たすべきで、区民・市民とは、水平的な位置にいる「参加と協働」のプロデュース役であり、コミュニティ・ソーシャルワーカーでなければならないのだと、私は確信を深めていきます。
江戸時代から人々の間に根づいてきた封建的なタテ社会は、「官と民」を垂直的な上下関係として固定してきました。戦後民主主義も、その垂直関係を崩すことができずに、行政と市民・区民が対面した時に、「陳情」と「苦情」のふたつの立場に追いやられがちです。「この問題を何とかして下さい」というお願い(陳情)なのか、「この問題を何とかしろ」というクレーム(苦情)なのか、ふたつの立場は垂直的な上下関係の枠内に入ります。
水平的な関係で向き合うことができれば、「一緒に知恵を出しましょう。問題がなるなら、改善できる方法を共につくりましょう」「行政ができないなら、私たち住民にいい考えがある。まずは、役割分担を決めて共通の目標に向けて進みましょう」ということになります。このように書くのは簡単ですが、実際にやろうとすると行政の側にも、区民・市民の側にも抵抗が生まれ、簡単ではありません。
「行政」について書いてきたことは、「政治」にもあてはまります。永田町を離れて、地方自治の現場で日々過ごすようになって強く感じる差異があります。私たち自治体の現場からは、「待機児童」「高齢福祉・介護」「障害者差別解消」でも、ひとりひとりの「顔」が見えています。私が国会にいる時に議員立法で「児童虐待防止法」をつくりましたが、児童養護施設の施設長や里親の会、小児科医等の専門家の話は聞きましたが、現場にいるひとりひとりの「子ども」「若者」の顔は見えていませんでした。
今、世田谷区では東京都が運営する児童相談所移管という大きな課題に直面しています。社会的養護の専門家の話も聞いていますが、より具体的な制度設計に踏み込むためには、調査・研究の範囲も幅広くなります。法律制定後のリアルな現実を引き受けて、準備のための努力を重ねて、やがて建物等のハードも、人員配置や運営原則等のソフトもつくり上げなければなりません。その結果がどのように現れるのか、客観的な評価を待つことになりますが、失敗は許されません
私自身の経験からも、永田町で語られる政策の多くは「大枠の概念的イメージ」にすぎず、「ひとりの子ども」がどんな運命に直面するのか、おおづかみのまま議論を進めていました。人間の想像力には限りがあるし、時間の制約もあるので守備範囲の広い多くの政策について、精度や現場の詳細まで国会議員が熟知する必要はないし、どだい無理だと思います。国会に出入りする中央省庁の官僚自身も、知らないことが多いのです。問題は、現場と「ボトムアップの構造」が機能するかどうかです。立憲民主党で、「選挙と選挙の間」に「草の根からの民主主義」をどう立ちあげていくかの議論が始まっているようです。
立憲、市民参加型の政党模索 党綱領を年内に正式決定:朝日新聞デジタル(2017年12月8日)
立憲民主党は7日、「立憲主義と民主主義を守る」など、四つの柱からなる党綱領案を所属国会議員に提案した。党のあり方についての議論も始め、衆院選で掲げた「草の根からの政治」の実現に向け、SNSなどを活用した市民参加型の政党像を模索する。(中略)
執行部は、従来の国会議員を頂点としたピラミッド型組織を改め、支援者らを共に政治を進める相手と位置づけたいとしている。この日は、民進党時代に代表選の選挙権があった「サポーター」を「パートナー」との名称にする意見が相次いだ。
旧民主党時代に取り組んだ「市民がつくる政策調査会」(市民政調)を発展させ、SNS等でも政策論議に参加できるシンクタンクをつくる構想もある。)
SNSを政策形成に使いたいと思ったのは、5年前のことでした。ツイッターのフォロワーにおそるおそる「フォロワーミーティング」の呼びかけをしてみました。最初に集まった10数人の多くが世田谷区民で、思いのほか率直な話ができました。その後、「子ども・教育」「待機児童問題」「子どもの自己肯定感」「自然エネルギー」「空き家活用」等、次々とテーマを変えながら、ツイッターのフォロワー対象のミィーティングをこれまで約30回開催してきました。中でも、印象に残っているのは、「子どもの声は騒音か」という私のツイートを波紋を広げた時期に開催したミィーティングです。
SNSという「集合知の広場」から - 太陽のまちから - 朝日新聞デジタル&w 2013年1月16日)
9月のある土曜日、ツイッターのフォロワーに限定したイベントを開くことなりました。テーマは「子どもの声」。下北沢にある緑豊かな教会の集会室に40人あまりがそろいました。フォロワーたちはふだんからタイムラインで「子どもの声」をめぐるやりとりを読んでいるので、ずばり本論から入ることができるのです。
「問題なのは子どもの声ではなく、苦情を言う側」「苦情があったからといって、行政は防音壁などの対策をすぐにとらないでほしい」「地域コミュニティの中で包み込んでいくことはできないのか」「聴覚過敏症という症状に苦しんでいる人もいる」など、さまざまな論点が次々と出てきました。やがて、メディアでも取り上げられるようにもなりました。
民主主義のボトムアップをつくりあげていくためには、「習慣の力」の惰性を断ち切る勇気が必要です。政策形成過程に、SNSを活用して「保育待機児童問題」等で当事者が横につながって発言し行動する動きは、あちこちで始まっています。永田町政治が変われるかどうか、今回は久しくなかったチャンスです。メディアの多くは、野党の集合離散にのみ注目しているようですが、政治体質を変える動きが始まるかどうか、これははるかに大きな注目すべきテーマだと思います。