今年のアカデミー賞女優主演賞に輝いたジュリアン・モーア主演の「アリスのままで」は、若年性アルツハイマー病と診断された50才の大学教授を主役とする映画だ。

今年のアカデミー賞女優主演賞に輝いたジュリアン・モーア主演の「アリスのままで」は、若年性アルツハイマー病と診断された50才の大学教授を主役とする映画だ。最近のハリウッド映画にはめずらしく制作費が低予算な上、撮影日わずか23日という驚異的な短さで完成したというドラマ溢れる作品である。

原作者、リサ・ジェノヴァは小説「アリスのままで」を書き終え、編集者やリテラリー・エージェント(出版仲介業)に接触したところ、ことごとく断られたという。「そのようなテーマでは売れない」と、足蹴にされたそうだ。

そこでジェノヴァはデジタル時代を利用し、まずアルツハイマーに関するブログを開設し、アルツハイマー協会のおすみつきをもらい、協会のウェブサイトとタイアップ。脳神経科学者としてのノウハウやアドヴァイスを書きこんでいくうちに注目されるようになった。自費出版で小説を刊行後、ソーシャル・メデイアも利用していくうちに、アマゾンでの売れ行きがぐんぐん伸びた。そしてある日、リテラリー・エージェントから出版のオファーが来たのだった。

2008年、大手サイモン&シュスターから初版25万部の刊行後は常に上り坂。10カ国語に翻訳され、現在までに700万部を記録。ジェノヴァの作品は、出版界から「絶対に売れない」といわれつつ、著者の創意工夫と粘り強さで大成功した良い例だろう。フィクションとはいえ、現在、急増しているアルツハイマー病に焦点をあてたタイムリーな作品だけでなく、専門家が書いたとあって、病気の進行や対処法を描き、示唆に富んだ作品である。

ある日、突然、アリスは自分が認知症だということを知った

「アリスのままで」が話題作となったのは、まさに社会の変化をとらえた点にある。いまや先進国の高齢者三人に一人が認知症。アメリカでも認知症患者は増えており、推定四百万人いる。そのうち若年性認知症患者は推定50万人以上とあれば、かなりの数である。認知症が増えている背景には高齢化があるとされるが、若年性認知症の増加の原因は何であろうか。

ドイツのアロイス・アルツハイマー教授(1864-1915)が五十一歳のアウグステ・Dを診察したのは1901年のことであった。夫によれば、妻は一年の間に性格が激変。家事ができなくなり、誰かに追われているという妄想にかられ、おこりっぽくなったということだった。アルツハイマー教授が注目したのは、患者が時間や現在の居場所の感覚を失っていることであった。それまでにも70才以上の患者で似たような症状は多く見られたものの、五十一歳という年齢ではあまりなかった。アルツハイマー教授はとりあえず「物忘れ病」と名づけた。五年後、アウグステ・Dは死亡。解剖の結果、脳の萎縮が認められた。その後、発見者にちなんでアルツハイマー病として知られるようになる。

映画の中でアリスは「ガンだったらよかったのに。そうしたらリボンかなんかつけて、私はがん患者だからみんなに同情してもらえるのに」と言う。自分が自分でなくなる、知識や長年の努力で蓄積された能力を失っていく。これが恐怖でなくてなんであろうか。一般に、若年性認知症の場合は周りの近しい人間に症状が明らかになってから進行が早い。一方、高齢者では発症から平均で七年から十年で、最後は運動機能が著しく低下するため嚥下機能がなくなり、死に至る。

日本でも認知症を扱った映画はいろいろあった。若年性アルツハイマーを扱った映画、「明日への記憶」(2005年)では渡辺謙が好演していた。役所広司主演「わが母の記」(2011年)は井上靖の原作で、花の下、月の光、雪面という三部からなる私小説は認知症の三段階を詩的に捕らえていて味わい深い。「ペコロスの母に会いに行く」(2013年)は、挿絵画家が書いた本をもとに、中年の息子と母との日々がほのぼの描かれていた。

認知症の先駆的映画は、なんといっても「恍惚の人」(1973)である。当時としては衝撃的であったが、最近、BS放送でこの映画を見る機会があった。認知症が進んでわけがわからないと思っていた舅(まだ59歳であった森繁久弥が好演)が垣間見せた人間的な側面を見せる場面は印象深い。すぐにすべての記憶が失われるのではないことを教えてくれる。そして、自分になにかとよくしてくれる嫁(高峰秀子)のことはわかっている。

ほかにも認知症をテーマにした作品は海外でも急増している。夫婦を主題にしたものでは、「アイリス」(2001)、「君に読む物語 Notebook」(2004)、「アウエー・フロム・ハー」(2006)、「やさしい嘘と贈り物」(2008)。見方によっては「サッチャー The Iron Lady」(2011)も認知症映画である。

老々介護を描いた仏映画「アムール」(2012)は、すさまじいほどに現実味があった。どんなに有能で、洗練され、知識に溢れる人でも認知症になる可能性はあるということをこの映画は物語っている。最近、ドイツで公開された「頭の中のはちみつ」も「認知症映画ジャンル」として祖父と孫娘の交流を描き、大ヒットしている。認知症には国境がない。

なお発見からすでに百年以上が経っているものの、認知症の有効な医学的治療法はみつかっていない。もし認知症につけられる薬があるとすれば、それは「理解と愛情」以外にないだろう。認知症の診断を受けるのは、本人のためというより、周囲の人々が今後、どう対応するべきかを自覚することのほうが大きいのではないか。怒ったり、叱ったりすると本人が余計に自信を失い、落胆するので逆効果である。認知症患者は感情豊かであるし、診断されたからといってすぐに「自分」でなくなるわけではない。大切にしてきた長期記憶、もとの性格は数年間、保持されるのである。

それでも小さな喜びを明日につなげ、その日を生きる。映画「アリスのままで」で、アリスは認知症の告知を受けてから「今を生きるのみ」と娘に語る場面があった。認知症患者でなくとも、私たちが毎日そうやって生きているのではないだろうか。

認知症から学ぶ人性哲学の奥は深い。一体、「生きる」とは、「自分」とは、そもそも何なのか。

「アリスのままで」は日本で6月公開予定。