近年、世界的なサステナビリティ先進企業の間で、それまではビジネス用語としてはやや青臭い印象を与えていたはずのある言葉が、にわかに語られるようになってきた。
その言葉とは、Social Justice(ソーシャル・ジャスティス)。つまり「社会正義」、もしくは「社会的公正」である。
#MeToo運動や#BlackLivesMatterを契機に、それまでの姿を内省しながら大きく変わり始めた資本主義。その潮流と、日本企業への影響と課題をこの記事では見ていく。
1. 2020年以降のビジネスの新潮流に
例えばアップル社は2021年1月、ティム・クックCEOの「我々全員がより公正で衡平な世界を築き上げる喫緊の責務を負っている」との言葉と共に、1 億ドル規模の「人種的平等と正義のためのイニシアティブ (REJI) 」を発表した。
ウォルマートのダグ・マクミロンCEOも2020年6月、「変革を促し、また率先するために、我々はウォルマートの力を使って、日々の暮らしのあらゆる側面をより公正、衡平、そして正義に適ったものにするための資源投資と戦略構築を行う」と発言した。
個社のイニシアティブを超え、世界経済フォーラムなどでも社会正義の前進に向けたクロスセクターの取り組み分析も始まっている。
この動きは2010年代後半から徐々に盛り上がり始め、2020年にブレークスルーを迎えたようだ。
サステナブル・ビジネスの潮流や事例などを報じる米オンラインメディアGreenbiz.comのサイト内で「Social Justice」が言及された記事を検索すると、当該用語を含む記事の数は、2010年代前半は年間20本未満だったのが、2019年に38本へと増加の兆しを見せ、2020年に100本へと急増した。
2. 企業に政治的・社会的スタンスの表明を迫る機運が高まっている
この期間、アメリカでは経済的、及び社会的な格差や不平等を巡り、国論と政治を二分する事件が続発していた。
2016年に白人至上主義への共感を示すドナルド・トランプ氏を大統領に押し上げた力学の一つとして、白人労働者階級の貧困が長年政治により放置されていたことが指摘された。トランプ氏は就任直後から、矢継ぎ早に妊娠中絶や移民を巡り右派色の強い政策を導入し、同国世論は大きく分断された。
また、これと前後するタイミングで、2つの大きな社会運動がそれぞれ歴史的な盛り上がりを見せた。警察官によるアフリカ系市民への過剰な武力行使や殺害事件に抗議したBlack Lives Matter運動。そして、2017年にハリウッドの著名映画プロデューサーによる性暴力と、これを長年黙認してきたエンターテインメント産業の女性蔑視的な風土・文化が明るみになったことをきっかけにした#MeToo運動だ。
これらの社会運動は、政治や報道の世界を超えて、経済界にも大きな波紋を広げた。大手企業に政治的な姿勢の表明を迫る機運が高まり、実際にそのような行動に出る企業が増えている。
例を挙げてみよう。
・トランプ氏による移民規制策に対しては、自らも移民のバックグラウンドを持つGoogleのサンダー・ピチャイCEOを始め、特にテック系企業が、「企業の成長とアメリカ経済の国際競争力の源泉を毀損する」として批判の声を上げた。
・D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)施策はDEI(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)もしくはDEIJ(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン&ジャスティス)へとアップデートされた。またその対象も人事を超えて、例えば取引先の選定に当たり、黒人・先住民・有色人種(BIPOC)や女性が経営する企業を優先的に選定する方針を掲げる企業も登場している。
・社内施策に留まらず、広告やブランディングを通じて積極的に企業姿勢を明確にする動きも台頭している。ナイキは米国の人種差別に対して明確な反対姿勢を示した広告が議論を呼び、売上と企業価値に好影響をもたらした。
「ブランド・アクティビズム」と呼ばれるナイキのこの取組は、その後、日本でも国内の民族差別を扱ったバージョンが展開されるなど、同社ブランディングの柱を構成している。世界最大のクリエイティブの祭典である「カンヌライオンズ」においても、伝統的な広告の枠を超えた、社会的メッセージを含んだクリエイティブ作品が評価される流れが続いている。
3. 社会運動を背景に登場した「ステークホルダー資本主義」
#MeTooやBLMに代表される今日の社会運動には、グレタ・トゥンベリ氏に代表される気候アクティビズムとも共通する、3つの特徴がある。
①ミレニアル世代やZ世代といった若年層が強力な推進力となっていること
②その運動スタイルが、当該社会問題の影響を受ける当事者としての切実な抗議行動であること
③彼らが企業にとっては今後従業員や消費者セグメントとして無視できない影響力を持ちつつあること
また、これらの社会運動に対する社会的支持の大きな広がりを受けて、アメリカでは、個々の差別問題の表層的な把握を超えて、広く米国型資本主義の歴史に差別の原因を求める議論が始まっている。
つまり、アメリカの資本主義の黎明期においては、将来の労働力となる子どもの出産・育児にかかる負担を女性が無償で担わされたことや、白人労働者の不満を黒人に対する憎悪に転換させることで労働者の搾取を容易なものにするといった形で、資本家の富の蓄積が可能になったという分析である。
同時に、このような社会の声に押される形で産業界で語られ始めたのが、『ステークホルダー資本主義』である。
2019年、アメリカの大手企業経営者で構成されるBusiness Roundtableが「企業のパーパスに関する声明」として、1970年にミルトン・フリードマンが提唱して以降アメリカ経済界の“常識”となってきた『株主至上主義』との決別を表明。企業は株主に加えて顧客、従業員、地域社会、環境といったすべてのステークホルダーに奉仕するために存在するとした。
そして翌2020年のダボス会議は、「ステークホルダー資本主義」を全体テーマに開催された。
4. コロナ禍で試される企業の本気
だが、その直後に起きたのがコロナ禍である。
このパンデミックでは、感染率、重症化率、死亡率が、人種間、ジェンダー間、難民・移民、障害といった従来の格差の断層に沿って大きく異なるという結果になった。
これは、属性に基づくこれらの社会的格差が、そのまま職種や所得といった経済格差につながっていることを表している(貧困層における黒人比率が高く、人的接触を伴うエッセンシャルワーカーにおける女性比率が高い、など)。そして、企業から見た各種ステークホルダーも、サプライヤーの倒産、一部顧客セグメントや非正規従業員の貧困といった形で窮地に立たされている。
企業の「ステークホルダー資本主義」へのコミットメントが早くもその本気度を試されている格好だ。
これらの動きは、日本企業にとっても決して対岸の火事ではない。
日本社会では歴史的経緯などから、差別や人権といった課題に対する社会的抗議行動が欧米諸国ほどに拡大することは想定しにくい。しかし、抗議の声が顕在化されていないからと言って問題がないことにはならず、何らかの形で自社事業に影響を及ぼす可能性は十分にある。
①海外事業への影響
ここで紹介した運動はどちらも世界的に拡散しており、日本の肌感覚では想像できないレベルで、「許容可能な言動」に関する社会規範の書き換えを促している。そういった国々で事業を行う日本企業が、その変化に適応するのを怠れば、その国で事業を行う上での信用を失うことになりかねない。
それを示唆する出来事として、最近、1990年の放映開始以降高い人気を誇ってきた日本製テレビアニメ番組「ドラゴンボール」が、スペイン語圏の各国で「女性蔑視的」との理由で放送禁止になっている。
②日本国内の類似課題への波及
コロナによる格差拡大は、諸外国と同様に日本でも起きている。日本では特に非正規・派遣労働者を中心に雇止めから一気に住居喪失、そして困窮化というケースが急増しており、非正規・派遣労働者の中で比率の高い若年女性の自殺が急増するという形で労働市場におけるジェンダー差別が顕在化している。
BLM運動に関しては、各国の文脈に即して形を変えて広がっているという特徴がある。大きな黒人人口を抱えるラテンアメリカ諸国ではアメリカと同様の文脈で展開されているが、アフリカにおいては経済社会の低開発と貧困に対する抗議として広がり、アジアにおいては外国人差別に対する議論を喚起している。そして欧州では、移民排斥という今日的な課題と並び、過去の植民地支配も議論の対象となっている。そこでは、たとえば英ロイズ保険組合が奴隷貿易の海上保険などにかかわった過去について能動的に謝罪し、社史の改訂を約束するなど、具体的な外部圧力を受ける前に行動に出る事例が起きている。
この植民地主義清算の動きについて日本経済新聞は、欧米・西側諸国と中国・ロシアといった権威主義的な国々との間で展開される覇権競争の文脈も踏まえて、西側諸国におけるこの潮流は不可逆的なものと評価。その波が日本に到来した場合の日本企業の備えが十分かについて、警鐘を鳴らしている。
③投資家の動き
リーマンショックの時と異なり、コロナ禍からの経済復興に際しては、多くの機関投資家が企業に対し、ステークホルダーへの配慮を求める動きを強めている。
2020年4月23日、45カ国以上の年金基金や運用会社で構成される国際コーポレート・ガバナンス・ ネットワーク(ICGN:運用額約5800兆円)は、配当や役員報酬の削減をしてでも従業員の解雇を避けるべきとする企業向け書簡を公開した。#MeTooやBLMを受けてESGのS(社会)領域における評価項目の解像度を上げようとする動きも起きている。
一旦グローバルで評価基準が成立したら、海外投資家がその水準の要求を日本企業に向けてくる可能性や、投資家の要求に晒されている海外企業が取引先の日本企業に対応を求めてくる可能性もある。
④競合の動き
すでに海外企業の中には、差別や格差といった人権課題への対応を、コンプライアンス課題としてではなく、積極的な価値創出領域として捉え、社会正義志向の製品・サービスを展開するところが表れてきた。この点について次回の記事で紹介する。
障害者にとっての利便性を考慮したユニバーサル・デザインが健常者にとっても使い心地が良いのと同様に、特定の差別や格差を克服するビジネスは、直接その恩恵を受ける個人・セクター以外からも好感を得る可能性は十分にあり、そういった企業が日本市場に参入してきた場合に、彼らにシェアを奪われる可能性もある。
5. 岐路に立つ日本企業
元来、日本企業は欧米企業に比べて「人を大切にする(安易に解雇しない)」と言われてきた。確かにリーマンショックの際も、欧米ほど極端には人切りに走っておらず、痛みを社内で分散して危機を切り抜ける経営文化が残っていたと言える。その意味で、日本企業にとってSocial Justiceが全く縁遠いわけではないだろう。
ただ、その文化は、職場における属性の多様化(ジェンダーやセクシュアリティ、人種、国籍、障害の有無など)、雇用形態の多様化(正規・非正規)、世界各地へのサプライチェーンの延伸、顧客や地域社会といった従業員以外のステークホルダーの人権配慮といった現代的な要求水準にアップデートできておらず、国際競争において劣後してしまっているのが現状だ。
2021年秋に、経産省は日本企業の人権への取り組み状況に関する初の大規模アンケートを実施。また、日本企業の人権問題への対応を支援する「ビジネス・人権政策調整室」を大臣官房に設け、サプライチェーン上の人権侵害リスクを把握し予防する「人権デューデリジェンス(人権DD)」の取り組み推進などに着手し始めている。
日本はこれまで、国連の「ビジネスと人権」指導原則に対する対応が遅れていると言われてきたが、人権DDの法的義務化などが進む欧州の動きなども受けて、国内の政策環境も変化の兆しを見せている。
ステークホルダーは要求の声を上げ、規制環境も動き始めた。
この変革を自らのものとし主導する側に回るか、座して変革の波にのまれるのを待つか。
日本企業は大きな岐路に立っている。
【文・山田太雲 編集・中村かさね】
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2022年、ビジネスの新潮流となりつつある「Social Justice(ソーシャル・ジャスティス)」。
資本主義が一つの転換点に立つ中で、存在感を増してきた「Social Justice」について、デロイト トーマツ グループ モニター デロイトの執筆陣による全5回の連載で紐解いていきます。
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第1回 岐路に立つ日本企業。「ソーシャル・ジャスティス」に取り組むべき5つの根拠
第2回 “攻め” としての「ソーシャル・ジャスティス」。7つのポイントで解説
第3回 経営リスクとしての「ソーシャル・ジャスティス」。3つの“落とし穴”とは
第4回 3つの事例でみる。DXにおける「ソーシャル・ジャスティス」はビジネスチャンスだ
第5回 “戦わない”ブランドは選ばれなくなる。「ソーシャル・ジャスティス」のその先へ……