「企業に所属していれば安心」という時代から、「このままでいいのだろうか?」とそれぞれの働き方を考え始めた平成の終わり。
日本型の終身雇用と自由な働き方の狭間で、思い悩む人は多い。挑戦してみたい。でもまだ怖い。失うものと、得られるもの。どちらが大きいのか、どれだけ考えても答えが出ない。
今回ハフポストは、メガバンクからソーシャルレンディングのプラットフォームを提供するクラウドクレジット株式会社に転職した松浦麗華さん(29歳)、そしてメガバンクから、モンゴル貿易開発銀行東京事務所長となった内田肇さん(52歳)のインタビューをお届けする。
世代も異なる二人に、大企業を飛び出した理由を聞いた。
海外赴任したがらない若手が増えた?
―――お二人のキャリアについて教えてください。
内田:モンゴル貿易開発銀行(略称:TDB)の東京事務所長を務めています。モンゴル貿易開発銀行はモンゴルの大手二行のうちのひとつで、上位二行でモンゴル全市場の50%超を担っています。日本の中堅中小企業のモンゴル進出の側面支援や、モンゴル向けの投資家への情報提供が主なミッションです。
以前は三井住友銀行で働いていました。ブラジルに11年ほど駐在し、その後、モンゴルのウランバートル出張所の初代所長を務めました。そして、帰国後に役職定年直前でもあり円満退社の形で、今のモンゴル貿易開発銀行へ転職しました。
松浦:私は、ソーシャルレンディングをしているクラウドクレジットという会社に所属しています。個人の投資家からクラウドファンディングで集めた資金を、海外企業に融資しています。日本の投資家と海外企業の間に立ち、海外で企業を見つけ、融資条件の交渉、審査をしています。
キャリアのスタートは、2014年に就職したみずほ銀行でした。1年目は法人の営業、2年目からは女性初、最年少でベトナムのホーチミンに赴任しました。現地の日系企業や、進出を検討している日系企業の法人営業を担当し、日本に帰国。その後3カ月でクラウドクレジットに転職しました。
―――お二人とも海外勤務を経験されてますね。今は、昔と比べると海外に飛び込む人材が減っていると聞きます。
内田:日本は便利でラクですからね。治安もいいし医療レベルも高い、飯もうまい。海外にいて日本へ一時帰国した時に食べた吉野家の牛丼は涙が出るほど美味しいです。安心して生卵をかけて食べられるのは日本しかありませんね(笑)。
モンゴルもブラジルも新興国なので、債権者を守る法制度は脆弱です。債務者に対して牽制力を発揮するルールは自ら創るしかない。でも、それにはものすごい情熱やエネルギーが必要です。飛び込む人が少ないのも分かる気がします。
“攻めるしかない環境”で身につけたもの
松浦:私も正直、ホーチミンは発展途上国ということもあって抵抗がありました。実際、道を渡るだけでも命がけ。法律は未整備という大変な環境でした。
ただ、若手のうちに「守るものがない」環境に行けたのは貴重な経験でしたね。攻めるしかないので。おかげで攻め癖がつきました。(笑)
―――海外で戸惑うことはなかったのでしょうか?
内田:34歳の時にブラジルに赴任し、36歳で人生初めての部下を持ちました。皆、ブラジル人です。時間についてもおおらかで、ときには嘘もつく(笑)。そもそも新興国経済自身がジェットコースターのように上がったり下がったり。
本部や上司の理解はワンテンポ遅れることが多く、良いタイミングを逸してしまう。そして、一度失ったビジネスチャンスは永久に戻ってきません。しかし、組織で動く銀行では、基本的にサプライズはご法度。根回しこそが最も重要な世界です。松浦さんも怒られたこといっぱいあるでしょ?
松浦:はい、ありましたね(笑)
内田:でも、そういう組織形態や人事評価も徐々に変わっていかなければならない。そうでないと、新興国で戦える人材が育たないし、会社は伸びません。環境やルールが変わることを予見し、その変化を先取りして、未来の扉を苦しみながらも切り拓こうとする「人財」を育てるべきです。
銀行員のキャリア形成もさまざま
―――銀行のイメージも少しずつ変わってきているように感じます。
内田:日本にも30年前は、長信銀(興銀長銀日債銀)・都市銀含めて銀行が13行ほどありましたが、それも今はメガバンク3行に収斂されました。大手銀行は平成の30年間で相当スリムアップされてきたのかもしれません。
私もその厳しさを味わいましたし、銀行合併の煽りを受けて、無念の思いで銀行を去っていった先輩もいました。そして今はマイナス金利という環境下にあります。安定した職場の代名詞だった銀行は大きく変わったと思います。
―――銀行の体制が変わっていく中で、キャリア形成のあり方も変わってきていますか?
内田:新人時代まず担当したのは銀座支店の「出納係(現金を管理する業務)」でした。ベテラン行員の先輩から100万円の札束を渡され、「勘定しなさい」と言われ、バーっと数える。すると確かに100万円あったので「100万円ありました」と言ったら、その札束で頭をパコーンと叩かれ「1枚抜いたんだよ。いい加減な札勘(さつかん)するな」って怒られましたね。
その後、普通預金→当座預金→定期預金→内国為替→外国為替→融資課です。そして、大阪営業部の大企業部門へ転勤しました。山一證券が自主廃業した頃で、ひどい貸し剝がしもやりました。あのころはもう無茶苦茶でしたね。そんなことをするために銀行に入ったんじゃない、と心底思いました。それらを経験した後に銀行合併のタイミングで合併相手行のブラジル拠点への単独での赴任でした。
今は日本の銀行を辞めて、外資系銀行の駐日代表の立場にいます。「辺境の地」である新興国駐在の本業を通じて、現地銀行と良好な信頼関係を構築し、後に請われて東京事務所長という歩み方。これからの中堅若手行員に新しいバンカーの歩き方を示せているかと思います。
松浦:私は新卒2年目でホーチミンに放り出されたので、内田さんのようなステップはなかったです。でも基礎的な部分と商談などの応用を、同時に何でもやらなければならなかったので、凝縮した経験ができました。
仕事でミスをしてしまった時、日本人だったら、謝罪に回ったり、居残りしてなんとか挽回しようとしたりするかもしれません。でも、ベトナム人は17時になったらきっちり帰宅します。ミスが大事故になりかねない環境で、いかに日本の顧客の信頼を取り戻すかということが難しかったです。
幼少期に海外にいたこともあったので、ほかの日本人よりは外国人を理解できるという思い込みもどこかにあったんです。でも、やはり国によって違う考え、違う歴史があり、異なる文化の中で苦労がありました。
国内のベンチャーがなんぼのもんじゃい。
―――お二人とも今は異なる環境に身を置いています。大手銀行から外に飛び出すのは、かなり勇気がいることですよね。
松浦:辞めた後も思いますが、銀行って環境がとても良いんですよ。銀行はよく減点主義と言われます。ミスをしないことが求められるからです。でも、減点とはいえ社内で失敗しても生きていけるし、それなりの給料ももらえます。
内田:邦銀の銀行員の肩書きを捨てるなんてもったいないって言われませんでした?
松浦:言われました。転職のとき“ベンチャー企業の倒産率“などさまざまな資料を見せられましたね(笑)。それでも飛び出せたのは、過酷なベトナムの環境で仕事をしてきたからじゃないかと思います。「国内のベンチャーがなんぼのもんじゃい。私はベトナムでやってきたんだ」と。
ひとつのミスで会社が傾くかもしれない。でも……
―――今は、フィンテックなど金融業界に近いベンチャーもどんどん出てきていますよね。
内田:いい流れだと思います。フィンテックの世界では従来にないアイデアから新しい産業が生まれてくる。それが市場に広く受け入れられたら自然とデファクトスタンダードになるかもしれない。メガバンクや地方銀行といった組織に収まらない異能人材、若い人が活躍できる市場が広がってきているのは素晴らしいことだと思います。
それこそが金融最前線、そして新天地でしょう。「辺境の地」で挑む新興国勤務と同様の、まさに金融フロンティアですね。一方で、メガバンクのような安定はない。でも安定しているからといって、本当にそれで幸せかどうかは、人それぞれだと思います。
松浦:ベンチャーだと、ひとつ取引を切られるとそれが致命傷で会社が潰れるかもしれない。一方で、自分のひとつひとつの行動や判断が、会社の売上高や企業価値に直接結びついている実感が得られます。この上ないやりがいを感じます。
「今」が大好きな保守的な人ほどチャレンジが必要
―――松浦さんは現在は20代です。この先、10年、20年先の日本市場と自身のキャリアについてどう考えていますか?
松浦:大企業も居心地良くて良いけれど、生産年齢人口が減っていく中で、現在の国力では自身の生活を支えられない日が、いつか訪れると思っています。それに備えるために、やはり個々人の「チャレンジ」が必要。
私の一番のチャレンジは海外勤務でしたが、簡単に海外に飛び込めない人もいます。だから、まずは身の回りでできる「小さなチャレンジ」を見つけることなのではないでしょうか。なにもしなければ大好きな「今」はいつかなくなってしまう。今の環境を維持したいと思う保守的な人ほど、チャレンジが必要だと思います。
―――内田さんは、若い世代に向けて感じることはありますか?
内田:会社で評価される人と市場で評価される人は違います。どんなにちっぽけなマーケットでもいいから1番になることを目指して欲しいです。
ただ単に企業を飛び出せということではなく、どこにでも通用する人になれるよう自分を鍛えてほしい。学位でもいいし人脈でもいい。その両方ならなおさらです。本やネットの知識だけではなく、豊富な経験に裏打ちされた知見こそが、知識資本主義時代の競争優位の源泉となる。
そして、多少、先が見えなくても大丈夫だと確信できる資金力をつけておくこと。そこからは、先が見えなくてもチャレンジです。自分が一番勝てる土俵を見つけて、そこで勝負すればいい。誰にでも自分の市場価値を一番認めてくれる市場が世界のどこかにあるはずです。
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自国を出て海外へ飛び出す勇気、企業の器を捨てて違う世界へ飛び出す勇気。どちらもなかなかできないことだと思いがちだ。しかし、二人の会話に共通しているのは、辛くても与えられた目の前の仕事をこなし、日々の積み重ねを大事にしてきたこと。
こうして得た経験と自信が、おのずと次の「チャレンジ」を見つけ出し、飛び込む勇気を与えている。だからこそ、自身の道を自分で切り拓くフロンティア精神が宿っているともいえる。あなたの日々の小さなチャレンジの積み重ねこそが、新しい未来を創り出す。そんな「人財」こそが21世紀の日本経済の原動力になるに違いない。
(撮影:西田香織 取材・文:西本美沙 編集:川崎絵美)