クリエイターを使う業界では、危機的な事態が頻発する。〆切を過ぎてもモノがあがってこないのだ。映像、写真、イラスト、テキスト......、どんなモノであれ〆切ぶっちは起こりうる。
想像してほしい。いつでも後工程に取り掛かれるように深夜のオフィスに詰めて、メールソフトを5分おきに更新して、それでもモノが届かない。翌朝になっても届かない。夕方ごろになって、ようやく電話が鳴る。
「すいません、納品は明日になりそうです」
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どんなモノであれ、クリエイターが手間をかければかけるほど制作物の完成度は上がる。しかし制作物のクオリティは、かけた時間や労力に正比例するわけではない。
依頼内容を確認して、資料を集めて、アウトラインを作って......。作業に着手したばかりの段階では、制作物の完成度は上がらない。というか、ほぼゼロのままだ。
いざ手を動かす段階になると、制作物の完成度は一気に高まっていく。シロウトから見ても「おっ、仕事してるな〜」と分かるのはこの段階だ。
ところがある水準を越えると、どんなに手間をかけても完成度はあまり上がらなくなる。少なくとも、シロウトには区別がつかない程度にしか向上しなくなる。制作物の「仕上げ」の段階では――とくに仕上げの最後のほうでは――こういう事態になる。
これをグラフで表すと、こんな感じだ:
どんなクリエイターにも「能力の上限」がある。絵の勉強を始めたばかりの学生に、業界で何十年も生き残っているベテランと同等のクオリティを求めるのは無茶な話だ。人間は成長する生き物だが、その人の、その時点での「限界」は存在する。制作過程の最後のほうになると、制作物のクオリティはクリエイターの能力の上限に漸近していく。つまり、どんなに手間をかけても、完成度があまり向上しなくなる。
ここに、クリエイターとクライアントのすれ違いが生じる。
クリエイターは、いつでも能力を目いっぱいに発揮しようとする。能力の上限にかぎりなく近いレベルまで、完成度を高めようとする。そうでなければ制作物に納得できないし、納品もできないと考える。
一方、クライアントが発注するときには、クリエイターの能力の上限にはあまり気を払わない。どちらかといえば、そのクリエイターの平均的な能力を見ている。どれぐらいの完成度のモノを、どれぐらい安定的に供給できるのか。そういう部分から判断して、発注先のクリエイターを決めている。
クリエイターが納得する水準と、クライアントが求める水準は、あまり一致しない。ほとんどの場合、クライアントが求めるよりも高い水準をクリエイターは求めている。そして「仕上げ」にこだわりすぎた結果、〆切を落とすのだ。
私個人の見解としては、〆切を落とすのはプロとして失格だと思っている。
落としそうな依頼を受けてはいけないし、落とすとしても早めに連絡を入れるべきだ。クリエイターがいなければ製品は作れないが、クリエイター1人で製品を作っているわけでもない。納期が1日〜2日ほど後ろ倒しになるとしても、早めに連絡があれば後工程で取り戻せる(かもしれない)
「3日遅れます」と連絡して、実際には1日遅れで済んだのなら、むしろ「仕事のできるクリエイター」と判断されるかもしれない。少なくとも、直前まで何も言わずに落とすよりもずっとマシだ。届くはずのモノが届かないとみんな死ぬが、まだ届かないはずのモノが届けばみんな助かる。
こんなにも制作機器が安価になり、競争相手の増えた時代、代わりのクリエイターなどいくらでもいる。〆切を一度でも落としたら、もう二度と仕事がこないかもしれない......そういう危機感は持っていたほうがいいだろう。
一方、クライアント側にも理解が求められる。
クライアントとしては、一定水準以上のモノが納品されれば充分で、能力の上限に挑戦するのはムダだと考えてしまいがちだ。時間や労力を浪費するぐらいなら、もっとたくさんモノを作れ......と考えてしまいがちだ。
しかし、それではクリエイターが育たない。人間は成長する生き物だ。能力の限界ぎりぎりまで挑戦しなければ、絶対に成長できない。まして、いつも実力の8割程度しか発揮していなければ、まちがいなく能力は低下する。作れるはずのモノも作れなくなってしまう。
クリエイターを育てるのは、短期的には利益を生まない。むしろ作業工程を遅延させる原因になるかもしれない。けれど長期的な視点に立てば、優秀なクリエイターとの良好な人間関係は、かけがえのない価値を生むはずだ。
制作物にかけた手間と完成度との関係。
クリエイターとクライアントそれぞれの求めるもの。
これらについて理解を深めれば、私たちはちょっとだけしあわせになれると思う。
(2013年2月28日「デマこい!」より転載)